悲しみマンガの傑作・ヤマシタトモコ「違国日記」

2018/01/25 12:00

最近気づいたことなのだけど、「悲しみマンガ」が好きなのです。

「悲しみマンガ」? 「悲しいマンガ」じゃなくて?

「悲しみマンガ」というのは、なにかドラマティックな悲劇が起こるとか、そういう類のマンガじゃなく、どっちかというとその真逆で。悲しみがしっかりと描かれているマンガ、とでも言いますか。

私たちは自分の抱える悲しみについて、自分が思っているほどクレバーに接しているわけではない。

本当は悲しいのに、その感情を押さえ込んで悲しくないフリをして生きていたり、

その習慣が固定化されてしまっているせいか、冷静に見てとてもとても悲しい状況なのに、涙がうまいこと出てこなかったり、

あるいはとにかくやたらと悲しい気持ちになっているのだけど、その悲しみはいったいどこから来ているものなのか、自分でもよくわからなかったりする。

そういうときに、悲しみと向き合って描かれたマンガを読むと、自分の抱えている悲しみの正体に気づいたり、こんがらがった悲しみが解きほぐされていくような感覚を覚えたりするのです。そういうのを、なんとなく「悲しみマンガ」と呼んでしまったのですが。

今回ここで紹介する1巻、ヤマシタトモコ「違国日記」は、思いっきりそういうマンガです。

ここから先、多少のネタバレがありますので、すでに気になった方はさっさと1巻を読んでください。試し読みはこちらで第2話のみ読むことができます(第1話ではなく第2話を試し読みにしたの、なんとなくわかる)。

第1話、二人の女性が登場します。

帰宅してきたのは、高校3年生の朝(あさ)。家にこもって仕事をしているのは槙生(まきお)。作家です。

朝が台所で食事を作り、仕事が一段落した槙生と一緒に食べる。他愛もない会話を交わしたりなんかしつつ。

そんな日常的な風景が描かれて、1話は終わり。表札にある、朝と槙生の名字がそれぞれ違うので、親子ではないのかもしれないけど、仲の良い二人だということは伝わってくる。そういう日々の暮らしをつづっていくマンガなのかな、と思っていたら。

第2話。

ここで3年前の出来事が明かされます。

交通事故で両親を失った朝。警察署で呆然としているところへ、朝の母親の妹である槙生が駆けつけます。槙生は姉と不仲が続いており、朝と会うのもかなり久しぶりだったのですが。

槙生は朝をカフェへ食事に連れ出します。一通り食べ終わった朝に、槙生はこう聞きます。

うまく答えられない朝に、「悲しくなるときがきたら そのとき悲しめばいい……」と言う槙生。作家ならではの、核心を突いた言葉選びという感じがするし、それを(変に子供扱いせず)中学生の朝にしっかりとぶつけるのも含めて、槙生のキャラクターがよく表れている場面だと思います。

親類縁者が集う席。身寄りのない朝を誰が引き取るかの話し合いがされますが、どの親戚も朝がいる前でああだこうだとなすりつけ合いをする始末。あちこちをたらい回しにされるのか、との想像が朝の脳裏によぎったとき、たまらず槙生が口を開きます。

そして槙生は、朝を引き取ることを宣言するのでした。

ここから二人の共同生活が始まっていくわけですが、それもまたいろいろと見どころがありますので、続きはぜひコミックスで。

この流れだと、両親を失った朝の悲しみを、槙生がゆっくりと解きほぐしていく作品のように思えてきますけど、しかし槙生自身もまた姉に対する整理のつかない感情があったりして、そこがどうやって描かれていくのかも楽しみです。

最後に、1巻でハッとさせられたコマを紹介して終わろうと思います。

日記帳なり、ネットなり、アプリなり、今までいろんなところで日記を書いてきましたけど、それまでの日記観を根底からくつがえされるような衝撃を受けました。槙生はこういう「人生の真実」みたいなセリフをサラッと言ってくる。

というわけで、ヤマシタトモコ「違国日記」1巻、超おすすめです。マンバの感想掲示板にもたくさんコメントが集まっていますので、ぜひ参考にしてみてください。


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前田隆弘

顔のこわさに定評のある編集者。広域指定編集業。著書に、同世代のクリエイターたちに「今の死生観」を聞いた「何歳まで生きますか?」(パルコ)がある。幼少期に読んだ「とどろけ!一番」の影響で、物心ついたときから「右手に鉛筆・左手に消しゴム」というスタイルで勉強してました。