どおくまんインタビュー[前編]「プロには絶対負ける気がしない、って思ってた」

2017/05/22 12:21

たしかに一時代を築いた大作家であるはずなのに、どおくまんについてのインタビューは驚くほど少ない。ならば自分がインタビューしよう。ただそれだけの動機で大阪まで足を運び、どおくまん、そしてどおくまんプロの小池たかし、みわみわにインタビューをおこなった。どおくまん作品の圧倒的なオリジナリティはどこから来るのか不思議でしょうがなかったが、話を聞いていくうち「徹底的に独学であること」にヒントがあるのではないか、と思うようになった。まずは前編をどうぞ。

描き方がわからないまま、筆一本で描いた

──もともと一千万円の賞金が欲しくて、マンガ賞に応募したのが最初なんですよね。その時は一人で描いていた?

どおくまん 一人も何も、まだ何もやってないよ。運動だけしかやってない(笑)。ただ、「何かしないとダメやな」っていうのボヤッとあるわけです。将来の夢がまだ何だかわかんない頃でね。マンガは好きやったけど、ちゃんと描いたことはなかった。「何かすることないかな、俺にできそうなことないかな」って、何か起業したかったんですね。その時に「賞金一千万円」というマンガ賞を見て。50年くらい前の賞金一千万円だから、今でいったらけっこうなお金ですよね。当時、東京でもええ家買えたんじゃないかな。

──その金額もすごいですけど、そこからマンガを描き始めようと思ったのもすごいですね。わりと本気で「取れるんじゃないか」と思っていた?

どおくまん 言うたらちょっとマンガをバカにしてた。当時載ってたマンガを読んで、「こんなんでお金がもらえるのか」っていう。俺でもできそうな感じがしてね。マンガって、紙とペンがあればあとは元手いらんでしょ。それで自分がどこまでやれるか、いっぺんやってみようと。

──描いたことない状態から、どうやって描いていったんですか?

どおくまん それが、描き方も何もわかんなかった。だからほんまに誰にも聞かずにやったんです。原稿用紙を買ってきて、あとは筆。筆だけで描いてた。

──えっ、筆一本だけで?

どおくまん そう、一本の筆だけで。セリフも筆で入れたんです(笑)。写植とかそんなん知らんから。当時、描き方の本も売ってなかったしね。言うたらめちゃくちゃです。

──でも自信はあった?

どおくまん 「プロアマ問わず」という条件だったから、お金の欲しいプロもたくさん応募したんじゃない? でも「プロには絶対負ける気がしない」って、なんか知らんけど思ってた。とにかく自分がどこまでやれるかを試したいなと。それで無謀にも24枚くらい描いて出したんです。筆だけで描いたでたらめな絵で、枠線も全部筆。でも一次審査の発表見たら、名前が載ってたんです。「やっぱりな。これくらい普通やろ」と(笑)。

──すごい自信ですね(笑)。

どおくまん そこから最終審査の手前まで行って、ベスト20に入ったんです。でもお金は入ってこなかったし、その大賞も結局「該当なし」で一千万円は出なかったんですよね。

──最終の手前まで残ったとはいえ、もともとの動機だった一千万円は逃したわけですよね。そこからまだマンガを描こうと思ったのは?

どおくまん やっぱりちょっと悔しかった。というか、「もうちょっとやれる」と思ったんちゃうかな。

──未経験で描いた一作目でここまで行ったんだから。

どおくまん うん。「ちゃんとやれば、もうちょっと行けるんじゃないかな」と思って。それで大学の漫研に行ったんです。「漫画の描き方どうすんねん?」と。その漫研で小池くんと会ったんです。梅田の喫茶店で原稿見せてもらったら、俺が描いたのとだいぶ違うなと(笑)。スクリーントーンも貼ってましたから。

小池 トーンの貼り方を見せつけてやった(笑)。

どおくまん 当時、漫研にいた人のお兄さんが、プロのマンガ家でビックコミックか何かに描いてたんですね。その人の家まで行って原稿を見せてもらったんです。弟は自慢するんですけど、見てもそんなに感動しなくてね。薄っぺらい感じがして、「これでプロの原稿なんだな」と思って。それでちょっと勉強して、次はスクリーントーンをいっぱい貼って、30枚ぐらいにして少年Xという大出版社Aの週刊誌に出したんです。そしたら佳作になって、初めて賞金をもらった。その段階ではまだ一人です。

──当時、小池さんから見て、どおくまんさんのマンガはどうだったんですか?

