『あれよ星屑』完結記念 山田参助さんインタビュー(後編)

今のマンガのフォーマットでは日本兵は描けない

──戦争のことについてうかがいたいのですが。このマンガ、最初は戦後のトボけたトーンが印象的なのですが、終盤かなりハードな戦中の内容になっていきます。これはもともとこういう構想だったのでしょうか?

二人が戦後すぐに出会うっていうものを作る時点で大陸モノになることは必至だと思っていました。マンガで日中戦争ってこれまであまり描かれてこなかったように思うので、「マンガ史的に押さえておきたい」とは考えました。

──またそこも抜けているところだと。

ゴッソリ抜けてるし、今のメジャーなマンガのフォーマットで日本兵を描くのは、大変難しいと僕は思っていて。海軍モノなどはあったりするけど、陸軍の軍服の美意識を今のマンガのフォーマットで追うのは 、きっとみんなしんどいだろうなあと。

──「フォーマットで追えない」というのはどういうことですか?

まず、今ざっと見渡したときにマンガの線というものが、ペンの描線自体のニュアンスの方を大事にしていて、物の質感を表現することに重きを置いていないように思います。たとえば、布を描くときに「作家の絵のフォーマットでの布の質感パターン」しかないんですね。薄いとか分厚いとか色んな布の質感を描くためのフォーマットがないんです。それで日本軍のぶ厚い軍服を着てる姿を描いても、今のマンガの作法でエッジの細かいシワを入れしまうんですね。いっそシワを入れなきゃ質感自体を誤魔化せるのだけど、それはもう絵描きのサガみたいなもので、空白があるとさみしいと思って線を入れてしまう。現実にこういう風にシワが入っているから、というのではなく、デザインとして入れてしまうんですね。そんな絵描きの誰もが持っているような手癖について懐疑的な気持ちを持ちつつ絵を描いていないとそうなってしまう。

──だから、今のマンガでは難しいというわけですね。

しなくていい苦労を強いてしまうし、日本軍は今の絵柄でみんなが描きたくなるようなシルエットをしてないと思う。

──それをカッコイイとする美意識がないと。

80年代から陰影を否定し、不気味の谷を超え、泥臭さを消す努力を続けてやっと獲得した描線で「泥臭いものがうまく描けない」みたいな苦しみ方をするのは損だと思うんですよ。

──シルエットとして描きようがないというのが、参助さんの中には美意識としてはっきりあるから、ここは「俺が描かないと誰が描く」っていうのがあると。

2010年代の日本兵はこう描かれたよっていうのをやっておくと、後々良いことがあるんじゃないかなと思いまして(笑)。

──確かに。軍服のシルエットには自信とともに「ここを見てくれ」というのはあると。

あるんですけど、最終巻の中国のシーンを描き直ししていたら全然描けてないっていうのがわかって、逆に「これが終わってから、次の作品でリベンジしたい」っていう熱い思いも出てきたりしています。まだまだ僕自身が20年くらい熟成させただけの日本兵でしかなかったなっていう反省がありますね。「まだまだ向き合えていませんでした」っていう気持ちになりました。

──え〜〜〜〜(笑)。いやいや、このマンガの描写は、久しく描かれてこなかったというか、まったく初めて見た思いです。

うーん、本物の日本軍のシルエットというより、マンガ表現としての日本兵のシルエットを更新することを考えすぎていて、よく見ると全然シルエットが違っていたって感じもあるので。水木しげるの描く日本兵とかは、写真と見比べるとやっぱり全然シルエットが違うんですけど、すごく説得力があるんですよね。そこはやはり実際に着ていた人の気分みたいなことが表れていて、そういうところに自分が近づけないものか……と。

──それはタイムマシンに乗るか、日頃から軍服を着て生活するか……。

兵隊の軍服は持ってなくもないので、そういう着たときの気持ち「あ、こういう風に布がさわるのか」っていうのが絵に出るように描くことはできるんですけど、だけど、将校服を着たことがないので、将校服が全然うまく描けないですね。

──アー、、、、、着ないと、、、、やっかいなことですね。


顔に黒みを入れるといいことばっかり

──顔を描くことについてはどうお考えですか?

