『スピン』を読んでくれという気持ち

『スピン』を読んでくれという気持ち

ティリー・ウォルデンの『スピン』というマンガがたまらなく好きで、発売されてから何度も読みかえしてます。マンガっていうかグラフィックノベルなんですけど。

マンガを紹介するサイトや本は、ひと昔前と比べてとても多くなったので、面白いと思ったマンガはたいてい誰かが激推ししてくれている。ところがこのマンガの場合、グラフィックノベルという立ち位置のせいか、海外文学好きの方々が語っているのはいくつか目にしたものの、マンガのフィールドであまり語られていないのではないかと、唐突に不安になったので、わけのわからんタイミングではございますが紹介してみたい。

(『スピン』ティリー・ウォルデン/訳 有澤真庭 )

スピン』は米国在住のティリー・ウォルデンの自伝的な作品。とても静かなトーンで、日常が淡々と綴られていく。
ティリーは子供の頃から、フィギュアスケート(ソロの他、シンクロナイズドスケート)の選手として、日々練習に明け暮れているのだけど、まずこの練習とその前後の時間の描写にページをめくる手が止まってしまう。

例えば、学校に行く前、早朝から練習に向かうティリー。白い息を吐きながら、友達のお母さんの運転する車の後部座席に乗ってリンクへ続く道を揺られていく。そこでかわされる何気ない会話。

到着して、まだ誰もいないリンクに足を踏み入れる。

こうした描写に、釘付けになってしまう。なぜだろう。

僕自身は、熱心に朝練なんてしてなかったはずなんだけど、なぜか自分ごとのように感じてしまう。子供の頃の習い事の記憶や、部活の合宿の記憶、あるいは自分の子供がしていた習い事の記憶、さまざまな記憶が混ざり合って、いつか確かに感じたことのある空気をもう一度吸ってしまう。ページの中に、僕がしばらく忘れていた空気が封じ込められていて、めくるたびそれが吹き出してくるかのようだ。

ティリーのアスリートとしての立ち位置も、「結構優秀」なあたり。つまり天才の物語でもなければ、落ちこぼれの話でもない。だから奇跡なんておきようもない。それでも日々彼女の身に降りかかることは、彼女にとってどれひとつ簡単に受け止められる出来事ではない。

例えば12歳の時、ニュージャージーからテキサスに転居することになる。新しい環境。スケートひとつとっても、チームの人間関係、コーチの教え方・厳しさ/ぬるさ、リンクの雰囲気まで違う。もちろんスケートだけでなく、学校でも人間関係をいちから作り直さないといけないなんて。

また主人公ティリーは、小さなころから自分がゲイであること自覚していた女の子でもある。いじめにもあった。大好きな女の子と小さな世界で過ごす時間、カミングアウトも描かれる。もう、なんか揺さぶられっぱなしなんですよ。

しかし、遠く離れた国の、ティーンの、僕自身とは何もかもちがう女の子の淡々とした毎日の描写になぜこんなに揺さぶられてしまうのか。

作者のティリー・ウォルデンは1996年(!)生まれで、この作品は4作品目にあたる。
作中後半で美術に関する描写があるのだけど、そこからもうすぐにマンガに取り組んだのだなと考えると、恐ろしい才能だなと思う。次回作は鯉の形をした宇宙船が出てくるSFだという。

えー、言いたいことをまとめると「とにかく『スピン』を読んでみてくれ」ということです。

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