2018年の今、新井英樹に聞きたい『宮本から君へ』のこと

2018/06/14 6:08

「宮本=エレカシ宮本」説

──ところで、ドラマではエレファントカシマシが主題歌を歌っていますよね。それで思い出したんですけど、「宮本のモデルはエレカシ宮本浩次」説というのを聞いたことがあって……。

それ、よく言われるんだけど違いますね。さっき話したように、最初は自分の経験したことをベースに描き始めたから。ただ、自分にとってエレカシとの出会いは特別なものがあって。もともと音楽好きだったんだけど、「音楽に歌詞なんかいらない、歌詞で何か言いたいんだったら小説にしてくれ」ってずーっと思ってたの。10代の頃に聴いていた洋楽も、一切歌詞の意味も知らずに音だけを味わってた。それが……マンガ家になるかならないかの頃かな? 生まれて初めて「歌詞が面白い」と思ったのがエレカシだったの。

──エレカシのことは好きだったんですね。

もちろん! 特に初期のあの「男のやせ我慢」的な感じが特に良くて。だから自分のことをベースにしたマンガを描こうとするときに、「主人公の名前はどうするか? (好きなミュージシャンの名前だから)宮本にしよう!」と。それと、とにかく俺がいいと思ったものが世の中に届かないってのが嫌で、少しでもアピールしたいってのがありました。なので、別に宮本浩次のことを調べてキャラを作ったわけではなくて。完全に勝手な解釈ですよね。そもそも、本当に初期のエレカシの宮本をモデルに主人公を作ろうとしても、あそこまで過激な人間にはサラリーマンはできない。エレカシの音楽はとても心地よかったし、サブタイトルにもわざとエレカシが付けてたタイトルに近いようなものを付けてたけど、だからといってモデルにしたってわけではないですね。

──スタートした時点では、甲田美沙子がヒロイン然としていますけど、途中で中野靖子が出てきますよね。しかも、いかにも脇役の一人のような顔をして。

『宮本から君へ』第15話より中野靖子の初登場シーン

甲田美沙子って、どこか「手が届いちゃいけない女の子」だったんだけど、「次に恋愛を描くならこういう恋愛にしよう」って思って出したのが中野靖子だったから。で、中野靖子は、最初は絶対にかわいく描かない。主人公のまわりに何気なくいて、視界の端には入ってるんだけど、それと恋愛に落ちるなんてまず考えない。でも現実の恋愛って、こんな感じだったりもするでしょ? という感じでやりたかったわけ。

──ということは、のちのち恋愛関係になっていくことはもう登場した時点で……。

もう決めてた。自転車を二人乗りする場面では、ただの「気の強いお姉さん」なんだけど、宮本の目には徐々にこの人が綺麗に見えていく……というのを考えてた。

『宮本から君へ』第73話より

──確かに、どんどん魅力的に見えていくんですよね。甲田美沙子がちょっと色あせて見えてしまうくらいに。

でも甲田美沙子を作中でおとしめているつもりは全然なくて。個人的には、女のわがままはごちそうなんだよ。振り回されたいという気持ち。ヌーヴェルヴァーグとかの映画に出てくる女って、自由奔放で、一寸先に何をするか分からないでしょう? その憧れがあって、甲田美沙子を描いたんだと思う。その意味では、中野靖子だって「ここでビンタする!?」という、予想もつかないことを急にやるよね。裕奈ちゃんについても言っておくと、あれは裕木奈江の名前から取ったの。だから裕奈ちゃん。

──あっ、言われてみれば。

「愛しのアイリーン」の吉岡愛子も、裕木奈江がベースになってる。

──めっちゃ好きなんですね。

本当に大好きでね。あんな形でみんなから叩かれちゃったけど……。

──人気が出てきた途端、バッシングされてましたね。

あれこそ、ものすごいレイシズムだと思うんだけど。俺、裕木奈江ブームが来る前の「曖・昧・Me」っていう映画で、妊娠しちゃう10代の女の子を演じてたのを見て、「この存在感はすごい!」と思って応援してたのに、あんな形で潰されて。あの当時、編集部に行って裕木奈江の名前を出すと、女の編集者が「あの女は!」と悪口を言い出すから、俺がとうとうと説明したりして(笑)。あれだけ集中的に嫌われるくらいの存在感があったということは、(役者として)ものすごいポテンシャルがあったということなのに、みんなそういうところには注目しなかったんだなあ、って。……何の話をしてたんだっけ?