顔描くのは好きですねえ。もう頭部が好きです。頭蓋骨が。

──頭蓋骨(笑)。作中の兵隊の顔とか、最近見ないタイプの顔がたくさん出てくるので、すごく面白くて。

昔の写真を見るのが好きで、戦後の焼け跡の子どもの写真とかあるじゃないですか。洟水たらした子供の顔見て「あ!こういう顔の爺さん周りにいるいる!」って思うんです。10歳にも満たない少年がこのままジジイになるのがすごく想像できるというか、そういう感じがすごく面白いんですね。

──当時の顔も今と違うんでしょうけど、それを描こうとしても誰も描けないと思うんですよ。だけど参助さんのマンガにはそれが出てくる。

日本人・アジア人を上手に描きたいというのが大きくありますね。

──黒田門松の頭のかたちとかすごいかたちしているなと思うんですね。具体的には髪の生え際のあたりの表現とか。こんな風に描いてるの他にみたことないなって。でも一方で「いるな、こういう人」って(笑)。

マンガを見て「いるいる! こういう人!!」って思うのって、すごくエンターテイメントなことじゃないですか。それってよいことだと思うんですよね。

──黒田の横顔を見ると新鮮な思いになるというか。なんというかナショナルジオグラフィックで動物のいい写真見てるような気持ちになります。こういうのって特別なポイントとかあるんですか?

あります。特に男の顔の造形というのは、絵的に女性を描くより無理がきくというか、ギリギリの表現がしやすいんです。女性を描くときはついつい安パイを狙ってしまいがちなので男のキャラクターの方がインパクトは出しやすいですね。

──具体的なポイントとかありますか?

髪の生え際と眉毛の表現ですね。

──渋いっすねえ〜(笑)。

僕は眉毛の表現を考えるのがすごく好きで。今、マンガの絵のフォーマットのなかで、「眉毛」が不当にないがしろにされていると思っていまして。80年代ってまだ70年代を引きずっていて、男性のキャラクターの眉毛が太いんです。正面を描いたときにシンメトリーに太い眉毛を描くというのはちょいと技術のいることで、忙しく絵を描いている時にその眉毛のバランスを取るのは大変、というのが、80年代ずっと続いていて。それまで正面顔の鼻梁の側面に影を落とすのが主流だったところに革命を起こしたのは大友克洋氏で多くはそれに習いましたが、大友氏は眉を太く描写しなかったので眉の太い人の正面顔の決定打は定着しなかったように思うんです。

──簡単に見えるけれども実は……。

眉毛を太く描くには、シンメトリーに眉の輪郭を描いて塗るという作業があるので手間がかかったのですが、90年代くらいになるとみんなそれをやめて一本の線になったんですよ。それを見た時に「みんなやっと目覚めた!」というか、「変な苦労をわざわざして表情がコントロールできないという苦行からやっと解放されたんだ! よかったなあ!」って。でもそれが20年続いたわりには眉毛を自在にコントロールする技術は発達していないように見えます。

──眉毛を考えることが放棄されてる状態なんですかね。

放棄されているし、わかりやすい表情を描くために眉毛を利用することができなくなっているように思います。わかりやすく言うと、最近のマンガは瞳に眉毛があまり接近しません。瞳と眉は一定の間隔を保ったうえで、困ったり怒ったりの表情をつくるわけです。だけど、更に強い表情を作りたいと思ったら、瞳に眉毛を接近させたほうが強い表情になるんですけど、これがどうしてもくっつかない。そういう「くっつけてはいけない」という抑圧があるんじゃないでしょうか。

──ぜんぜん気づかなかったです。

そこでマンガから一度立ち返って、実写の世界に戻ってみましょう。例えば岡本喜八監督の『独立愚連隊』という映画がございます。主演は佐藤允という俳優さんで、その佐藤允の顔が見事なほど眼球に眉毛がくっついているような顔なんですね。「マンガか!」「大友克洋の絵か!」っていうくらいくっついているんですよ。つまり眼窩の彫りが深いということなんですけども。絵描きとしては「現実がこうなら、こうしよう!」って思うじゃないですか。

