「長谷邦夫先生の思い出」  竹熊健太郎

2018/12/13 1:41

赤塚不二夫のブレーン役として知られるマンガ家・長谷邦夫氏が11月25日にお亡くなりになりました。マンバ通信では生前長谷氏とも交流のあった竹熊健太郎さんに追悼文の寄稿をお願いしました。

 最初に長谷邦夫先生と会ったのは1988年の初夏だったと思う。当時私は60年代の少年雑誌に関する取材をしていて、下落合のフジオプロまで先生を訪ねて行った。先生はトキワ荘作家で、赤塚不二夫とはお互いデビュー以前からの友人である。刎頚の友、と言っていい。先生と赤塚の交友についてはいくつかの文章のほか、マンガとしても描かれている(『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』)。

(『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』より)
(赤塚不二夫と長谷邦夫)

 スタジオで一人ポツンと仕事をしていた長谷先生は、私が部屋に入ると執筆の手を休め、そのとき描いていた、何度めかのリメイク版『天才バカボン』のアイデアについて、私に語りだした。
「今描いているバカボンの回なんだけど、事前に編集者から掲載号の台割を見せてもらったの。バカボンの前のページに載っている作品の続きから始めようと思ってさ。絵もそっくりに似せて。読者、ビックリするだろうな」

 そう言ってハハハと笑ったが、私は(ああ、やはり赤塚作品の代筆をしている噂は本当だったんだな)と妙なところで感心していた。その実験的なアイデアも、いかにも長谷邦夫らしかった。長谷先生は『天才バカボン』を始めとする幾多の赤塚作品で、作画スタッフとともにアイデア出しの中心人物を務めていたことが広く知られている。「実物大マンガ」「左手で描いたマンガ」のような伝説の実験ギャグも、長谷先生のアイデアだった。こういう事実が知られているのも、赤塚がそのことを隠さなかったからだ。

(『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』より)

 マンガ界で巨匠として長く活躍する人には、たいてい一人は「影の〇〇」と呼ばれるようなベテランスタッフがいる(ときに編集者であることもある)。赤塚不二夫の場合、もっとも古い付き合いの長谷邦夫をはじめ、古谷三敏、横山孝雄、高井研一郎、編集者・武居俊樹など、何人もの「ブレーン」が存在した。このブレーンシステムの中心に長谷先生がいたのだ。赤塚不二夫が長い期間「ギャグの王様」として君臨することができたのは、このシステムの賜である。

 「実物大マンガ」のアイデアは、長谷先生によれば、締切の翌日がフジオプロのスキー旅行で、「とにかく今日一日でアイデアから作品を仕上げなければならない」切羽詰まった状況から生まれたという。そこで長谷先生が「キャラクターを実物大で描けば、一ページに一コマになって、すぐに描けるぞとアイデアを出した。もちろん最初が大ゴマばかりなので、だんだんページに余裕がなくなり、最後は虫眼鏡で見ないとわからないような小さなコマ割りになるというオチ。こういう「マンガの構造・形式」からギャグを作ることは、後の「サルまん」に巨大な影響を与えている。

(伝説にもなった『天才バカボン』の実物大マンガ)

  長谷邦夫という名前は、似顔絵とともに、赤塚作品にしばしば登場するので知っていた。赤塚作品の中で、赤塚そっくりだが微妙に「乾いた線」の絵があると、それはたいてい長谷絵だった。長谷先生は、フジオプロ創設に参加する以前から貸本マンガで活躍していたマンガ家なのだ。さいとう・たかをの創作スタッフを長く努めた石川フミヤス・武本サブローなども貸本では一枚看板で作品を発表していたマンガ家だった。こうした作家たちが、なぜ、かつてのライバル作家の仕事を手伝い始めたかというと、60年代初頭に貸本産業が崩壊したからである。ほとんどの作家が失業し、ごく一部の売れっ子マンガ家が大手出版社に拾われた。その頃に勃興していた週刊マンガ雑誌で大量の仕事をこなすため、失業した作家仲間の協力を仰ぐことになり、ここに初期のマンガ家プロダクションが成立した。マンガ家プロダクションには、作家が「生き残る」ための互助システムの側面がある。

 貸本マンガの崩壊から作家プロダクション成立の裏には、相当なドラマがあったはずで、長谷邦夫先生には、貴重な歴史の証人として、ぜひ詳しいお話をお聞きしたかった。

(長谷のマンガ・パロディ作品『ゴルゴ チャーティーン』)

 次に先生とお会いしたのは2000年頃、雑誌の取材で先生と一緒にトキワ荘を訪ねたときだった。とはいえ、我々が行ったときは更地になっていて、トキワ荘の影も形もなかった。近所で聞いたら、その一ヶ月前に取り壊されたばかりだった。まさに兵どもが夢の跡。更地に呆然と立ち尽くす長谷先生の写真が雑誌に載っている。

 そこから長谷先生とは親しくしていただいた。そのときの先生は文章仕事がメインで、マンガはたまに描く程度。2002年に出版された『パロディ漫画大全』(水声社)では、先生の希望で巻末で対談相手に選ばれた。

 『パロディ漫画大全』は、長谷先生が60年代後半からあちこちで発表したマンガ・パロディ作品を集大成したもの。『ねじ式』『ゴルゴ13』をパロディ(先生曰く“盗作漫画”)にしたのは先生が最初である。長谷先生の場合、単に人気マンガをパロディにするだけではなく、それ自体がマンガに対する批評行為になっている。この流れの中に、みなもと太郎、夏目房之介、しりあがり寿、私と相原コージの『サルまん』を位置づけることができる。

 アイデアの人で、知性の人だった。赤塚不二夫ブレーンの中では、アルコールに耽溺する赤塚を見限って次々人が去って行く中、最後まで支え続けた人だった。だが最後はほとんど打ち合わせにならず、会議中赤塚がヨロヨロと台所に歩いて水割りを作る音を聞いて、そのまま黙って家を出、二度と親友に会うことはなかったと自伝『漫画に愛を叫んだ男たち』は結ばれている。断腸の思い、とはまさにこのことだったろう。

 私はついにマンガ家にはなれなかった人間だが、マンガとは付かず離れず、長谷先生には非常に近しいものを感じていた。本人にはついに呼ぶことはなかったが、心の中では、師匠と思っている。数年前に脳梗塞で倒れられてからは、活発だったツイッターやフェイスブックの書き込みが止まり、気を遣って連絡することはなかったが、お会いしたかった。ご冥福をお祈りします。

長谷邦夫のマンガ情報・クチコミ

主な作品 『くもの巣城』 『伝説 トキワ荘の真実』 『空中血戦記』 関連著者は「赤塚不二夫」 「竹熊健太郎」 「つげ義春」など。

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竹熊健太郎(たけくま・けんたろう) 1960年東京生まれ。ライター・電脳マヴォ編集長。1981年よりマンガライターを中心とした文筆業。著書「サルでも描けるまんが教室」(相原コージと共著/小学館)「篦棒な人々」(河出文庫)「フリーランス40歳の壁」(ダイヤモンド社)