「ONE PIECE」の揺らす吹きだしの帰属と宛先

「ONE PIECE」の揺らす吹きだしの帰属と宛先

 さて、筆者のわたしもしばらく忘れていたのだが、この連載はサブタイトルに「吹きだしで考えるマンガ論」とあるように、マンガの「吹きだし」のことを考えるために始めたのだった。そこで、このあたりで少し、吹きだしについて基本的な問題を扱うことにしよう。

 マンガの吹きだしを読むとき、わたしたちは意識するしないにかかわらず、おおよそ次のことを判断しながら読み進めている。

・その吹きだしは誰の声か?(帰属の問題)

・その吹きだしは誰に宛てられた声か?(宛先の問題)

 「帰属」「宛先」と並べると、なんだかいかめしいけれど、これらはじっさいのところ「問題」というほどのことだろうか? そんな小難しいことを言わなくても、わたしたちは何の問題もなく、どの吹きだしが誰の声か、それが誰に向けられているかすらすら理解できているのではないか?

 それに、マンガには吹きだしの声が誰のものかを判断する手がかりがいくつもある。たとえば、多くの吹きだしは、話し手のそばに置かれているから、さしあたり吹きだしのそばを探せば声の主はすぐに見つかる確率が高い。それに吹きだしと話し手が離れている場合でも、吹きだしには「吹きだし口」と呼ばれるしっぽのようなものがついており、このしっぽの向きを見れば、おおよそ誰の声かはわかる。

 吹きだしの宛先はどうだろう。これは声の主を判断するよりは少し難しい。吹きだしはただの独り言かもしれないし、誰かに宛てられているとしても、声の宛先が話し手と同じコマに描かれているとは限らない。しかし多くの場面では、聞き手はすぐそばのコマに描かれており、場合によっては応答する吹きだしもすぐに見つかる。コマの前後を見れば、おおよそそれが誰と誰の会話なのか、それとも独り言なのかを特定するのはさほど難しくない。少なくとも「難しくない」とわたしたちは感じているし、そうでなければマンガをすらすら読み進めることはできない。

 では、実際のところ、わたしたちはどうやって吹きだしの帰属と宛先の問題を解決しているのだろう。たとえば、尾田栄一郎ONE PIECE』第二話の次のコマを見てみよう。

図1 ONE PIECE 第二話より

 海原の遠くに船、その上に微かに二人の人影が見える。吹きだしは三つある。しかし、わたしたちは、たとえ『ONE PIECE』を読んだことがなく、「ルフィさん」が誰かを知らなかったとしても、どの吹きだしがどちらの声であるかをおおよそ把握することができる。なぜなら吹きだし口の方向が、小さな人影のどちらが語り手かを示してくれているからだ。

 そして声が誰に宛てられているかもおおよそ推測できる。この大海原に彼らはどうやら二人きりだ。ならば、これらの吹きだしは二人の会話であり、声の宛先は、この二人のどちらかしかないだろう。

 ということは、「でもルフィさん」と言っているのは、帆の後ろにいる人影であり、その宛先は、舳先に座っている帽子のシルエットになる。「ルフィさん」とはこの帽子のシルエットの主のことだろう。さらに吹きだしの内容から彼らの関係も推し量ることができる。帆の後ろにいる人物は相手をさん付けで呼び丁寧なことばでしゃべっているのに対し、舳先の人物は「ああ」とごくそっけない調子で話している

 『ONE PIECE』に親しんでいる人は何をまだるっこしいことをと感じるかもしれないけれど、わたしたちがこの物語を読み始めた頃には、こんな手続きを経ながら、この第二話で初めて登場したばかりの(帆の後ろにいる)コビーというキャラクターが、主人公ルフィとどのような関係をとりつつあるのかを、二人の口調から読み取っていったのだった。

 わたしたちは、吹きだしを読み、その声の主と宛先を読み取る行為を通じて、キャラクターやキャラクター同士の関係に関する知識を増やしていく。それだけでなく、こうした経験を通じて、わずかな手がかりからキャラクターをすばやく認知できるようになる。たとえば図1の小さなシルエットでできたコマを見ながら、わたしたちはいつの間にか、ルフィの麦わら帽子を遠いシルエットだけで視認できるまでになっており、その帽子の主と「ああ」という声の主とを結びつけていることに気づく。第一話を読んだ者なら、その麦わら帽子はただの外見的特徴ではなく、ルフィにとって大事な思い出にまつわるものであることも分かっている。

 読者の吹きだしの読み取り能力は物語の進行とともに増していく。それを見越して、作者もまた、吹きだしをより自由に配置していく。たとえば、次の第三話の1コマはどうだろう。

図2 ONE PIECE 第三話より

 構図自体は、第二話とよく似ている。しかし、吹きだしの読み取りはぐっと難しくなっている。吹きだし口の向きは、第二話のコマに比べてずいぶん曖昧になっており、二人のうちどちらを指しているともとれる。しかも、それぞれの吹きだしは話し手とは逆の側に置かれている。もし何の予備知識もない人がいきなりこのコマを見たなら、おそらく「魔獣ねーっ」というセリフを帆の後ろの人物のものとして、「そうですよルフィさん」というセリフを舳先の人物のものとして読み間違ってしまうだろう。