小池 もう突き抜けてましたよね。

──後の作風に通じるものはすでにあった?

小池 それは全然ありましたよね。最初の作品もなんとなく見たような記憶はあるし、他の原稿も見せてもらったと思うんですけど、線がダイナミックでね。普通のマンガと違うんやね。普通やったら、始めの頃は「リアルに描こう」と思うんやけど、僕が見た原稿はものすごいダイナミックな線やった。口とかそんな印象がある。

親父は喜んでくれなかった

──少年Xで佳作に入って、そこからデビューするまでは?

どおくまん 佳作に入ってから、Bという担当がついて。そのBが偉そうでね。「何でもいいから描いて出せ」って言うから、夏休みに50枚描いて送ったんです。ところが、自分からしたら青春時代の二ヶ月をつぶして描いたものなのに、送っても何の返事もない。で、電話したんです。「送ったんですけど着いてますか?」「ああ」「どうでしたか?」「あれは長すぎる。あんなの使えない」だけで他の印象がない。「どういうのがいいですか?」って聞いても「もうちょっと短くないと使えない」と言うだけでね。「担当がついたらいろいろ言うてくれてデビューできるんかな」と思ってたんで、担当は大事にせなあかんと思ってたけど、正直言うとちょっと不信感持ってた。

──アドバイスらしいアドバイスもなく。

どおくまん それでも「もうちょっと自分の中のものを練り上げていかなあかんな」とは思ってたんです。そのためには集中して漫画を描くしかない。夏休みを使って描いたマンガは、実家で親にわからんように夜中に描いたんですよ。当時、大阪から京都の大学まで通うのに往復4時間かかるんですけど、大学の近くに下宿して描いたら親にもバレないし、集中してマンガを描けるなと。

──マンガを描いてるのがバレるのは、そんなにまずいことだった?

どおくまん 「マンガ描く」なんてとても言えない。当時、マンガというのはもうバカにされたわけですよ。言うたらものすごい下のレベルの職業やと。だから親をうまいこと説き伏せて、大学の寮に入ることになって。そこからチキンラーメンなんかを買い込んで、もう24時間、三畳一間の部屋でぶわーっと描き出した。大学いうところはやっぱり皆遊びに来てるわけですよ。うちの大学は特にそういうとこやったけど、それを横目で見ながら自分はもうひたすら描いた。

──どれくらい描いたんですか?

どおくまん (集中して描くのは)一年間と決めて、一年間で10本、枚数で300枚くらい。それをトランクに詰めて東京に持ってった。最初に少年Xの担当のとこ行って。受付で「ここで持ってますので伝えてください」と言うたら、「上に上がって来い」言われて。編集部まで行ったら、担当がずーっと他の編集と雑談してるんです。「来ました」言うても知らん顔でしゃべってて。「原稿見てほしいんですけど」言うたら、いきなり振り向いて「下に来いとは何様のつもりだ」って何か逆上したみたいな、上ずった声で言うんです。

──当たりがきつい。

どおくまん もうその段階で「こいつ……」と思いながらも一応「花田秀治郎くん」の原稿を見せたんです。でもパラパラとめくるだけで、まったく読まないんですね。その後「なんだこりゃあ、こんなものが読めるか」と床にバラバラと原稿をまき散らしたんですよ。周りの編集もじっとそれを見ていて、なんかへラヘラ笑っていた人もいるように思いましたね。まだ若かったし、本当に腹立ったんだけどホンマ、グッと堪えてね。よう我慢したなと思うけど。帰り道の橋の上で「俺は何のために一年やってきたんやろ。もうあかんのかな……」と落ち込んだんやけど、「もう一軒行ってから諦めよう」と思ってジャンプの編集部を探して。ルノアールっていう喫茶店が入ってる古いビルがあって、狭い階段を上っていくとジャンプの編集部があった。汚い感じでね。少年Xの入ってるビルとはもう比べようがない。大きなビルじゃなくて、小さいテナントビルみたいな感じだった。

──今とは全然違いますね。

どおくまん そこに入って「持ち込みに来ました」言うたら、すぐに月刊ジャンプに通されて。描いたマンガの中で少年誌用のものは「花田秀治郎くん」しかなかったからそれを見せたら、ちゃんと読んでくれて「これ、来月使います」と。それはうれしかったね。その勢いで他の原稿も売り込みに行きましたけど(笑)。ガロにも行ったかな。でもその時は「1本載ったらもうええわ」と思ってたんです。「これでマンガ辞めてもええわ」と。

──職業にするつもりではなかった?