──現実がそうなら仕方ないですね(笑)。

「独立愚連隊」(岡本喜八)より

佐藤允の顔はそこにインパクトがあるし、これでいいんだと。そんな感じで佐藤允の顔を見た後に今のマンガのフォーマットを見ると表情が薄く見えるんです。そういう束縛を感じるんですね。

──縛られていると。

そういう二次元の束縛のしんどさを今はCGの人も負わされているんじゃないかなあ。たぶんCGでそれをやってる人たちも、あまりそれを不思議なこととは思っていないんだろうなっていうのがあって。「これは革命を起こした方がいいんじゃないか」って思っているんですけど。

──革命まで……たいへんなことになってきました。あと、背景についてはどうですか? やはり顔と同じようなことが起きてるんでしょうか。

僕は背景は不得手なので心苦しいんですけれど(苦笑)、若いマンガ家の川勝徳重氏という人と知り合いまして、貸本の研究をされていたりして、たいそう古いマンガに詳しい方なんです。
1巻を描き終わったころに、「つげ義春みたいな昔のガロ系の背景を描ける人がいたらいいな」と思って、手伝ってくれている人に「こういう風に木目を描きたい」ってつげ義春の資料を渡すんですけど、やっぱりある程度そういうものを読んできていないと難しいようで、苦労をかけてしまって。だけど川勝君は読んできた人なので、それができる。

──それでああいう背景ができあがってるんですか。ところで僕が背景について質問したのは、今のマンガ家は背景を描くのにもかなり呪縛があるんじゃないかなと思って。昔みたいなスカスカ背景とかってないじゃないですか。

なるほど。背景に関しては過剰に技術が上がっていて、実写的に完璧な背景を描くじゃないですか。こんなに苦労して描いた背景の上に漫画的フォーマットにがんじがらめのキャラクターを乗っけたら、そこに齟齬が表れて逆にキャラクターにとって損じゃないかっていう思いはあります。

──ですよね。今の一般的なやり方は、自分の首が締まらないんですか?

作家は背景を描き込むことによって、視点が拡散して人物のアラに気がつかなくなるという目算でやってると思うんです。

──そっちですか……それは無意識にそうなっているんだろうか。

描き込んだ背景の中に今様のキャラクターを描いてしまうと、その画面の中で一番空白に感じてしまう部分がキャラクターの顔になってしまうんですよ。

──確かにそうなりますね。

画面の中で一番描き込みが少なくて平面的なところがキャラクターの顔面になってしまうのが今のフォーマットの呪縛だと思うんですね。それゆえに人物の顔が浮いて見える、つまり強調されるのだ、といえなくもないでしょうが、「じゃあそのために背景を描き込んでいるのか?」と考えるとやはりわざわざしんどいことをしてるように見える。

──それと比べると参助さんのマンガは真逆ですよね。ひげとかあるから顔が黒いな~。

顔に黒みを入れるといいことばっかりなんですよ。さほど苦労しなくてもバランスがとりやすいし、「顔が黒い!」ってことで目に入る。
今様のマンガ絵のフォーマットは顔の中に黒みを入れようとすると瞳の描写に凝るか、アイラインをぶっとくする方向にいっちゃうんですけど、瞳を美しく描くほど、それ以外の顔面の白い部分というのがどんどん目立ってきちゃうので、デザイン的にトーンを使って顔に影を入れるとかしないと成立しにくくなりますね。

──自ら大変な方向に突っ込んでいってる。

僕はその苦労がしたくなくて、この絵柄なんだと思います。
自分が絵を描く苦労をするのが嫌なばっかりに、いかに少ない力でやるかというところで「顔に黒みを入れたら早い」というのを思いついたんですね。でも世の中の人の顔の部品の白黒バランスを見渡してみれば、そういうふうになってるんじゃないでしょうか。

角が生えた女の子にモンペをはかせることはできない……!

