アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(13)サイレン

アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(13)サイレン

 「う~~~~」と少しくぐもった声で言うのが、戦中に少女時代を過ごした母の得意の口真似だった。警戒警報の長いサイレンのことだ。口真似の次にはたいてい「あの音ぁよう忘れんねえ」が来て戦時中の思い出話となり、それが一段落すると、「では、○○体制に、かかれ-!」と子供たちを片付けだの風呂だの勉強だのと次の活動にせき立てるのが常であった。その号令は、戦争の悲惨さをまるで感じさせない奇妙な明るさを伴っており、長いこと「防空体制に、かかれー!」をもじったものだとは気づかなかった。

 20年に頻繁に鳴らされるようになった警報は「警戒警報」と「空襲警報」の二つに分かれる。警戒警報は「三分連続吹鳴」の長いサイレンで、これが鳴ると夜中であろうと昼間であろうと「防空体制」に入らねばならない。そして空襲警報は、数秒おきに断続的に鳴らされる警報で、これが来たらいよいよ急いで防空壕に入らなくてはならない。

 「この世界の片隅に」原作のコミックスは上中下巻に分かれているのだが、下巻では明らかに画面の感じが違ってくる。それは、203月あたりから増えてくる警戒警報のせいだ。「三分連続吹鳴」の長いサイレンを表すために、マンガの画面のあちこちに白抜き文字の「う~」が、まるで一反木綿のようにうねうねとのたくり出す。

 そして、サイレンは、登場人物たちの生活のみならず、マンガの時間を攪乱する。

 通常マンガ読者は、吹きだしを右から左へ読もうとする。たとえば図1では円太郎が焼夷弾の種類について長々と蘊蓄を傾けており、読者の目はその長いセリフを右から左へと追う。ところが、その説明を読む運動を無効にするように、左から右へとサイレンが紐形動物のごとく逆方向に伸びており、しかもその尻尾が円太郎の吹きだしの上からぺたりと張り付いている。その紐(と以下では呼んでおこう)の尻尾を見上げるようにサンが「ありゃいけん」と言うと「さあ支度支度と」と径子がこちらは紐の上から被せるように吹きだしを吐いている。このように、吹きだしの連鎖は右から左に連なっており、サイレンとの前後関係を表すように周到に紐に重ねられていくのだが、これに対してサイレンの書き文字は左から右へ、横長のコマを横断する。その結果、吹きだしのことばを順に追っていこうとする読者の視線もまた、逆走させられる。かくして、吹きだし内部の産み出す読書時間も、そして吹きだしどうしの産み出す読書時間も、サイレンによって攪乱されてしまうのである。

(図1:『この世界の片隅に』 下巻 p. 7)

 攪乱されるのは、吹きだしの時間だけではない。通常、マンガ読者はコマを右から左に読み、ついで上から下に読もうとする。ところがサイレンを現す書き文字は、この順序を無視するように、縦横にかけめぐる。図2では、右のコマですずと周作が警戒警報によって暗いうちから起こされ、左のコマで防空頭巾をかぶったすずが防空壕へ鍋を持ち出しているのだが、サイレンの音はこれら2つのコマの順序を逆走するように左から右へ「う~」と描かれている。サイレンの紐は、本来異なる時刻を描いているはずの2つの生活場面を、一つの音によって同じ空間であるかのように覆う。ちょうどサイレンの長く続く持続音が、その変化のなさによっていつしか聞くものの時間感覚を失わせるように。

(図2: 『この世界の片隅に』下巻 p. 8)

 警戒警報は、結局「空振り」で終わることもある。度重なる警報に防空体制をとり防空壕に入ることに疲れた人びとは、よくも悪くもサイレンになれていく。アニメーションでは「警報もう飽きた~」という晴美の声が印象的だが、この警報に対する疲弊感は、マンガでも表されている。たとえば図3では、負傷して床についている円太郎がもはや起き上がるのも大儀いので、「寝とれ寝とれ」とすず、サンに言うのだが、興味深いことに、この場面ではそれぞれの吹きだしは図1のようにサイレンと重なりあうのではなく、むしろ重なりを避けるように散らされている。それはまるで、円太郎の力ない声が、サイレンの紐に抗うことをあきらめて、紐に声を添わせているかのようだ。

