『谷口ジロー 描くよろこび』刊行記念イベント 久住昌之×竹中直人 「ぼくたちと谷口ジロー」

2019/02/11 12:00

フランスで映画化された『遙かな町へ』

久住 大好きな作品のひとつに『遥かな町へ』というのがありまして、これはいわゆるタイムスリップものの傑作なんですね。今日この話をすると思って、久しぶりに読んだんですが、大感動です。読みはじめたら止まらない。仕事にならない。トイレにも持って入った。

竹中 谷口さんの出身地、鳥取が舞台ですよね。

久住 そこで中年男性の主人公がお墓参りをしていたら、急にフラフラっときて、14歳の頃に戻ってしまう。しかも中年の精神のまま戻るんだよね。主人公の父親はちょうどその頃に家出して、いなくなってしまうんです。主人公はお父さんがいなくなる日もわかっているわけで、なんとかお父さんが家出しないようにできないかとする話だけど、これが面白いんですよ。

(『遙かな町へ』谷口ジロー/小学館)

竹中 僕も10年くらい前にこの作品に出会いました。

久住 この作品って、主人公のキャラクターがすごくいい。おじさんが若くなっていくんだけど、中身はおじさんだから友達の家でウイスキーを飲んだりして、みんなびっくりされる。ケンカになったとき、相手にコブラツイストをかけたり。相手はびっくりして「さっきのなんなんだよ」って聞くから「コブラツイスト」「今にアントニオ猪木がやるんだよ」って答えるんだけど、みんなはポカンとしてる。そういう谷口さんにしては、ドタバタコメディっぽいところが出てくるんですよね。自分は中学生なのに、現実の年齢に近い水商売の女の人にときめいたりする。こんな話すと最近はすぐ「ネタバレ」とか言われるかもしれないけど、ホントにいい作品っていうのは、ネタバレくらいで、面白さはビクともしないんだ。実際読んだら「ええ? ええ?」ってなると思う。

(『遙かな町へ』谷口ジロー/小学館)

竹中 詳しい内容は読んでからのお楽しみにしていたほうがいいかもしれないですね。

久住 竹中さんはこれを映画化したいとずっと言っていて、僕も絶対やってほしいなと思うんですが、先にフランスで映画になっちゃっているんですよね。

竹中 見ましたよ。

久住 谷口さんが描いた学生服の野暮ったい田舎の子どもを、ものすごいおしゃれなフランス人の美少年と美少女が演じているんですよ。

竹中 うれしかったのが、作品の中では主人公が48歳という設定だったでしょう。だけどフランスの映画では、60過ぎた売れないマンガ家という設定だったんです。しかも、めちゃくちゃハゲている俳優が演じていて、「あ、俺でもできるじゃん」って思いました(笑)。

久住 いや、できると思いますよ、全然。

竹中 ですね! 60歳が14歳に戻るというのは、48歳に比べるとよりドラマ性が深いじゃないですか。その映画を観ながら自分なりに興奮していました。

久住 谷口さんは、本当に自分の描きたかったところと違うところが、主題になっていたのがびっくりしたと言っていましたけどね。違う感じでした?

竹中 ちょっと違う感じでした。みんなそれぞれいろいろな価値観があるから、「あれ?」という人もいるだろうけど、映画は原作と違って当たり前なところもあるし、映画は映画で別のオリジナルと考えたい思いもありますからね。

久住 今年、ヨーロッパで『孤独のグルメ』の1巻と2巻を合体した本がでるんですが、これが日本とは違ってハードカバーの本なんです。それがすごくかっこいい。

竹中 日本じゃ手に入らないの?

久住 なかなか手に入らないですね。

竹中 フランス語で書いてあるんですよね。うわぁ〜読めないけど見たい!

久住 外国で日本のマンガを出すというのは、実はものすごく大変なんです。どうしてかというと、日本はセリフを縦に書いて、欧米は横に書くので、日本と欧米では本の開きが逆なんです。だから、外国で日本のマンガ本が翻訳されるときは絵を反転(裏返し)させてセリフをのせていくので、登場人物の利き手が左利きになっちゃうんです。