 そうならないのは、わたしたちが吹きだしの形や配置だけでなく、その内容を手がかりにしているからだ。わたしたちはすでに図1を通して、この大海原でルフィとコビーという二人の人物がどんな関係にあり、お互いがどんな口調をとるかを知っている。だから吹きだしの「魔獣ねーっ」というくだけた言い方を、吹きだしから遠い側にいる舳先の人物と簡単に結びつけることができる。逆に言えば、こうしたやや難易度の高い読み取り作業を難なくこなすことで、自分がこれら二人のキャラクターにすでに慣れ親しみ、彼らの口調を読み取る力を身につけていることを実感する。吹きだしを読み取る作業を通じて、キャラクターどうしの関係ばかりでなく、キャラクターと読者の関係もまた、成長するのである。

 これからさまざまな例で見ていくように、吹きだしの帰属と宛先は、単に決まり切ったルールに従えば自動的に理解できるとは限らない。作品にはときおり、即座には理解できない不規則さが含まれており、それを読み解く作業を通して、わたしたちはキャラクターや物語への理解を深めていくのである。


 吹きだしの宛先を考える上でとても印象的な例が『ONE PIECE』の第六話にある。それはゾロがルフィと手を組む場面だ。

 ルフィはモーガン大佐、そしてその息子ヘルメッポと戦っている。ルフィがモーガン大佐に一方的に攻撃を決め続けていたそのとき、ヘルメッポは卑怯にもコビーを人質にとり、「こいつの命が惜しけりゃ動くんじゃねェ!!!」と遠くからルフィを脅す。ルフィはその遠いヘルメッポめがけ、ゴムゴムの銃を放つ。その直後、ふっとんだヘルメッポととともにルフィが大ゴマで描かれている。

図3

 この場面を初めて読んだ読者は、「ナイス」という声をルフィの独り言としてきく。吹きだし口は明らかにルフィに向いており、これが彼の声であることは間違いない。ゴムゴムの銃はあやまたずヒットしヘルメッポは見事に吹っ飛んだ。ルフィの視線は前方を向いており、明らかにその吹っ飛んだヘルメッポを捉えている。ルフィの「ナイス」は、その吹っ飛んだ結果に対してつぶやかれているに違いない。だが、「ナイス」とつぶやくほどに自身の攻撃の結果に慢心しているルフィの背後から、モーガン大佐が斧を振り上げて迫っている…

 しかし次のページで読者はこの解釈が間違っていたことを知る。なぜなら意外にもモーガン大佐は仰向き、次のコマでは三つの剣を振り終えたゾロのうしろで倒れているからだ。そして、読者は、自分がルフィの声の宛先を読み間違えていたらしいことに気づく。

図4

 ルフィは後ろを振り向くことなく「ゾロ」と呼びかけている。視線こそ向けていないが、それは明らかにモーガン大佐を倒したゾロに対する呼びかけに違いない。ということは、先にルフィが前方を向きながら発した「ナイス」という声もまた、ゾロに視線を向けることなく、ゾロに対して発せられたことばであり、「ナイス」と「ゾロ」は続けてきかれるべき声だったのではないか。続くゾロの反応を読むことによって、この気づきは確信へと至る。なぜなら、ゾロは「お安い御用だ」「船長」という二つの吹きだしによってルフィに応じているからだ。二つの吹きだしは「○○」「相手の名」という形式を為している。それは「ナイス」「ゾロ」という二つの吹きだしと同じ形式ではないか。

 もちろん読者は、ゾロがルフィのことを「船長(キャプテン)」と呼ぶその言葉遣いから、ゾロに芽ばえたルフィに対する忠誠を読み取ることができる。しかし、この場面の魅力はそこだけではない。ここでゾロは、ルフィの吹きだしの形式を(つまりルフィの口調を)そっくり真似て応答することによって、ルフィへの信頼を表しているのだ。それも、読者がたやすくその宛先を間違えてしまうほどに紛らわしいルフィの声を、視線を交わすこともなく、的確に理解することによって。

 もしルフィの二つの吹きだしが、モーガン大佐の倒れているコマの中にまとめて「ナイス」「ゾロ」と書き込まれていたら、わたしたちはよりたやすくルフィの声の宛先を理解できただろう。しかし、セリフに対する印象はこれほど高くはならなかったに違いない。ルフィの視線につられて「ナイス」の宛先を間違えた読者は、視線を交わすことなくその宛先を的確に読み取りルフィに応じたゾロにかなわない。かなわないことによって読者は、ここで達成されたルフィとゾロの新たな関係にもまたかなわない確かさを感じることになる。

 吹きだしの宛先を誤読し、宛先を捉え直すこと。それは単に、マンガを読み損なうことではなく、むしろマンガを読むために必須の行為でもあるのだ。


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