──思いの外、マンガの技術論になってしまいましたが、参助さんがどうしてこういうマンガを描くようになったのか、参助ヒストリーをお聞きしたいんです。マンガ家としてのデビューは早いですよね。

大学生の頃ですね。

──それ以前からマンガを描いていたんですか?

落書きのようなコマを割ったものは、小学校4年生くらいの頃から描いていましたね。鉛筆で描いたノートマンガみたいなものですけど。

──内容は?

ユニコーンみたいな角が生えた人間が出てきて、ケープをひらひらとなびかせながら……ファンタジーとかスペイシーなものが溢れていたので素直に吸収していました。一生懸命、メーテルの顔とか描いてましたよ。結構アニメっ子だったので、そういうのから始まって……。(笑)、割とファンタジックな感じですね。当時はあしべゆうほ氏の『クリスタル・ドラゴン』などの影響で。

──あしべゆうほさん! 全然絵柄の方向が違う! いわゆるペンを持ったのはいつ頃なんですか?

初めて付けペンを買ったのは小学校5年生くらいです。

──マンガ入門的なものって買いましたか?

買いました! 赤塚不二夫氏の『マンガ入門』と、このくらいのサイズの入門百科で藤子プロの片倉陽二さんが描いた『まんがの書き方全百科』。

──その影響って結構あったりします?

全く無いですね(笑)。「怪奇マンガを描こう」とかそういうフォーマットが載ってたりするのは覚えてますけど、それを読んで「よし!○○マンガを描こう!」という気持ちにはならなかったですね。なぜそう思わないかというと、あんまりマンガを読んでないからなんですよ。そもそも週刊マンガを買って読むという習慣がなかったので。

──地元はどこでしたっけ?

大阪の豊中生まれです。ちょうど秋田書店のチャンピオン全盛期で、鴨川つばめ氏の『マカロニほうれん荘』を散髪屋で読むのが好きでした。

──あれもポップだけど、すごくマンガ的な表現がありますよね。

トーンを貼ってないのに1ページの中の絵の充実度が高いというか、キャラクターが動きまわっているので同じキャラクターがそのページの中に10人くらいいるわけですよ。それってやっぱり今のマンガにはないことですよね。

──原体験としてある?

はい。鴨川つばめ氏は大きいですよね。ぜんぜん今描いてるマンガに繋がっていかないですけど!

──いや繋がりを感じました。例えば鴨川つばめさんが出てきたあとに、江口寿史さんが出てきますが、鴨川さんの方が、テクニックとしてはオールドスタイルだし。本格的に描き始めたのはいつですか?

高校生になって漫研に入ってから、ちゃんとコマを割って、最後にエンドマークのつくようなものを描き始めるんですけど……それもまた角が生えた女の子が出てくるみたいな、ファンタジックな内容でしたね。

──それ見たいですね。まだあるんですか?

それはもう手元にないですね。積極的に捨てましたね。

──積極的に!

角の生えたものは抹消しようと。

──応募とかはしてないんですか?

自分でも何でかと思うんですが、投稿するという発想がなく。「プロになるには○ページ描けないとダメ!」という感覚も無く、ただただ夢中で1枚絵のイラストを描いていました。クロッキー帳を潰していくのが楽しみって感じの趣味の絵を描く感覚でした。

──でも大学の時にマンガ家デビューしますよね。

大学入ったくらいで、オリジナルの創作同人誌をはじめるんです。一番最初に作ったのが従軍慰安婦のマンガ。それが91年くらいですね。それを出した直後に慰安婦問題がニュースで話題になるようになって、「ああ、時代が俺についてきている」と大きく勘違いしました(笑)。
で、その勘違いのまま、自分が旬だと思う題材をマンガを描いていくうちにゲイカルチャーと出会って、雑誌を読んだら「なんでえ、俺の方がスネ毛描けるぞ!」と。

──なんせ旬のマンガ家だから。ゲイ雑誌には自分から売り込んだんですか?

