『二つの「この世界の片隅に」』extra

2017/10/04 5:01

 闇市の帰りにいつの間にか帰り道がわからなくなってしまったすずは、遊郭の中に迷い込み、そこで初めてリンに出会う。初対面の二人は、原作のマンガ版で、ちょっと気になる会話を交わす。

リン「あんたもよそから来んさったんじゃろ 広島?」
すず「ほうですけど 何で!?」
リン「うちも広島に居ったんよ そんとな柄の入った着物を持っとったけえ なんとのうね」

 リンは、古いよそいきをアッパッパに直したすずの服を指でさして「広島で流行った柄なんじゃろか」と不思議がる。

(『この世界の片隅に』中巻22ページ )

 初めて読んだときは、さして不思議にも思わず読み過ごした会話だが、読み終えてから改めて『大潮の頃』を見直していて、ようやくあっと気がついた。

 すずのアッパッパは、すずが子供の頃、草津のおばあちゃんが仕立ててくれた着物なのだ。そして、着物の布は少し余ったらしく、おばあちゃんの道具箱に収められている。

(『この世界の片隅に』上巻30ページ )

 さらによく見ると、天井から降りてきた「ざしきわらし」が着ている服には、すずの着物と同じ柄が当てられている。

(『この世界の片隅に』上巻28ページ )

 わたしが知っている「ざしきわらし」といえば、宮澤賢治の童話に出てくる「ざしきぼっこ」だ。10人いたのがいつの間にか11人いる。目に見えるのだけれども夢だかなんだかわからない。ことばはやりとりできるけれど、気がついたらもういない。ざしきぼっこがいなくなるとその家は落ちぶれ、ざしきぼっこが来るとその家は栄える。「こんなのがざしきぼっこです」と賢治が書くので、そんなのがざしきぼっこだと思っていたのだが、どうもこの『大潮の頃』に出てくるおばあちゃんとざしきわらしの関係は、ちょっと違っている。

 どうやら、おばあちゃんは、すずの新しい着物を仕立てるかたわら、ざしきわらしの服にもツギをあててやっていたらしい。となると、「放っときゃあとで食べに来んさってよ」というおばあちゃんは、ただざしきわらしの存在をおとぎ話を信じるように信じているだけでない。少なくともおばあちゃんにとってのざしきわらしは、単にいつのまにか現れていつのまにかいなくなる言い伝えのなかの存在ではなく、着物のやりとりができるほどに親密な関係だったのである。

 ざしきわらしは、実はおばあちゃんと普通にやりとりできる当たり前の子供だったのかもしれないし、逆に、おばあちゃんはざしきわらしに着物を仕立ててやるくらいちょっと謎めいた人物なのかもしれない。わたしは当たり前の子供と謎めいたおばあちゃんの組み合わせがいいと思うけれど、このあたりは人によって意見が分かれるだろう。

 「大潮の頃」に埋め込まれた、すずとざしきわらしの「柄」の一致は、もしことばにしてしまったなら、即座に何かの伏線として読者に感知されてしまうだろう。それはマンガの絵としてさりげなく描かれているがゆえに、読者の目に入ったあと、あたかも道具箱にしまわれるように意識の下に潜り込み、再読のときまで気づかれずにいるのである。

 マンガ版では、すずのアッパッパの柄は、リンの目に止まり、リンの遠い記憶を呼び覚まし、リンの来歴をさりげなく明らかにしている。一方、アニメーション版では、リンとすずとの関係は少し違う形で描かれている。

「あんたも広島の南の…海のほう?」
「ほうですけど、なんで?」
「ことばで」
「ほう、江波とか」
「草津とか」
「草津…!毎年おばあちゃんがたでスイカ食べたねえ」
「うちゃあ貧乏じゃったから、人の食べた皮ばっかりかじっとったよ。いっぺん親切してもろうて、赤いとこ食べたねえ」

 このように、リンはすずの素性をまず訛りで知る。さらにお互いにすいかの記憶を語ることによって、二人に共通するすいかの思い出を見るものにさりげなく示している。

 では、アニメーション版では、マンガ版に描かれた着物の柄のえにしは見過ごされているのだろうか。いや、そんなことはない。台詞には現れないけれど、天井から降りてきたざしきわらしの着ている服には、確かにすずと同じ柄のツギが当てられている。アニメーション版を何度か見直すと、手前ですいかの皮をしゃくっているざしきわらしと、部屋の奥にいるすずとは、まるで姉妹のように同じ柄をまとってやりとりをしているのに気づいて、見る者は胸がつまるような気にさせられる。

 おばあちゃんは、ざしきわらしのことを話すとき、すずだけに聞こえるように、そっと耳打ちする。ざしきわらしとおばあちゃんの密かな交流を明かすようなこのしぐさは、アニメーション版独自の演出だ。

***

 アニメーション版では、遊郭からの帰り道、すずの脳裏に草津のおばあちゃんの家、縁側に置いてあるすいかの皮の記憶が甦る。すずの口元は、懐かしい記憶を探り当てたうれしさをこぼすように、微かに笑む。そして三ツ蔵の前を通り過ぎるときにはすでに駆け足になっている。

 一方、マンガでは、海軍のセーラー服とすれ違い、遊郭の看板のある入口まで来ても、すずはまだ真顔だ。そして、「郵便局」という文字のあるところで、すずはようやく笑顔になる。

(『この世界の片隅に』中巻25ページ )

 それは「郵便局まで降りて」というリンの案内通りの文字を発見したせいかもしれない。あるいは見知った場所に出てようやく、新しい朋輩を得たよろこびがこみ上げてきたのかもしれない。

 この場面を再読するとき、わたしたちは、微笑むすずの着ているアッパッパの柄が大きく描かれていることに目をとめる。すずはリンとの記憶をまとっている。下駄履きの足が浮き上がる。すずは自分のまとっている記憶に弾かれたように駆けだしている。そこから三ツ蔵までは、もうすぐだ。


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細馬宏通
1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。声と身体動作の関わるいろんなことに興味を持っています。高齢者と介護者の声とからだの動きをとらえ直す「介護するからだ」(医学書院)、古今東西の歌のきこえ方を論じる「うたのしくみ」(ぴあ)の他、「今日の『あまちゃん』から」(河出書房新社)、「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」(新潮選書)、「浅草十二階(増補新版)」「絵はがきの時代」(青土社)など著作多数。最近は雑誌「ユリイカ」をはじめあちこちでマンガについての論考を書くようになりました。バンド「かえる目」では作詞・作曲とボーカルを担当。