どおくまん あんまりなかった。「こんなにしんどい職業、割に合わんな」と思ったんです。1本載ったらそれでいいと。当時、親父が死にかけてたんですけど、死ぬ直前に月刊ジャンプに載ったんです。それを見せたら、ベッドでものすごいつまらん顔してました(笑)。

──え、すごいことなのに。

どおくまん 見せながら「すごいやろ」とか言っても、「そうやなー」くらいで。もうじき死ぬのに、別に「頑張れ」とかもなかったような気がする。ちょっとガッカリしてたんちゃうかな。それがマンガ家というものに対しての、親の正直な気持ちやったと思う。

(「男花田秀治郎」1巻より)

少年誌で人間らしい体を描いているマンガ、初めて見た

みわみわ 僕が(どおくまんのマンガを)初めて見たのは「花田秀治郎くん」なんです。それを読んで、どおくまんのサークルに入って。

どおくまん 私の前で土下座して「入れて下さい。弟子にしてください」って言うたんです。まだ売れる前の頃。オーバーなパフォーマンスで、「こいつアホやなー」と思ったけど、「アホやからいいんちゃうかな」と思って入れたんです。アホっていうのは、すごい大事。この世界で一番大事やと思ってるから。

──どういう意味ですか?

どおくまん アホでないとこういうとんでもない作業はできないし、この仕事ってそんなにすぐ儲かるものでないし。たとえば後から入ってきたアシスタントで、時間いくら、日給いくらでお金の計算して入ってきた人は、やっぱりそこのところで止まってしまうんです。

──月刊ジャンプに「花田秀治郎くん」を連載していた頃、小池さんはどうされてたんですか?

どおくまん 彼は週刊ジャンプに入賞して、短期連載とかしてたんです。

小池 超短期連載をやったり、短編を入れてもろうたりしてたんですけど、なかなか思い通りにいかず(笑)。

──そのときはもうマンガ家で食べていこうと思っていた?

小池 そういう自信はなかったですけどね。

どおくまん そうでもなかったんちゃう? 俺をすごい上から目線で見てたやろ?

小池 初めの頃はそりゃ血気盛んで、天狗やったけど(笑)。

──雑誌に載ったのはどっちが早かったんですか?

小池 覚えてないなー。ほぼ同時じゃない?

どおくまん たぶん俺が早い。「花田秀治郎くん」が載って、彼はものすごい刺激を受けて、少年誌に応募したんです。けっこうすぐ載ったよね?

小池 佳作に入って、それから週刊ジャンプに2、3本載せてもらったんですけど。

みわみわ それが「目玉博士」?

小池 「目玉博士」もあった。というか、あれがすべてです(笑)。今考えるとほんまに無謀やで。で、この頃から、どおくまんが実力出してきてね。

どおくまん 「花田」を描いてるときに「絵を描くのはめんどくさいなー」と常に思ってたんです。全部一人で描いて、原稿料が一枚1500円くらい。30枚描いても4万5千円。全然上がる気配もないし、食えないし、これはあかんなーと思ってたときに人が集まってきて。弟も手伝ってくれるし、みわみわも土下座して入ってきて(笑)。

みわみわ あんな絵とあんな話描いてるマンガ家は、当時いなかったんです。他のマンガは手塚治虫氏から発展したような丸っこい線の絵が多くて、それで初めてどおくまんのマンガ見たら「えっ、こんなマンガあるの!」ってショックを受けたんですね。

どおくまん 口の中の歯を一本ずつ描いたん、俺ぐらいやもんな(笑)。

──当時はちゃんとした肉体を描くのは大人向けの劇画で、少年誌のマンガは本当にマンガらしいデフォルメされた絵ばかりだった?

