第21回文化庁メディア芸術祭/マンガ部門新人賞『甘木唯子のツノと愛』 久野 遥子 ✕岩井俊二トークイベントレポート

2018/08/07 12:00

写真:池ノ谷侑花(ゆかい)

こんにちは、マンバ通信編集部です。

去年に引き続き、今年も文化庁メディア芸術祭 マンガ部門のトークイベントの様子を、このマンバ通信でいくつかご紹介していきたいと思います。

まず第一回目は、マンガ部門新人賞を受賞した『甘木唯子のツノと愛』に関するトークイベントです。作者である久野遥子さんと映画監督岩井俊二さんのお二人、モデレーターにマンガ部門審査委員でもある門倉紫麻さんを迎えて、約1時間ほど受賞作品を中心にお話されました。

第21回文化庁メディア芸術祭受賞作品展 『甘木唯子のツノと愛』の展示スペース。よくみると久野さんご本人の直筆サインが。

イベントレポートの前に、ちょっとここで久野遥子さんのプロフィールをご紹介。

久野遥子
1990年生まれ、多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。在学中から、少女や動物、ヤンキーをテーマにしたイラストレーション、立体物、アニメーション等を制作。在学中の2010年に第12回えんため大賞[特別賞]を受賞し、月刊コミックビームよりデビュー(「久野酸素」名義)。2013年に卒業制作として発表したアニメーション『Airy Me』では、第17回文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門新人賞を受賞。卒業後はアニメーション制作の道へと進み、岩井俊二監督作品『花とアリス殺人事件』でロストスコープアニメーションディレクターや『映画クレヨンしんちゃん  襲来!! 宇宙人シリリ』のキャラクターデザイン等を務める傍ら、マンガ雑誌 コミックビームにて『甘木唯子のツノと愛』を連載。表題作含む4編をまとめた初の単行本『甘木唯子のツノと愛』が、今回の文化庁メディア芸術祭 マンガ部門新人賞を受賞しました。

『甘木唯子のツノと愛』の表紙原画

表題作の『甘木唯子のツノと愛』は、母親と離れて暮らすツノのない兄とツノのある妹(甘木唯子)の物語。自分たちを捨ててニューヨークで暮らす母のことが許せない兄は、妹のツノを使ったある秘密の”特訓”を続けていた。妹が中学校へ入学してすぐ、二人はその母が亡くなってしまったことを父から知らされる……。

上のプロフィールにも書かれていますが、受賞作『甘木唯子のツノと愛』は、4編の読み切り短編からなる単行本作品です。どのお話にも共通して言える魅力は、久野さんの頭の中からムクムクと生まれてきた “すこし不思議” な設定が、ストーリーや登場人物をうまく引き立てているということと、1コマ1コマの構図力の素晴らしさ。上から下から斜めからといった縦横自在な視点での描き分けは、コマを目で追うごとに動きが生まれ、絵が勝手に映像化されているかのような感覚を楽しむことができます。まだ読んだことのないという人はココで『甘木唯子のツノと愛』第一話が読めますので、ぜひ読んでみてください。

岩井さんが久野さんの才能を認めるきっかけとなったアニメーション『Airy Me』とは

門倉 よろしくお願いします。まずはじめに、久野さんと岩井さんのお二人にどういう関わりがあるのかというところからお話しいただけたらと。もともとはどういった繋がりがきっかけとなったのでしょうか。

久野 もともとは私の大学(多摩美術大学)の先生だったアニメーション作家の野村辰寿さんと岩井さんがお友達でして、野村さんを通して紹介してもらいました。大学を卒業してから半年ぐらいの間は別の会社にいたんですけど、『花とアリス殺人事件』という作品を作る際に岩井さんの事務所に入るお話をいただきまして、そこから一年半くらい働いていました。

門倉 岩井さんはどうして久野さんに入ってほしいと思われたんですか?

