vol.01 スカート 澤部渡 「高校1年で『神戸在住』を読んだとき、『僕はこっちだったんだ』と気づいたんです」

2016/11/04 2:17

写真 / 後藤武浩

もしも。今の自分の人格は、自分が見聞きしてきたものの積み重ねによって形成されているのだとするならば。「どんなマンガを読んできたか」を語ることは、「どんな人間であるか」を語ることにとても近いのでないか。人生に影響を与えたと自覚しているマンガはもちろん、かつて読んでいたけれど今ではまったく手に取ることのないマンガでさえ、自分の血肉と化しているかもしれない。だから、マンガについてインタビューしようと思ったのだ。そのマンガを知るためではなく、その人自身を知るために。

シンガーシングライター・澤部渡。ソロプロジェクトである「スカート」の名前のほうが、通りがいいだろうか。いや、世間的には「Mステで、スピッツのバックでタンバリンと口笛を担当していた、あの男」と言ったほうがピンと来るかもしれない。ポップカルチャーに精通し、マンガ好きとしても知られる彼に、どんなマンガ遍歴をたどってきたかを聞いた。少年時代からさぞかし大量のマンガを読んできたのだろうと思っていたが、マンガへの目覚めは意外にも遅咲きだった。

自らマンガを読み始めたのは『神戸在住』から

──マンガを読んだ最初の記憶って、どんなものですか?

うちの母親がいろいろマンガを持ってたんですよ。中央公論社から出ていた、藤子・F・不二雄の分厚いSF短編集(『藤子不二雄SF全短篇』)が3冊あったりして。それを読んだのはずっと後、小学校高学年くらいなんですけど、最初に読んだ記憶として残っているのは吉田戦車さんの『伝染るんです。』『はまり道』だと思います。小学校1、2年くらい。

──へえ〜。コロコロやジャンプのマンガには興味なかったんですか?

母親がジャンプを毎週読んでたので、家にジャンプはあったんですけど、いわゆるバトル物・冒険物の面白さが全然わからなかったので、ほとんど読んでなかったんですよ。「こち亀」とうすた京介を読むくらいで。

──「このマンガは面白い」と自覚して、初めて読み通した作品は?

さっき話に出た吉田戦車さんの『はまり道』がすごい好きだったんですよ。マリオとルイージがおっさんになってるようなマンガで、今思い出しても「あのマンガいったい何だったんだ?」って思うんですけど。

──小学校低学年で読む吉田戦車って、どんな感覚なんですか?

あまりに子供だったので、それが常軌を逸した行動だとわかるのがずっと後だったりするんですよ。『伝染るんです。』で、バーのカウンターに男の人が座ってて「サワガニ、ダブルで」って言うとグラスにサワガニが2匹入って出て来る、という場面があるんですけど、当時はバーの存在も知らないし、「ダブル」という注文の仕方も知らないから、「グラスにサワガニが入って出てくる」というそのままの状況しかわからないわけですよ。そのへんから何かが歪んでたんだろうなって思いますね(笑)。

──マンガを読むのが習慣になったのは、いつの時期ですか?

実は子供の頃は、わりと読んでないんですよ。

──家にいろいろマンガがあったのに。

習慣というか、家にマンガがあるのが当たり前という状況で。中学1年のときに母親が気まぐれで『巨人の星』を全巻買ってきたり、あるとき急に「『漂流教室』買ってきて」と言われてお使いに行って、それで自分も読んでみたり……みたいなことをやっている中で、ある時期、僕が『ラブひな』というマンガにハマったんですよ。「ああ、こういう世界いいな」と思って読んでたんですけど、高校1年のとき、『神戸在住』というアフタヌーンに載ってたマンガをなんとなしに読んで。そしたら、「僕はこっちだったんだ」と気づいたんですよ。それまでは、藤子・F・不二雄のSF短編集にしろ、『漂流教室』にしろ、「与えられたものを読む」という気持ちがどこかにあって。今みたいに自分からマンガを読むようになったきっかけは、高校1年で読んだ『神戸在住』だったと思います。

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木村紺『神戸在住』第1巻29ページ

自分の知らないことを知ってる大人が大好きだった

──家庭にあったマンガの話がよく出てきますけど、学校ではどうだったんですか? 当時、クラスでみんなが読んでいたマンガは?