はい。サン出版の「月刊さぶ」という雑誌にイラストを送ったら編集部から連絡をもらって、そこでお小遣いを稼いでいました。当時ガロの愛読者だったので、「どうも、マンガ家のなり方にはエロマンガ雑誌からデビューというコースがあるらしいぞ」という知恵がついていたので、「ヨシヨシ! これはゲイ雑誌で間違ってないぞ」と。「さぶ」にはとがしやすたか氏や渡辺和博氏が載っていたりして、それで更に「ヨシヨシ! 居心地がよさそうだ!」って。

──あしべゆうほさんから、今の絵柄に到達するまではどんな道のりだったんっですか?

小学校6年生で宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」に出会って、あとアニメーターのいのまたむつみ氏が大好きでした。少女マンガも通っているので、目が大きくてまつげが派手な女の子の絵はすごく魅力的なわけですよ。そういう女の子をずっと描いていました。

──角だけじゃないじゃなかった。ガチの少女マンガですね。

しかしある時、その目の大きいフォーマットをやっていたら、自分が子どもの頃から好きだった日本的な民話の世界とか戦前の泥くさい物語ができないなって気付いちゃったんですよ。「このキャラにモンペをはかせることはできない……!」って。

──ははは。

そんなときに大友克洋ショックが来て、「この絵ならできるじゃん!」って思ったわけですね。大友ショックの次にきたのは浦沢直樹氏の『パイナップルARMY』(原作・工藤かずや)。店頭で単行本をジャケ買いして「こういう絵でこういう世界、待ってました!」と大興奮しました。

──絵的にも影響が?

絵は浦沢直樹さんの影響をとても受けてますね。大友さんよりももう少し砕けた量産型の絵で、アジア人を主人公に軍隊モノをやったというのと、あと何が気に入ったかとういうと、安そうなスーツを描くのがすごく上手いんですよ。これが江口寿史氏だったら、いいスーツのシルエットなんです。浦沢さんは安いスラックスと靴の関係性がすごく上手で。
それは大友さんも持ってないフォーマットで、浦沢さんが獲得したフォーマットだと思っていて、今でも「スーツと言えば浦沢直樹」って感じですね。

──かっこいいでも、高級でも、単なる記号としてのスーツじゃなくて、安いスーツということか。

そういうことを考えながら絵を描くことができるんだって気づいたんですね。服のシルエットを絵を見ることで考えたりすることができるんだと。もちろんそれは、大友さんの描くズボンのフィット感というのもあって、それを見てみんなズボンの描き方を覚えたと思うんですよ。
マンガの服装表現みたいなことに開かれたのが、大友さんと浦沢さんだと思いますね。

──ほかに影響受けた作家というとどうでしょう。

高校生のときに花輪和一さんのマンガに出会って「あ、こういうのもあるんだ」って、思春期には刺さるものがありました。寺山修司の映画を観て、「こういうのいいな」って思ってたら、まさに同じような匂いのマンガがあって、しかも寺山映画のアートワークを描いていたのが彼だったみたいな。70年代のカルチャー的な関係性がわかったりして、「どうもこの時代のものを掘っていくと、楽しいらしいぞ」と。

──花輪さんとかもキャラクター造形に影響ありますか?

大友ショック経由の浦沢直樹に60年代、70年代ガロや劇画、という知識がはいると、こうなる(笑)。それをわざとわかりやすく、このマンガではやってます。

──それ、わかる人にはわかるんでしょうか……

深夜のファミレスでノートを広げエロ都々逸ひねる

──こうしてお話を聞いていくと「時代」の捉え方にすごく特徴があるように思います。昔のものを捉える視線もそうだし、それを描こうとする時の腰の据え方にもそれが表れているように感じます。参助さんご自身は、「時代」を描いている様々な作品にどのようなことを期待していますか。

読者、観客として僕が過去の人々を題材にした物語に期待することは「ああ、昔の人は こういう考え方するよなあ」「こういう時にこういうこと言う言う!」といったポイント。自分が古い日本の映画を観たり小説を読んだりしたときに心を動かされるのがやはりそういう部分なので……。