岩井 野村さんとは飲み友達でもあるんですが、ある時電話がかかってきて「とんでもない逸材がいるので岩井さんの事務所(ロックウェルアイズ)で預かってもらえないか」という依頼があったんです。それで、久野さんの卒業制作『Airy Me』を見たんですけど、衝撃でしたね。その後、野村さんと「彼女と同じ年齢(22歳)の時、俺たちこんな技術は持ってなかったよね。すごいね」って言った覚えがあります。これはやっている人ほど衝撃受けたんじゃないかって。

門倉 なるほど。アニメをやっている方ほどってことですよね。

岩井 そうですね。普通の人が見てもすごいんでしょうけど、アニメや絵をやっている人の方が「どうやったらこの域に至れるのか?」とショックだったんじゃないかなと思いました。

Airy Me(久野 遥子)| Airy Me (Yoko KUNO)

2012年度卒業制作 音楽:Cuushe

門倉 久野さんは今回、マンガ部門の新人賞を受賞されているんですが、前にアニメーション部門でも新人賞を受賞されています。それがいま岩井さんがおっしゃった『Airy Me』というアニメなんですが、それがすごかったと。

岩井 そうですね。この作品はものすごく縦横無尽に動くアニメなんですけど、三次元空間を別にCGでシミュレーションしたわけでもない中で、手書きで描いたっていうその空間のパースペクティブが崩れずに脳内で再現できるという。プラス、それをやろうと思ったっていうところがね。

門倉 実際にやろうと思ったこと自体がすごいという。

岩井 そうですね。デビュー作のアニメも見たんですけど、そこから『Airy Me』へ行き着く、学生時代の飛躍がなかなかすごいなと思いました。

門倉 久野さんは岩井さんがそこまで絶賛されていたのはご存知だったんですか?

久野 初めてお会いした時、本当に緊張しててほとんど喋った記憶がないです。

思いもよらない発想力とパースコントロールの素晴らしさ

門倉 そうなんですか。マンガ家としてのデビュー作はこちらですけど、それ以前からの別名義(久野酸素)の作品もご覧になってましたか?

岩井 マンガも会ってから見せてもらいました。マンガ作品も10代の早い段階から描いていて技術も非常に高く内容もなかなか面白いんですけど、このあたりも独特で。本当によく思いつくよなと思いました。僕なんか日常的なところからネタを拾ってきて話作っている程度なので、自分にはないその独創性っていうんですかね。例えば、あるサーカス小屋があって、そこの目玉だった虎が死んだってところから始まる『へび苺』の話とか、そもそもサーカスってものが日常から縁遠いと思うし。

門倉 そうですよね。確かに。

岩井 虎が死んだというところからどう展開するのかと。あり得るとしたら夢で見たとか、そういう領域に入らないとなかなか……

門倉 はい。思いつかないですよね。

岩井 シュールレアリスムな世界が10代の頃から普通に備わっていたので、これは末恐ろしいなっていう風に思っていましたよ。

門倉 久野さんはいま言われてみてどうですか?

久野 実写の現場となると本当にその場所を探して用意したり、演者さんを集めてっていう手順がありますけど、マンガはそこをすっとばせるので、普段からマンガ描いている人にとっては普通なことだと思うんです。

門倉 なるほど。マンガは最初からとんだ発想がしやすいと。

久野 どんなに大変な設定でも、描いてしまえばそこですってことにはなるので。

門倉 単行本に岩井さんがコメントを寄せてくださっているんですけれど、このコメントが素晴らしいのですよね。「チャーミングにうねる線……意思を持ったパース……ちっちゃならせんのツノを中心に回転する物語……気がつけば……見えざる桃色の渦に飲み込まれている」という素敵なコメントを寄せていただいたんですが、これはどういう意図でお書きになったんでしょうか?

岩井 さっきの『Airy Me』を見ていただくとちょっとイメージしやすいと思うんですが、このマンガをアニメーションにするとあのくらい動くようなイメージがあるんですよね。

門倉 わかります。はい。

岩井 彼女の独特なところのひとつがパースのコントロールができていて、さっきのアニメが作れるくらい表現が備わってるわけですよね。彼女の背景にはリアリティがあるというか。もともと人間って生きている中で必須条件としてパース感覚を持っていて、透視図法考えなくてもパースがあっているかどうかってわかるんですね。

門倉 素人でもわかる?

岩井 わかりますね。だけど実際にはそれをアウトプットできないっていう。脳の中では情報処理が行われているわけですけど、アウトプットできない。だから練習してリハビリして出せるようになっていくわけですよ。絵も音楽もまあなんでも、小説もそうかもしれないし。そういう中でいうと、久野さんは最初の段階からいろんなものを出せる、出力機能を持っているアプリケーションだったということなんだと思います。これは感覚的にやっているのかな?

久野 一応、どれにも元になった写真はあるんですけど、二点透視とか三点パースみたいな実際に線を引くことはやらず、割と見た目で描いてしまうことが多いですね。そっちの方がちょうどいい感じ。透視図法のような点がある状態で作って描くと、かえって冷たくなってしまったり、嘘っぽくなったりすることが多いので。目で見て違和感がない方を選んじゃいますね。

門倉 久野さんは絵を描くなかで苦手なことってあるんですか?