(図3: 『この世界の片隅に』下巻 p. 44)

 空襲警報とともに、この作品をしばしば覆っているのが、襲来した敵機のたてる轟音だ。その「ご-」という響きもまた、サイレンのごとく長く持続して、聞く者の、そして読む者の時間を無化させる。

 図4は、敵機の機銃掃射を避けて側溝に伏せている周作とすずの会話だが、そこでは、3つの吹きだしによって左から右へと時間経過が描かれているだけでなく、一つの絵を3つのコマ枠で分断することによって、吹きだしの表現する時間経過をより強調している。ところが、吹きだしとコマのダブルの効果で強められているはずの時間を黒板消しで無効にするかのように「ご-」という書き文字が左から右へと長々と描かれている。しかもご丁寧なことに、ここでは「こ」の文字が、まるでそれ自体が一本の紐形動物であるかのように、一筆書きの白抜き文字で描かれている。続くページでは、この轟音がすずと周作の会話の時間を近道するように走り抜けずたずたにしているのだが、そのさまはぜひ原作で確認していただきたい。

(図4:『この世界の片隅に』下巻 p. 68)

 このように読者は、下巻のあちこちで、サイレンと轟音の暴力に出会うことになる。これらの音は、単に戦時中に鳴っていた音を文字で描写しているのではない。吹きだしの連鎖やコマの連鎖を追おうとする視線を攪乱し、因果の時間を白い紐の時間で逆走し、まるですずや周作たちの生活のリズムに割り入るように、読者の時間に割り入ってくるのだ。


 2話に分かれているので、すぐには気づきにくいが、2086日とその翌日を描いた第37回と第38回を通して読むと、これらの描写は警戒警報解除を告げる長いサイレンの紐で始まり、警戒警報を告げる長いサイレンの紐で終わっていることが分かる。そして、終わりのサイレンと始まりのサイレンによって挟まれたこれらの回を蝶番のように接いでいるのは、原爆のきのこ雲である。原爆は、サイレンの欠けた時間、すなわち警報の欠けた時間に割り入れられる光と地響きとして描かれている。

(図5:『この世界の片隅に』下巻 p. 86)

 第38回の最後のページ(p. 86)、警戒警報の鳴り響く中、巨大な蚊のように飛ぶ飛行機を見ながら、すずは蚊遣りに使うユーカリの葉に囲まれて、爆風で飛んできた障子戸に話しかける。「あんたも広島から来たんかね」「うちは強うなりたい」「優しうなりたいよ この町の人みたいに」「そんとな暴力に屈するもんかね」。「そんとな暴力に屈するもんかね」は素直に読むなら、「こー」という轟音とともに空を飛ぶ敵機に向けられた声なのだろう。しかし、その轟音以上に、この画面を暴力的に覆っているのは、サイレンの音だ。サイレンの紐は、すずの持った障子戸の枠をうねうねと横断していく一方で、まるですずの声の時間を狂わせるかのように、マンガのコマの枠を本来のコマの順序とは違う順序で縫い取っていく。

 この、のたうつ紐の産み出す連鎖から逃れるように、右下には一つ、紐を逃れたコマが描かれており、ページの外に開いている。すずはその開かれたコマ枠の中に居て、息苦しいマンガ平面から外を眺めるように障子の枠を覗き込み、この平面を狂わせている何ものかにその声の時間を届かせるように、こう言っている。

 「ああ、うるさいねえ」


「アニメーション版『この世界の片隅に』を捉え直す」の一覧
(1)姉妹は物語る
(2)『かく』時間
(3)流れる雲、流れる私
(4)空を過ぎるものたち
(5)三つの顔
(6)笹の因果
(7)紅の器
(8)虫たちの営み
(9)手紙の宛先
(10)爪
(11)こまい
(12)右手が知っていること
(13)サイレン
(14)食事の支度
(15)かまど
(16)遡行


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