──現代とは違う「常識」から発せられる声ですかね。

特に昔の映画で強く思うんですが現代と同じような場面が展開しても、セリフの言い回しが違ったり、事件に対する反応や感想が今とは違ったりする。倫理観や喜怒哀楽の表現が現代とちょっと違うことが自分は面白いんです。新しく作られた戦時中や焼け跡を題材にしたマンガや映画でその感じを見たいんですが、なかなか今はそれを期待しにくい状況にあるような気がします。

──朝ドラとかで描かれる過去が、現代の漂白された価値観で描いてるのを見ると、昔のまんまの価値観で描くのは、すごく難しいのかもしれないですね。

そこが不思議なんですよ! 1950~1960年代、それこそ戦争中に作られた映画がDVDで観ようと思えば観られるのに。

──その価値観を受け入れるためには、教養とかリテラシーが必要になるから難しいんじゃないですかね。説明せずにそれをすると「わかりにくい」ってすぐ言うし。

そうしてわかりやすくしようとした結果、キャラクターが現代人のような発想で行動したり、戦争の渦中にいる人物のはずが、まるで戦後に回想するような調子で発言するようなことになってしまうと、その親切のために読者がその時代、その瞬間に飛ぶ道筋を失ってしまう危険があると思うんです。

──最近描かれてる「最新型の」戦後なんかだと、もう誰も煙草吸ってないですもんね。

エッ!そんなことになっていますか……! 自分の受け取り手としての体験でいうと、「現代を生きている私たちがその時代に放り込まれたらどのように考え、行動するだろうか?」というのを観客・読者に追体験させよう、というコンセプトのものが僕は乗れなくて。

──あ〜。

「いや、自分その時代に生きてないしな~……」と素に戻っちゃうんですよ!そういうのも当然作り手は受け手への親切でやっているわけですけど、受け手としての僕は「いや~、別にそんな気使わなくて結構ですよ……」と思っちゃうんです。人の親切を無にするタイプなんです。

──ほんとに親切心からやってるのかという疑問もあるし。

はい。それにその線で始めちゃうと主人公が「おれの眼前に今、展開しているのはゲームでもマンガでもない・・・・これが・・これが戦争のリアル・・・」みたいな強烈なカマトトかまさざるを得なくなってしまうではないですか。その展開って作家が強い意思でそれを描こうとするものっていうより、シナリオをやりなれてると作法として自然にそう書いちゃうもんだと思うんです。筆先が滑るんです。その点は別に受け手への親切じゃないと思うから。

──さっきおっしゃった「その時代に飛ぶ」作品の例ってなんかありますか?

マンガだと高野文子氏の作品や杉浦日向子氏の作品でそういう体験ができますよね。戦争ものだったら水木しげる氏の『総員玉砕せよ!』で部隊の駐屯地の汲み取り便所に靴がはまってしまうシーンとか、飛びますねえ。そのときのセリフが「なんという ねばりだろう」というの。

──『あれよ星屑』には、そういう「飛ぶ」ための仕掛けが施されているのでしょうか?

やっぱり歌ですね。猥雑な替え歌や流行歌は力があると思います。7巻で兵隊が行軍しながらエロ都々逸をひねりあうシーンを作ったんですが、これはこのシーンを描く以前からずっと用意していて、気に入っております。深夜のファミレスでノートを広げてエロ都々逸ひねるのが楽しいこと……マンガより楽しい……。

──マンガより!

バロン吉元氏の「どん亀野郎」という海軍ものの劇画が大好きで、バロン先生の画集の編集に参加させてもらうぐらいのファンなんですが、氏の作品でもよく替え歌を歌いながら宴会するシーンが出てきます。その真似をしているというわけではないのですが、そういう題材には必要なことだと思うんですよ。

──だんだんなくなってきましたね、そういうシーン。

また映画の話になりますが、これから作られる戦前戦中を題材にした映画の中でもがんがん宴会で唱和したり鼻歌うたったりして欲しいと思っているんです。だけど、たとえば俳優さんが昔の歌手の役を演じるのとかはそりゃ難しいだろうとは思うのですけども、宴会で皆が車座になって歌うのもハードルが高い時代が到来しているようで。近年製作された軍隊ものの宴会シーンでショックを受けたんだけど、集団で猥歌を歌っているのに音痴すぎてメロディが追えない、というのを観ちゃって、そんなにできないものなのか!と。

──みんなでしょうもない歌をうたうっていう文化自体がなくなっちゃってるのかもしれないですね。いまはカラオケになっちゃうでしょう?