久野 マンガをやったり、アニメーションやったり、イラストの仕事やったりってそれぞれあるんですけど、それぞれちょっとずつしか描けないので。やっぱりマンガの絵としてはここが上手くないなとか、アニメの絵としてはここが上手くないなとか、イラストの絵だとこれはよくないなみたいなことをいつも思いますね。

執筆時はアニメ作品と同時進行だったので、かなりアニメの絵に近づいている

門倉 アニメとマンガを同時進行でやっていると、どういうところに難しさを感じますか?

久野 そうですね。マンガは空間っていうものがなくてもセリフが一個あるだけでマンガになるんですけど、普段映像をやっている感覚があるので、しっかり空間があることが説明になるだろうと思ってしまうんです。それによってちょっと理解が遠のく時とか、マンガとしての特質が活かせない時もあるなあと思います。

門倉 なるほど。岩井さん、今のを聞いてわかる感じありますか?

岩井 そうですね。マンガはかなり独特な絵世界の進化の仕方を遂げていますよね。僕の中でその進化の有り様っていうのはちょっと半信半疑なところもあって、小さい頃からマンガと付き合ってきた感覚としては、好きな絵柄と嫌いな絵柄っていうのはあったし。
いずれにしても大友克洋という大きな波が来て、その前の世代の絵が一旦全否定されたような流れを読者として生々しく体験しました。その後、井上雄彦さんが出てきて『スラムダンク』以降、ものすごいリアルな絵の方にいきすぎて、さすがにここまでマンガに必要なんだろうかって思ったけど、それに目が慣れちゃうとそれが普通になってしまう。『バガボンド』も普通に読めてしまうという流れの中で、今度は長く否定されていた手塚絵みたいな作品、久野ちゃんのもちょっとそうですけど、そういう作品が普通に復権してきて。まるで戦国時代みたいですよね。昔のマンガってほとんど背景とかいいかげんだったんですよ。ほんのちょっと描いてある程度だったのが、相当緻密になりすぎている面もある。それこそ写真を使って起こしたものも普通に出て来ているし。本当「やる人」「やらない人」みたいな中で、どれが正解なのかっていうのは、読者が自分で整理するしかない。

門倉 久野さんは、マンガの絵に関してすごくリアリティを追求するようなものとは違う方向に来ていると見ていて思うんですけど、ご自身でもマンガの絵はこういうものだと思って描いていらっしゃいますか?

久野 そうですね。自分の絵の描き方としてあまり線の数が増やせないというか。もともと線が多い人が減らしていくっていうのはマイナスの作業なので、可能かとは思うんですけれど、私は線がそんなに多くない方だったので、これ以上減らすとなくなっちゃうし、これ以上増やすとそれはそれで描けず、マンガの絵とは離れちゃうかなと思います。甘木唯子の話を描いた頃、他に2つアニメの仕事をしていた状態だったので、マンガの絵がかなりアニメの絵に近づいたというか、あんまり動かす時に苦労がないような絵に意図せずなっていたというか。服のシワとかもかなり減らして描くようになっちゃいましたね。

岩井 この剣道のシーンとかね、上手くないと描けないですよ。僕剣道やってましたけど。

(『甘木唯子のツノと愛』第二話 P. 142より)

門倉 確かに。この少ない線で描けてしまうのがすごいですね。

岩井 竹刀の折れ曲がり具合とかね、全然簡単じゃない。知らない人が描いたら失敗しますよ。

久野 授業で剣道やっていたので、触ったことがあるものだとなんとなく描かなきゃいけないツボがわかります。

門倉 あーやっぱりそうなんですね。岩井さんこの表題作でもいいんですけど、この作品集の中でこのお話のここが好きみたいなものはありますか? 印象に残っているコマとか場面など。

岩井 そうですね。ツノっていうね、これはどちらかというと久野ちゃんの中では普通に近いお話だったと思うんですけど、ここに一個ツノを出すことで物語が広がっていきますよね。ちょっとしたメタファンタジーのようになっていくというか。この話に関しては「そこをどう発明するか?」というのがすべての源だという気がしました。そこから先のことは考えなきゃいけないわけですけど、ある種勝手に進んでくれるところもあっただろうし。どうやってトリガーになるアイデア(ツノ)を思いついたのかというのをちょっと聞いてみたいですね。

(『甘木唯子のツノと愛』第一話 P. 133より)