みわみわ そうそう、胴体が短くてね。そういう絵が主流やった頃に、人間らしい絵を描いてるの見たんは初めてやった。少年誌では初めてやったんちゃうかな。それがすごいインパクトで「この人はすごい」と思って、土下座につながる(笑)。

──その頃はマンガ家志望だったんですか?

みわみわ 全然。僕はどおくまんの弟(太地大介)と、高校で友達やったんです。彼(太地大介)が「兄貴がマンガ描いてんねんで」言うから、どんなマンガかなと思って原稿見せてもらったら、びっくりしたんですわ。

──それで自分もやりたいと思った。

みわみわ でも僕自身は「マンガ家になりたい」と思ってなかったんです。自分で描いてどうこうではなく、どおくまんの描くマンガが好きだから入った。説明が難しいけど。

どおくまん それはわかるような気がするわ。マンガ家になるとは思えへんもんね。

みわみわ 全然思ってなかった。

チャンピオンの名物編集者・壁村耐三

──チャンピオンの壁村耐三さんとは、どうやって出会ったんですか?

どおくまん ジャンプでずっと「花田」やってて、他の雑誌からもマークがあったみたいなんだけど、当然ジャンプは連絡先を教えないわけですよ。ジャンプで連載して2年ぐらい経ったときに、もう食えないから実家の工場で働いてたんです。

──とにかく原稿料が安かったから。

どおくまん そう。それでヘルメットかぶって働いてたら、どこかで連絡先聞いたんやろね、ある日電話が鳴って「秋田書店の壁村です。うちで連載やって下さい」と言われて。「月刊チャンピオンですけど、好きなだけ描いてもらっていいですから」「何枚描いてもいいんですか? そんならやりますわ」もうそれだけです。その後、ジャンプから電話がかかってきた時に「今度チャンピオンでやるんですよ」言うたら「それは困る」と。

──ジャンプ専属じゃないとダメだと。

どおくまん そうそう。そんなこと言うてたけど、「そんなん知らんわ」言うて。月刊ジャンプの編集長がやって来て「どうしてもチャンピオンでやりますか?」って聞かれたけど、「お宅でやってても一枚1500円だし、もっと仕事をくれたり、原稿料上げる気はあるんですか?」言うたら「ない」って言うんですよ。だったら止めようがないですよね。チャンピオンだったら原稿料も上がるし、好きなだけ描いていいなら、そっちを選ぶでしょ。それで、50枚くらいでスタートしたんです。

──それが「暴力大将」。

どおくまん そうです。もう最初から「できるだけ長いことやったろう、大河ドラマにしたろう」と思ってたんです。それで「毎月50枚描くにはどうしたらいいか」と思って、人を集めたんです。小池は「俺は自分のマンガがあるから嫌だ」と言うたけど、みわみわと弟は「手伝う」言うてくれて、とにかくこいつらを鍛えなあかんと。それでキャラクターをどんどん描かせたんです。背景から始まって、次はベタな通行人を描かせて、だんだんしゃべる奴を描かせるようにする。やっぱり若いから、いっぱい描かすとどんどん上手くなる。でも、小池はまだ来えへんわけ。「いつになったらうちに合流するんや。お前のマンガはもう売れへんから諦め!」って言った(笑)。

──それでようやく量産体制が整った。

どおくまん ところが「暴力大将」二回目描いたときに電話したら、壁村さんから「バカヤローッ!」って怒られて(笑)。「なんだこのマンガは! こんな面白くないもの描いて、どういうつもりや!」って。面白くないのは自分でわかってた。壁村さんから怒られて、どうしたら面白くなるか真剣に考えました。だから(展開を)ちょっと急ぎました。最初のダラーッとした感じから……。

──河内矯正院編に突入した。

どおくまん そう、矯正院に送って(笑)。あのへんは「あしたのジョー」のイメージがちょっとあったかな。「あしたのジョー」も鑑別所に入ってましたよね。

──たしかに河内矯正院から一気に話が盛り上がりましたよね。

どおくまん ちばてつやさんと言えば、少年ジャンプの人に聞いたんですけど、編集の人がちばさんとこに原稿取りに行ったら、なにかの原稿を(雑誌から)切り取って置いてて。よく見たら「花田秀治郎くん」の原稿やったと。聞いた時、びっくりしました。「この大先生が俺の原稿を……」と思って。すごい自信にはなったけど、「ものすごい研究熱心な人やな」と思ったね。もう頭の下がる思いやった。