いや、でも、高校野球で校歌歌ったり、応援団だってまだ存在してるんだから、そんな無理なことじゃないだろうと思うんだけどなあ。お芝居の中の歌のことについて考え始めると止まらなくなっちゃうのでここらへんで止めてください!(笑)

「万人受けを狙ってやってますよーーー!」と言わせていただきたい

──最後に今後の予定をお聞きしたいんです。

自分の全くのオリジナルの新作についてはまだ何も考えていないんですが……。

──はじめて長編を描いた作家が、次もまた長編を目指すのかどうか非常に気になります。

まずは中編ですね。1~2巻で終わるような短いモノをやってみて。

──それが長くなる場合もありますよね(笑)。

いや……今回7巻描いてみて、コントロールがすごく難しかったのでだいたい何かを描く前に本を読んで、その本で得た知識でまとまるくらいのマンガがいいんじゃないなかって思ってますね。

──やっぱり長いのはしんどいんですね。

他の人がどんな風に作っていらっしゃるのかがわからないのですが、できる限り他の人の作り方を見て、ストレスのないようにやりたいですね(笑)。

──自分が届けたい層のうち、まだ、この辺の層に届いてないとかは、ありますか?

それがどの辺の層に届いているのかもわからないんですよ。名画座通いしている人に届いているのかも不安なので。この作品の前にもう少しわかりやすいものが必要だったのかもしれないですね。

──確かにその層には届けたいですね。このインタビューをぜひ読んでほしい。

おっかなびっくり読んでくれている読者が多い気がしますね。感想は言えないけど読んでるって人が結構いるかな、と。

──うっかりした感想を言いづらいところはあるかもしれないですね。

ネットとかだと特にそうですよね。とはいえ、そこでお客さんに対して言いたいんですけど「ぜんぜん炎上してないからビビらなくていいですよ!」(笑)って。7巻も描いているのに、一度も!(笑)炎上するほど売れてないマンガに対して、なんの躊躇がいるんですかと。ネットで褒めてくれる人も及び腰の人が多くて、「万人受けする作品ではないですが」と前置きをつけて褒めてくださるんですが、僕としては「万人受けを狙ってやってますよーーー!」と言わせていただきたい!(笑)

──買ってもいいんだよ! ということを伝えたいですね!

あしべゆうほクリスタル☆ドラゴン
鴨川つばめマカロニほうれん荘
宮崎駿風の谷のナウシカ
作画・浦沢直樹 原作・工藤かずやパイナップルARMY
バロン吉元どん亀野郎

記事へのコメント
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人が人を殺すとはどういうことか? 人を殺せるのは(セイギノミカタ)だけのような気がするんですが、自分で自分の正義を疑っている人が人を殺さざるを得ない状況に追い込まれたときどうするのか? 殺した後で自分の正義を疑い出したらどうなるのか? というような重いテーマに真っ向から挑んで、しかも、いろいろ取り込んで娯楽作品としても成立させてるってとこが素晴らしいです。言葉だけでなく絵もある漫画でようやくできたこと、漫画にしかできなかったこと、と思います。

人が人を殺すとはどういうことか? 人を殺せるのは(セイギノミカタ)だけのような気がするんですが、自分で自分の正義を疑っている人が人を殺さざるを得ない状況に追い込まれたときどうするのか? 殺した後で自分の正義を疑い出したらどうなるのか? というような重いテーマに真っ向から挑んで、しかも、いろいろ取り込んで娯楽作品としても成立させてるってとこが素晴らしいです。言葉だけでなく絵もある漫画でようやくできたこと、漫画にしかできなかったこと、と思います。

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