──『宮本』の女性キャラたちについてです。

そうそう、だからさっき「主人公のためにみんな生きてるんじゃない」って言ったけど、特に女の人を描くときには、主人公に都合のいいことは絶対にやらせたくないって思いながら描いてましたね。

第100話のこと、そしてケンカのこと

──ドラマ版には出てこないと思いますが、原作の後半では真淵拓馬とのやり取りを中心に描かれますよね。宮本と拓馬のケンカのシーン、妙に生々しくて、執拗で、読んでるこっちが痛みを感じるようなすごいシーンでした。

『宮本から君へ』第138話より

あれはケンカをする前段階で、中野靖子に対して「ああいうこと」をして申し訳ないという気持ちがあって。この流れであのバカな主人公が決着をつけるとしたら、それはもう「ケンカに勝つ」というバカなことをやるしかない。でも、宮本が拓馬にケンカで勝つことと、中野靖子の傷が癒えることって、まったく関係がないし、意味もない。

──勝っても意味がないということは、作中で中野靖子も言ってましたね。

だから俺もケンカのシーンを描きながら、「中野靖子、許してくれるかな? 許してくれないよな……」と思っていて。「でもここはやるしかないんだ!」って自分に言い聞かせてた。そのストレスをケンカのシーンにぶつけてたというのはある。あとは、連載100回記念の巻頭カラーで「あれ」を描いてしまったから、もうボロクソに言われて。「あれ」があったせいで連載が短くなったというのもあるんだけど。

──えっ、そうなんですね。でも批判はされつつも、それだけ注目されていたということでもあるのでは?

うん。片方で、あれがあったせいでマンガ自体は残った、というところもある。あれ以降ずっと連載を続けてても、ぐるぐる同じところを回ってるだけのマンガになっちゃうかもしれない。それは嫌だった。だから……終わってみたら、あれでよかったんだなと。

──やっぱり週刊連載って、人気の順位は意識せざるを得ないわけですか?

順位がどうこうって考えたのは最後のほうだけかな。あとは考えたこともなかった……っていうと編集部に怒られるんだけど。だって、雑誌内で順位気にしてどうすんの? そんなの意味ないじゃん、って思ってたから。『宮本』はもともと「暑苦しい」とか「嫌いだ」とか言われてたんだけど、「あれ」を描いたことで、もう決定的に読者に嫌われてしまって。アンケートでも毎週ぐだぐだ言ってくる読者がいたんだけど、でもケンカが始まって、宮本が攻勢に出た途端にアンケートの順位がドカッと跳ね上がって。それでまた頭に血が上って(笑)。

──お前ら、あんだけ言いやがったのに!

そうそう、「ふざけんなよ!」って(笑)。そういうことも含めた、「こんなケンカ、勝っても意味ないんだからな!」という思いがあのシーンには込められてますね。

恋愛もので親子関係を描く必要性

──真淵拓馬の一件が終わって、この流れで終わっていくのかな……と思っていたら、そこから今度は親子関係にスポットを当てたのはちょっとした驚きでした。男女の関係性を描き、仕事での関係性を描き、男同士のぶつかり合いも描き、さらに家族関係まで描くって、もう全部カバーするつもりなんだなと。

結婚するしないの流れになったときに、まあ結婚自体がある意味「家と家とのつながり」という部分もあるんだけど、たとえばサラリーマンもののマンガで、会社だけで完結するようなものが嫌だったの。恋愛って、脳が暴走して、狂った状態で二人が絡み合う状態になるわけだから、そのうっとりしている当事者に冷や水を浴びせるのって、やっぱり家族だよなと思って。

──「主人公に冷や水をぶっかける」というのは、このマンガで一貫してやってきたことですよね。

そうすることで、自分が描いているキャラクターがちゃんと地面に足がつくような感じがした。とにかくふわふわして浮かれてる状態というのが嫌だから。マンガ家になってから改めて「ふぞろいの林檎たち」を見直したら、本当に傑作ドラマだなと思ったの。あれって恋愛ものって言いながら、家族の嫌な部分ばっかり出てくるし。それがおかしくって。「でもこれなんだよなあ」と思った。

──恋愛ではあるんだけど、嫁姑関係がものすごく影響を与えていますよね。

そうそう。あのドラマって4まであるんだけど、4になると、かつて若かった主人公たちが結婚して子供がいたり、離婚したりしてて、青臭いところからずいぶん離れてしまっているんだけど、中谷美紀と長瀬智也が演じる、昔の自分たちと同じような歳の若者が出てきて、「大人は汚い!」ってブーメランのように言われてしまう。昔、若い自分が言ってたことを、大人になった自分が言われたときにどうするのか?っていうリアリティ……というか落とし前の付け方がすごくいいなと思って。だから、俺にとってはドラマ版の『宮本』がまさにそれで。といっても、自分はあんまり成長してなくて変わってないから、そんなにグサッとは刺さらないんだけど(笑)。でも照れはある。「こんな青臭いやり方でやってたんだなあ」って。

自意識が肥大化しやすい時代に、『宮本』はどう受け入れられるか?