小池 それにしても壁村さん怖かったなー。威圧感すごかった。

どおくまん 壁村さんはすごかったね。「暴力大将」描いてる時に「嗚呼!!花の応援団」が売れて原稿料が高くなった。「花の応援団」は人気があって「暴力大将」は人気がなかったんやけど、俺が壁村さんに原稿料の話をしたんや。酒の席で「『暴力大将』も一緒にして下さいよ」って言うたら、テーブルを思いっきり蹴りよった(笑)。「何言ってんだ?」って。

小池 あの人ならやりかねんな(笑)。

どおくまん ものすご痛かった。それでも痛くないような顔して「いやいや、上げてもらいますよ」言うて。結局上がったんです。蹴った後に上げてくれました。

──「花の応援団」が売れたのは知ってますけど、「暴力大将」が人気なかったというのは意外でした。

どおくまん 最初はそうやったけど、とりあえず壁村さんがいる間は単行本出してくれることになってたから、それで単行本が出たときに当時の編集の大塚さんから「これ、意外と売れてるわ」と言われたんです。編集の人からしたら、ちょっと意外やったんちゃうかな。その後、壁村さんが(病気で)調子悪くなるんですけど、そしたらその時の編集長が「『暴力大将』は一体いつになったら終わるんだ?」って言い出したんです。まだ戦争編のあたりで。

──壁村さんとの「好きなだけ描いていい」という約束がずっと生きてるから、向こうがプレッシャーをかけてくるわけですね。

どおくまん だから電話で「またその話かい!」言うて。「バカヤロー! お前なんかにごちゃごちゃ言われる筋合いないわ! 俺が辞めたい時しかやめへんぞ!」って、もうケンカ腰で怒鳴った(笑)。

──それだけ言っても続けられるのすごい(笑)。

どおくまん 「打ち切りになる前にあいつ、クビにしたる!」言うて呪いをかけたりしてた。(笑)。嫌味な編集というか、合わない編集はいてるから、そういうやつは徹底的に嫌いました。マンガを見る目がない人って少年Xの担当以来、本当にたくさんおるの見て来てるから。

──でも実際、壁村さんのおかげで「暴力大将」は大河ドラマ級の傑作になったわけですから、すごい編集者ですよ。

どおくまん 最初からいわゆる「立身出世の物語」にしたいっていうのがあったから、連載始める時点で、子供の頃があって、矯正院に入って、そこから出てきて戦争に行って、戦争が終わって闇市があって、戦後があるという流れを考えてたんです。だからとにかく最後まで行きたくて、途中で何言われても「バカヤロー!」で通して。チャンピオンは週刊のほうも描いてましたから、無理を聞いてくれたんですね。壁村さんが元気な時は、そんなこと言われなかったんやけどね。

──壁村さんからは最初「こんな面白くないマンガ」って怒られてたんですよね。その後、話が盛り上がってきた頃には何か言われました?

どおくまん 何にも言わない(笑)。褒めることはあんまりないです。

──でも「どおくまん=チャンピオン」のイメージが強いのは、やっぱり壁村さんの存在が大きいんですね。

どおくまん ただ、(漫画アクションに連載していた)「花の応援団」が終わった時は、いろんなところからワーッと依頼が来たんです。大手も含め、全ての出版社といってもいいですけど、その中でも少年Xから連載依頼が来た時は一番面白かった。「このバカヤロー! お前んとこみたいなクソ週刊誌に描くわけないだろ!」言うて(笑)。

小池 積年の恨みを(笑)。しつこいなー。

──デビュー前にされた仕打ちをずっと忘れてなかった。

どおくまん それでもその大手出版社の他の部署の編集は、入れ替わり立ち代わりその後も20年以上、ずーっと執筆依頼に大阪まで来ましたよ。熱心ですよね。描かなかったですけど。

後編に続きます


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前田隆弘
顔のこわさに定評のある編集者。広域指定編集業。著書に、同世代のクリエイターたちに「今の死生観」を聞いた「何歳まで生きますか?」(パルコ)がある。幼少期に読んだ「とどろけ!一番」の影響で、物心ついたときから「右手に鉛筆・左手に消しゴム」というスタイルで勉強してました。