竹中 なるほど。

久住 谷口さんは2巻を描くとき、セリフが縦にも横にも描けるように吹き出しをほとんど丸に描いていました。

竹中 すごい! 全く知らなかった。

久住 そういう作業が大変なのに、谷口さんの作品はたくさん翻訳されていてすごいですよね。

竹中 だって『遥かな町へ』が映画になるくらいですから、フランスでの評価は圧倒的なんだろうなと思います。

久住 フランスで映画にしたら3年間はどこの国でも映画にしちゃいけないという契約があったみたいだけど、もう時間が経っているから、竹中さんやってくださいよ。

竹中 是非やりたいですけどね。

久住 この本がもっと売れないと駄目なんだよね。

竹中 そういう保証がないと駄目な世の中ですね。

久住 でもすごいですよ、これは。

竹中 素晴らしいですね。つげ義春さんもヨーロッパからものすごくラブコールをもらったらしいんですが、そういう欲が一切ないから全部お断りしてたみたいです。

久住 つげ義春といったら、竹中さんにとっては『無能の人』が監督デビュー作ですよね。

竹中 それを思うとなんだかすごいですね。

久住 あれは僕も感動しましたね。

竹中 僕の友達たちの間では「この作品を映画に出来たら絶対すげーな」と話していたけど、最初に企画を通すときには「何を言いたいのこれは?」と言われました。

久住 僕は竹中さんがやると聞いたとき、初の監督作品だったからすごく心配してたけど、みんな「良かった、すごく良かった」って言ってました。自分の作品のように嬉しかった。本当によかった。

竹中 34歳のときですもん、わたし。一人のプロデューサーが、「これは素晴らしい」と言ってくださって、『無能の人』を実現できたんです。懐かしい思い出です……。

久住 やっぱり谷口ジローさんの作品もやらないと駄目ですね。

竹中 やりたいですね。この作品を映画化出来たら、本当にうれしいですね。日本での映像化は夢です。

谷口さんのマンガは文章と会話だけじゃなく、背景にも泣かされる

竹中 夢枕獏さんの『神々の山嶺』も超大作でしたね。

久住 あれは谷口さん以外描けない作品ですね。山が主人公みたいに描き込まれていて。後半、読んでいて頭の中にオーケストラとパーカッションの音とか聞こえてくる。♫ザン、ツザン、ザンッ

(『神々の山嶺』原作 夢枕獏・作画 谷口ジロー/集英社)

竹中 うわあ、今、映像が浮かんできて感動しちゃいました。

久住 あれ、夢枕獏さんの小説とエンディングが違うんですよね。

竹中 違うんですか?

久住 谷口さんが夢枕さんに「最後変えちゃってもいいですか?」と聞いたら、夢枕さんは「いやもうやってください、やってください」と仰ったみたいです。夢枕さんは、谷口さんに描いてもらって救われたと言っていましたね。

昔、谷口さんと僕と川上弘美さんで飲んだことがあるんです。そのときに、谷口さんが「『センセイの鞄』描きたい」と言ったら、「いやもう描いてください! 谷口さんなら描いていただきたいです」という流れで描いてもらったんですよね。その後、川上さんは谷口さんによって描かれた『センセイの鞄』を読んで、「こういうことだったの」って思ったんだって。自分が書いていない風景が全部描かれていたから「私、こういう作品を書いてたんだ」って。

竹中 小説に絵はないわけですからね。

久住 唖然としながら感動したと言っていました。僕は、主人公が先生と別れて空を見たら、星がいっぱい出ていたというシーンがあるんだけど、その星空がすごい切ない感じに描かれていて、そこで「ああ、すごいな。背景に語らせているな」と思いました。文章と会話だけじゃなく、背景にも泣かされるんです。

(『センセイの鞄』原作 川上弘美・作画 谷口ジロー/双葉社)

竹中 柄本明さんと小泉今日子さんがやったテレビ版の『センセイの鞄』に、僕は変なおやじとして出ています。

久住 飲み屋にいる感じですか?

竹中 そうです。新聞を広げて。TBSの巨匠演出家の久世光彦さんに「どうしてもここの変なおやじ役は、お前にやらせたいから」と言われて出ていますよ。

久住 面白いところでつながっていますね。谷口さんが川上さんの小説をマンガで描いて、そのドラマ版に竹中さんが出ているというのは面白いですよね。

竹中 久世さんが、僕が何をやっても「自由にやってくれ」といって。僕は監督の言うことをよく聞く方なんですが、よく監督が「何か面白いことをやってくれ」ということが多いので、「いいんですか?」と言ってやるんですけどね。いや、静かな役もいっぱいやっているんです。でもね、変な役のほうが目立つ。まあ僕の話はいいです。とにかく『遥かな町へ』は映画にしたいと10年以上思い続けてきたってことですね。

久住 10年以上思い続けてるなら、そろそろ実現するんじゃないですか。

竹中 そろそろなってほしいです……!