『ワンピース』とか、『スラムダンク』とか、いわゆる少年マンガが流行ってたはずですけど……小学生の頃はあんまりマンガの話をしなかったのかな? 全然覚えてないですね。

──マンガを読み始めたのは早いほうだけど、マンガにハマりだしたのは……。

遅いです。でも読むようになってからは、どんどんのめり込んでいきましたね。たとえばその頃、Amazonの「あなたへのおすすめ」みたいなやつをずっと見てたんですよ。よさそうなタイトルや表紙の本を片っ端からメモして、本屋に行ってどんなマンガなのか見てみたり。

──読みたいマンガは手に入れられる環境だったんですか?

いやいや、やっぱり高校生はお金がないので。でも、アフタヌーンとかコミックビームとか、月刊誌のマンガばかり読んでたんですよ。だから単行本の刊行ペースも遅くて、それは助かりましたね。マンガだけじゃなく、音楽に使うお金も多かったんですけど、でもそのためにお昼代を節約するのは全然平気だったんですよ。うちは月々のお昼代を先に支給される制度で、月に1万5千円もらってたんですね。1日700円換算。それを200円のチャーハンで済ませたりして。それで浮いたお金と月の小遣い5千円で欲しいものを買っていました。マンガと音楽にしか興味がなかったから、それでけっこうやれてましたね。

──高校時代に読んでいたのがアフタヌーンやビームのマンガだと、クラスで同好の士を見つけるのは……。

最初は難しかったですよ。でも僕が学校で「これ面白いから読んでみな」ってすすめて、そこから広がったりしてたんですよ。『神戸在住』とか『ふたつのスピカ』とか『放浪息子』とか。やっぱり響く人には響いてたんだなと。

──世の中的に流行ってたのは、当時だと『ワンピース』や『ナルト』だと思いますけど、やっぱりそういうものにはハマれなかった?

「努力して何かを得る」みたいな図式を信用していないフシがあるんですよ。僕の幼稚なカウンターなのかもしれないんですけど、「努力して障害を乗り越えた先に、何かがある」というのがいまいち信用できなくて。

──個別のストーリーが面白い面白くないということではなく、根本にある「勝利・友情・努力」みたいな価値観になじめなかった?

なじめなかったんですね。ああいう「勝利・友情・努力」みたいなものって、いろいろな教育があってたどり着くものだと思うんですよ。たとえば子供の頃に戦隊物を見ていたとか。僕は子供の頃に戦隊物を見ていないから、そっちにハマれなかったのかな、と思ったりもしますね。

──どんな雰囲気の高校生だったんですか?

基本的にはバカでしたよ。「悪目立ちしても自分が面白いと思ったらそれでいいや」みたいなことをよくやってました。校内でハンドボール大会があったときも、「そんなもんクソくらえ」って思って、下駄箱のスペースの屋根のところに椅子を持ち出して、そこで友達と弁当を食うということをやっていましたね。自分としてはアンチテーゼのつもりだったんですけど。

──それは尾崎豊的な意味での反抗なのか、単純に「そんなのバカらしくてやってられねー」というものなのか。

「バカらしい」のほうですね。僕は先生たちが大好きだったんですよ。他のみんなは「先生、マジムカつく」みたいなことを言うんですけど、僕は「自分が知らないことを知ってる人ってカッコいい」って思ってたから、先生たちが好きで。稲垣足穂を教えてもらったり、「『パワーズ オブ テン』という映画があってね……」とか「岡村靖幸とか好き?」とか「ジャッキー・アンド・ロイ買ったの?」みたいな話をしたり。もしかしたら、それも歪みなのかもしれない。普通の学生は先生のことを「あいつマジでムカつく」って言ったりしてるのに、僕は「それって子供だよね」みたいな話を友達としてましたね。