久野 そうですね。絵っていうのは一度人の頭を通したものだと思うんです。どんなにリアルな絵だとしても抽象表現だと思っていて。なので、リアルに描いても適当に描いても、いずれにしてもその本人にしか見えてない世界ということには変わりがないと考えてます。この人にはこう見えるという世界があって、それが源になることで周りが引っ搔き回されたりとか、主観と客観みたいなものが割と絵の物語だと相性がいいなというのが自分の中にあって。絵は人間の脳を通している以上主観性が強いですが、反対に物語自体は客観が無くては描けないと思っているので、絵の物語そのものが主観と客観に思えます。ツノがなくなったり出てきたりするのは、お話として分かりづらいと言われることがあるんですけど、マンガの表現としては相性がいいのかなと思って。その人たちだけの主観みたいなところを描きたいなって思ってツノという題材を使いました。

門倉 ツノありきというよりは、そこが最初だったんですね。

久野 以前からツノのお話は描きたかったというのはあって、この話を描く5年前くらいに一度ネームを起こして、3話分くらい描いたんですけど。その時はもうちょっと具体的な表現というか、ツノ自体がもっと巨大化したりしてたんです。だけど、やっぱりこれは抽象的なもので心の話なのかなと思って、当時のネームとは逆のストーリーになりました。

門倉 そういうことなんですね。

岩井 もともと「見えざるピンクのユニコーン」という言葉があって、それは、なぜ見えないのにピンク色だったり馬にツノがあったりするのがわかるのっていうのが、神様が存在するしないの例えに使われているんです。この作品が割とその言葉にぴったり合う話だなと思ったので、帯には“見えざるピンクのユニコーン”を“桃色の渦”という言葉に置き換えてメッセージを書きました。僕は久野ちゃんはその言葉を知っていて描いているのかなって思っていたんです。だからその言葉について聞いたら「知りません」って言われて。

門倉 作品を描かれる際のアイデアはいつもなんとなく浮かんでいるものがありますか? それとも描こうと思ってぎゅ~と考えを詰めていく方ですか?

久野 この話に関しては描こうと思っていたネタがあって、元々は違う展開のものでしたね。だけど女の子が男の子にツノを刺すまでの話にしようと途中から思い直して、それぞれのキャラクターや関係性の部分は変えました。でもゴール地点だけは変えないようにと。

門倉 そういうことだったんですね。マンガとアニメの仕事を同時進行させるのは、マンガにとっていいことはありますか?

久野 『花とアリス殺人事件』をやるまで私はデジタルで描いた経験がなかったんですけど、一から十までデジタルというのに一回慣れてしまったので、甘木唯子の話はほぼフルデジタルに近いかたちで描き上げました。デジタルの時はCLIP STUDIOというソフトを使っているんですけど、これはアニメーションにも使えるんですよ。だからアニメとマンガを同時にやっている時、ソフトの切り替えがいらないんです。せいぜいペンの設定変えるくらいなので、そのまま地続きでバァーと作業できるんです。

門倉 じゃ、ご自身の中でアニメとマンガはそんなに大きく変えている感じではないと?

久野 そうですねー。そこが楽な部分でもありましたね。

門倉 今日は制作過程の資料を持ってきていただいているんですよね。最初に脚本みたいなものをまず書かれているそうですが、これはネームですかね?

岩井 もう既にネームの状態で上手いっていう。

(『甘木唯子のツノと愛』第一話のネーム)

久野 これはネームですね。これも先ほど話したCLIP STUDIOを使って描いてます。枠線とかはめちゃめちゃラフに引いてますね。

門倉 この背景もズバァーと描いてらっしゃるんですか?

久野 そうですね。でもこの時はなんとなくこの空間をイメージして、資料として写真とか見たりしてやってるんですけど、(投影されたコマを見つつ)ここいくと古いお家というか、4人家族で住めるような感じの生活感ある狭めの部屋の感じのイメージだけは残して、実際描いた時は、本番で描いた時は机とかディティールをもうちょっと足したりとかしていますね。

門倉 この段階でもう背景の完成度が……

久野 この時はまだ他の写真とか見ながら描いていたりするんで、お店とかの見た目とかもかなり変わってたりしますね。

門倉 岩井さん、映画の絵コンテと近いところはありますか? 違いってありますか?