久住 『孤独のグルメ』をドラマ化した人は8年くらい言い続けていたと言っていました。20冊くらい買って、いろいろな人に配って「これをやりたいんだけど」って。

竹中 そういうのは僕も常にありましたよ。だって、俺、『かっこいいスキヤキ』『天食』『豪快さんだっ!』とか「これやりたいんだけど」って、いっぱい配ってましたから。

久住 ありがとうございます(笑)。

竹中 最近だと、大橋裕之さんを配っています。下北にまだレコファンがあった頃は、まるでフィッシュマンズの伝道師のように、「フィッシュマンズ知らないんだ。じゃあ買ってくる!」と言って、いつもレコファンでフィッシュマンズばっかり買って友だちに渡していた頃もありましたし、けっこう僕も配りますよ。でも、『遙かな町へ』を配るにはちょっと厚いので、10冊くらいしか配っていないかもしれない。でも、みんな「お! 谷口ジロー」と言ってくれるので、やっぱり『孤独のグルメ』の影響はすごいなと思いました。

新しい手法で描かれた夜の風景に感動

久住 『孤独のグルメ』の後、通販生活で『散歩もの』という連載をすることになったんですけど、担当の女の人が、谷口さんのところに第1回目の原稿を取りに行ったんですって。とりあえず紙の袋を持っていって、万が一袋がなかったらこの紙袋に入れて持ち帰ればいいやって軽い気持ちで行ったら、まず原稿用紙が特注で大きいうえに、谷口さんって顔の影にスクリーントーン貼って、さらに削って、さらにもう少し薄いトーンをかけてとか。背景だと3重くらいに貼っている原稿がざらにあるから、原稿もらったときに、ズシっときたらしく、これは大変なものだと思ったそうで。駅前の文房具店からカルトンケースを買ってきて、それに入れて、ヒヤヒヤしながら帰ってきたって言ってました。

(『散歩もの』より 原作 久住昌之・作画 谷口ジロー/扶桑社)

竹中 だって希少な絵画を預かっているようなものですものね。

久住 あと、実はよく見ていると毎回必ずこれまで描いていない新しい手法をほんの少し入れてくるんです。例えば、夜の散歩をするシーンがあったんだけど、マンションや一軒家の玄関とか、ぼんやりと暗くなっているのが、見たことない手法で克明に描いてあって、こんな夜を描いた人はいないなと感動をしました。谷口さんの絵で一番驚いたのはそれですね。遺作となった『光年の森』にもすごく新しい手法を出しています。この本にはかなり全時代が網羅されている。

(『散歩もの』より 原作 久住昌之・作画 谷口ジロー/扶桑社)

竹中 線がすごいですよね。

久住 そういえば『散歩もの』の単行本用の表紙をお願いしたとき、ものすごく細かくてきれいな表紙絵を2枚も描いてきてくださって、「これ、どっちでもいいです」って言うんです。しかも、その絵にカバーとかつけないで、喫茶店でそこ濡れてんじゃないかというところに置くんですよ。

竹中 し、下、ぬ、ぬ、濡れてるのに?!

久住 編集者があわてて「ちょ、ちょっと待ってください。今拭きますから!」って。

竹中 それ試されたんじゃないんですか? わざと濡れてるところに置くのを、こいつら止めるか、止めないか。どこまで俺のマンガに真剣かというのを身をもって見せようとしたんじゃないかしら? 違うかな(笑)。

久住 いや、そういう人じゃなかった。正直な人でした。しかも、全然印刷されない外側のところまで背景が描いてあって、よく見ると表紙サイズの位置にうっすら線が描いてあるんです。「ここまでしか入らないですけど」と言ったら、谷口さん「そうですね」って(笑)。

竹中 素でお茶目だったという感じですよね。

久住 あと、谷口さんのことをマンガ家として本当にかっこいいと思ったのは、みんな完璧なマンガを描いていても、単行本になるタイミングで、連載時に時間がなかったところとか、雑誌掲載後に気づいたミスを必ずちょこちょこ描き直すんです。これってみんなやることなんだけど、谷口さんはそれを一切やらないんです。一切やらないで、「描き直すなんていう時間があったら次のを描きますよ」というのが良かったな。なかなか言えることじゃないです。

竹中 いい話だなぁ。

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