──今もまだ宮本目線は自分の中に残ってはいる?

もう全然、まる残りで。結局、そこから30年近く経っても、言ってること変わってないんだ……っていうのがショックで。ショックと安心と両方あるんだけど。

──『宮本』を描いているときは、「これは通過点で、10年20年経っていったら、自分も作風も変わっていくというか、大人になっていくんだろうな」と思ったりはしていた?

いや、もう宮本を描いている途中で、「これは成長しないわ、俺」という感覚があった。「考え方が固定化するのは嫌だけど、もともと持っていた腹に据えかねるようないらだちとか怒りは、たぶんもう変わらないんだろうな」って。「何でも描きたい」「何でも描いてます」って言ってきたんだけど、でもやってることは全部一緒だった、っていう。ただ、これは持論なんだけど、どんなジャンルを描いていたって、ちゃんと人間を描いていれば全部成立するはずなんだよ。だから、都会のサラリーマンものを描いたあとに、田舎のパチンコ屋に勤めてる女日照りの男を描いても、殺人鬼と怪獣の話を描いても、基本的にやってることは変わらない。それは『ザ・ワールド・イズ・マイン』あたりの時期に自覚したことなんだけど。たぶんアプローチの仕方を変えてるだけなんだと思う。「やってることは変わらない」と言っても、ずっとそれだと飽きちゃうから、もうちょっとそれに抵抗して違うことをやりたい……という気持ちはあるんだけど、芯の部分はなかなか変えられないんだよね。「嫌いなものは嫌いだ!」と言っても、昔に比べると許せるものは増えてきたんだけど。でもそのぶん嫌いなものがよりくっきりとしてきた。

──ドラマの『宮本』は、今の若い人にはどう見えていると思いますか?

「自分の自意識の暴走が嫌だ」と言いながら、自意識モンスターみたいな宮本を描いていたんだけど、もし今の若い子がドラマで宮本を見て、当時よりも受け入れやすくなってるんだとしたら、「あっ、やっぱり」って思う。

──「やっぱり」というのは?

要するに、SNSをやっていることで、自意識が暴走してるやつが増えてるんだろうなと。連載当時に嫌がってたやつは、その自意識を見たくないというのがあったと思うんだけど、もし今宮本を見て「わかる」という感覚の人が増えてるとしたら、それは世の中全体が自意識に振り回されているからだと思う。

──実際にネットで評判を読んだりしたんですか?

ドラマがスタートしてからは、やっぱり評判が気になるからいろいろ検索してたんだけど、「うっとうしい」「暑苦しい」という感想もあったから、まあそういうのは変わらずあるんだなと(笑)。

──ありきたりな言い方になっちゃいますけど、時代が変わっても、受け入れられる人には受け入れられるし、受け入れられない人には受け入れられない。

当時はよく「露悪的だ」と言われたけど、俺は「みなさん本当はそうでしょ?」っていうつもりで描いてるから。「みんなそれを醜いものとして切り捨ててるけど、魅力のひとつだと思えばいいのになあ」って思う。欠けているところがあるから魅力的で面白いんじゃないの?

──バランスのいいパラメータを求める傾向は、より強くなってるかもしれないですね。

10年くらい前、「RIN」を連載してるときにNHKの取材が来たんだけど(NHK-BS「マンガノゲンバ」)、そのときに天才について話をして「世の中は、何か一つ秀でた天才というものに、人格とか他のものまでくっつけたがる。それが我慢ならない」と言ったんだけど、出演者の方が「天才は才能の部分が突出してて、他の部分が見えにくいから欠けてるように見えてるだけで、本当はちゃんとしてる」みたいなことを言ったの。でも俺はそれは違うと思う。ある部分の能力は突出してるのに、他の部分で「何やってんのこの人?」というのがあったりするし、なけりゃ人間じゃないし。「そこをダメだと否定するから世の中ギスギスするのであって、もっと欠落とか欠陥とも思える部分が魅力として面白いと思えるような世の中になったらいいのになと。過度の期待や希望はやめといたほうがいい」と思ってますね。

 

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前田隆弘

顔のこわさに定評のある編集者。広域指定編集業。著書に、同世代のクリエイターたちに「今の死生観」を聞いた「何歳まで生きますか?」(パルコ)がある。幼少期に読んだ「とどろけ!一番」の影響で、物心ついたときから「右手に鉛筆・左手に消しゴム」というスタイルで勉強してました。