岩井 僕の絵コンテには近いですね。

門倉 確かに岩井さんの絵コンテと似た雰囲気がありますね。

岩井 僕は絵コンテ描く時、少し薄い10%くらいの灰色をのせるんですよ。存在感が出るから。そうすると、線だけの絵に比べて自分の中で対話しやすくなるよね。

久野 そうですね。手前奥が作りやすかったり、影で演出とかするなどの画面上のプランが立てやすいので、ざっくり入れちゃいますね。

門倉 アナログで描くマンガ家さんはここまでがっつり影の表現をやることってあんまりないかもしれないですね。

久野 デジタルだと作業が早いのでバケツでバシバシ置いちゃいますね。

門倉 へぇ~。

久野ちゃんの絵は時代的耐久性があるので20年経ってもバグが発生しない

岩井 アニメーションで人物を描く時は、正面だけじゃなくて斜めからだったりとか、ありとあらゆるアングルが出てきちゃうから自分が追い求めていないようなアングルでも描かなきゃいけないってことが結構あったりするよね。だけどそういう経験を経ていくことでだんだん脳内補完されてどんな角度からでも描けるようになるのかなと。だけど、マンガだけ描いているとアニメーションのような経験はそんなにないので、人によってある段階で止まっちゃうというかそれ以上進化しなくなるので、あるアングルは描けるんだけど、それ一個しかないみたいな人もいるわけですよ。久野ちゃんの作品を見ていると、斜め顔でも一コマ目と次のコマで微妙に違うものを出せますよね。それってやっぱり、アニメの仕事を通して当然のように吸収してやってるからこその表現力だなと思います。

(『甘木唯子のツノと愛』透明人間 P. 14より)

門倉 あーなるほど。

岩井 描けない人の絵はよく見ると、どれも同じ斜め顔だったりするけど、だからこそ久野ちゃんの絵のように微妙な差がついていることが、もうひとつの表現になっていると思うんですよね。

門倉 全部を自在に動かせるからどこでも切り取ることができるわけですね。特に描きやすい場面とかがないわけですから。全部描けるという。はぁーすごいなぁ~。

岩井 一見するとなんの変哲もないかわいらしい絵なんだけど、アニメーションとしてロトスコープ並みに動かせるっていうモデルが中にいるので絵として破綻もしていないですよね。しかも、久野ちゃんの絵は時代的耐久性があって、たぶん10年経っても20年経ってもバグが発生しないですよ。実はマンガの怖いところはそこで、大丈夫だったものが10年後20年後にバグになってる。読者の脳の処理能力が上がるとあの大友さんのマンガですらバグが出て、あの『AKIRA』にも「ウッ」と思うところが発生してくるんです。そういう意味で基礎っていうのはすごい大事なんですよね。

門倉 基礎ですか。

岩井  マンガの世界ではロトスコープのように実写から絵をおこすようなやり方が敬遠されているところもあって、そういう意味でいうと久野ちゃんみたいなタイプが次々と出てくれば、そういったバグもリセットされるんじゃないかなと。久野ちゃんみたいな子たちは基礎として美大に行って、まずは実物をデッサンするところからやってきたわけじゃないですか。そこを端折っちゃった人たちが、ある種一部マンガ界を少し違う方向へ連れていっちゃってるところがありましたよね。言い訳として「別に絵を描いているわけじゃないんだ、物語描いてるんだ」みたいな、昭和の時代からゴリ押ししてきた部分があって。それ以上に上手くなくていいんだみたいな。だけどマンガの世界も時代の流れとともにそういうわけにもいかなくなってきて、井上雄彦さんとか、次々と破壊者が登場してどんどんいい絵に向かっているんですね。その中でさらに多様性が増している。

 

門倉 そうですね。久野さんは今の話を聞いてどうですか?

久野 やっぱりイラスト的な絵になると表現としての流行り廃りみたいなものはあると思うので、確かになるべくリアルなデッサンから離しすぎると時代と合わなくなっていく可能性はあるなとは思っています。私も10年20年経った時にどういうふうに絵が残っていくのか、もちろん古くなっていくんだとは思うんです。だからその分、基礎の部分は捨てないようにとは思っています。

門倉 基礎ができていたら、時代が変わってもちゃんとカスタマイズすれば描けるということで。

岩井 マンガの世界は物語さえ面白ければ許されてきたっていう部分もあった。だけど、その中で鳥山明さんのようなパラダイムシフトを起こすような上手さを持った人が次々現れて、いまのマンガ界ができあがってきましたよね。その中で、ますます高い技術を要求されるようになって、表現の仕方も多様になってきた。マンガの世界をまんべんなく見ていると色んな技があるんだなと思いますね。

門倉 そうですね。いろんな方がいろんな描き方を。

岩井 久野ちゃんのような子が出てきて楽しみですね。僕も読者として、とても楽しみです。

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