ブサイク女子と美少女が入れ替わったらどうなる?──『宇宙を駆けるよだか』の巻

ブサイク女子と美少女が入れ替わったらどうなる?──『宇宙を駆けるよだか』の巻

川端志季宇宙を駆けるよだか』は、ブサイク女子の怨念がさまざまな事件を巻き起こすSF少女マンガである。ブサイクな自分に絶望した高校一年生「海根然子」が、ある方法によって、同じクラスの美少女「小日向あゆみ」との入れ替わるところから物語ははじまる。

入れ替わりモノというと、最近では『君の名は。』が有名なのかもしれないが、やっぱり忘れちゃいけないのが、『転校生』である。同作は、中学生の尾見としのりと小林聡美が階段からゴロゴロ転げ落ち、中身が入れ替わってしまう「おれがあいつであいつがおれで」状態が愉快な青春コメディ映画。ついでなので言っておくと、一瞬だが小林のおっぱいを拝むことができる。

これら入れ替わりモノでは、たいてい「男⇔女」が事故的に入れ替わる。突然異性になるからこそ、自分の身体がどうなっちゃったのかを確認するシーンが楽しかったりする。しかし『よだか』は「女⇔女」の入れ替わりなので、「男⇔女」ほど劇的に入れ替わりを描けない。女としてのディテールをちゃんと描き分けないと、ふたりの入れ替わりにインパクトが出ないのだ。

では、然子とあゆみのディテールがどうなっているか見てみよう。まず然子は、身長が低くて、太っていて、顔にいくつもニキビがあって、異様に長い黒髪は、最後にカットしたのがいつのなのか謎。「デブス」というひどい蔑称があるが、まさにそんな感じだ。対するあゆみは、ショートカットの似合うスラっとした美少女で、お肌はつるぴか。どの要素を取っても、ふたりは対照的である。それはもう残酷なほどに。

海根然子
小日向あゆみ

とくに、然子のおかしな前髪が、妙にリアルでもの悲しい。少しでも美しく見せようとがんばるのではなく、とにかく欠点を隠す方向に行った結果、こういう髪型になってしまう女子は、実社会にもたくさんいる。作中、然子と入れ替わってすぐのあゆみが、バレッタで前髪を留めて登校すると、クラスメイトに「そのバレッタかわいーっ」「前髪そうやって上げてたほうがいいよ!」と言われるシーンがあるが、たったそれだけのことが、かつての然子にはできず、あゆみにはサクっとできてしまう。そのこと自体が、ブサイク女子のコンプレックスの根深さを物語っている。わたしのような女がバレッタなんておこがましい、みたいなことを本気で思っているのが、ガチのブサイク女子なのだ。

然子にはもはや自分の身体をどうにかして美しく見せようという気などない。小まめにお肌の手入れをするとか、その手の努力を全て放棄して、諦めモードに入っている。努力→改善のルートを辿るのがブサイク女子の王道だとすれば、それを諦め、本気で他人になろうとしている然子は、あきらかにブサイク女子の側道を行く、珍しいタイプのキャラクターだ。しかし、自分自身への愛着が一切無いからこそ、死ぬかもしれない危険を冒してあゆみの身体に乗り移れたとも言える。

どっからどう見ても やっぱり私ってブスだわー

せっかく入れ替われたんだし

今日からわたしが小日向あゆみとして生きるね

そう語る然子は、これまでの人生には何の未練もないとばかりに、ブサイクだった過去を消去し、美人としての未来に逃げ延びようとする。しかし、入れ替わった事実が周囲にバレないよう、つねに目を光らせていなければならない状況は、時効を待つ犯罪者とどこか似ている。せっかく美しい身体を手に入れたはずなのに、ぜんぜん幸せそうじゃない。というか、入れ替わる前よりもネガティヴになったように見える。イライラして、つい顔を歪めてしまったり、爪を噛んだりしているあゆみの顔は、造りこそ美人なのかもしれないけど、ちっともかわいくない。

一方あゆみは、然子の見た目になったことで、ブサイクに対する世間の厳しさを知ることになる。

あれ…なんだろう

いつもと同じ学校なのに

知らない世界に来たみたい

と語る彼女は、これまで知り得なかったブサイク女子の辛さを理解するようになる。見た目で差別されたことなんかない女子が、他者理解への第一歩を踏み出すのだ。

ブサイクは、ただ生きているだけでばかにされ、クラスから存在を消され、話すら聞いてもらえない。つまりブサイクは孤独であり、その孤独をこじらせると、自分がこの世界にいていいのかどうかさえわからなくなってしまう。そのことを痛感したあゆみは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら元に戻りたいと訴えるのだが、両親に愛されすくすく育ってきた人生が土台にあるためか、比較的早期にこの運命を受け入れ、乗り越えようとする(立ち直りが早い!)。

私はあなたとは違う!!

もう元の体に戻れなくても!

この姿で

ここから

あなたが悔しがるほど

幸せになれる!!

ここで注目してほしいのは、少年マンガのヒーローみたいな啖呵を切るその顔に、もうニキビがないということ。あゆみの健全な精神とリンクするかのように、身体が変化している。相変わらず、小柄で太ってはいるけれど、暗くて卑屈だった然子の影はすっかり消えている。少女マンガのブサイク女子たちは、最終話に向けて少しずつかわいくなっていく傾向にあるが、あゆみの心を持った然子もまた、その傾向どおりにかわいくなっている。

このポジティヴブサイクとネガティヴ美人の対決をリングサイドで見守るのが、あゆみの彼氏である「しろちゃん」と、あゆみにずっと片想いをしている「火賀」である。彼らに与えられた課題は、ブサイクになってしまった女を愛せるか、ということに尽きるわけだが、しろちゃんも火賀も、あゆみの見た目ではなく中身を取る。

今の海根さんが一番かわいいんだよ

俺にとっては

 

と火賀が言えば、しろちゃんも

それなら俺だって

姿なんて関係ない

離れていてもずっと好きだった

今でも

…好きだ

と顔を赤らめる(ちょっとややこしいが、このシーンでは、火賀と入れ替わってしまったしろちゃんが顔を赤らめている)。ふたりとも、なんて性格がいいんだ。生理的に無理とか、そういうことを言わないの、マジで偉い。

学園トップレベルのイケメンふたりが「見た目は関係ない」と言い切る展開は、多分に少女マンガ的だが、おそらく、いくら見た目はあゆみでも、その口から然子の卑屈で攻撃的な言葉が出てくることに、引いてしまったのだろう。「主導権は常に外見が優れた人間にある/あんたら美形はいいわよね/キレイごと並べてればそれで正義になれるんだから」なんて言われたら、いくら好きな女の顔でも、気持ちが萎えるというものだ。

つまりこの物語において、ふたりのイケメンから選ばれたのは、「かわいい子」ではなく「明るく前向きな子」だったのだ。もちろん、最初から海根の見た目だったらここまで好きになっていたかはわからないけれど(どんな人間にだって、好みの見た目というのはあるだろうから)、美人なだけではどうにもならないと考える良識的な王子様を前に、海根は敗北を認めるしかない。こうして、あゆみの身体を乗っ取る計画は、ついに破綻を迎える。

宇宙を駆けるよだか』は、美人とブサイクの入れ替わり、というSF的な要素を入れ込むことによって、美醜の問題を浮かび上がらせつつ、ブサイクだからって卑屈になるな、ブサイクのどん底から幸せをつかみ取れ、というわりと体育会系な結論へと至っているが、美男美女が「他人事」としてブサイクに同情するのではなく、実際にブサイクと入れ替わることで、その大変さを「自分事」として知るという「ひと手間」がある(ラスト近くでは、わけあって、しろちゃんも火賀も、海根との入れ替わりを経験している)。そういう意味で、ブサイク理解が結構フェアな作品だと言えるんじゃないだろうか。


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