第2回 1980年代に東ドイツに渡ったモザンビーク人移民たちの歌―ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』

2019/04/04 12:00

さる3月1日、第22回文化庁メディア芸術祭受賞作品が発表された。
メディア芸術祭は1997年に始まった文化庁メディア芸術祭実行委員会主催の賞で、基本毎年行われ、アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門の4部門を対象に複数の賞が授与される。どの部門でも日本の作品だけでなく、海外作品にも門戸が開かれているのが特徴で、海外マンガファンにとってうれしいことに、マンガ部門でも過去には以下のような海外作品が受賞している。

第13回(2009年)
奨励賞
 ウィスット・ポンニミット『ヒーシーイット アクア』(ナナロク社)

第15回(2011年)
優秀賞
 パコ・ロカ『皺』(小野耕世、高木菜々訳、小学館集英社プロダクション)
 アリソン・ベクダル『ファン・ホーム―ある家族の悲喜劇—』(椎名ゆかり訳、小学館集英社プロダクション)

第16回(2012年)
大賞
 ブノワ・ペータース作、フランソワ・スクイテン画『闇の国々』(古永真一、原正人訳、小学館集英社プロダクション)
優秀賞
 エマニュエル・ルパージュ『ムチャチョ―ある少年の革命』(大西愛子訳、飛鳥新社)

第17回(2013年)
新人賞
 バスティアン・ヴィヴェス『塩素の味』(原正人訳、小学館集英社プロダクション)

第18回(2014年)
優秀賞
 フィリップ・オティエ作、李昆武画『チャイニーズ・ライフ―激動の中国を生きたある中国人画家の物語』(野嶋剛訳、上下巻、明石書店)

第19回(2015年)
優秀賞
 HO Tingfung『Non-working City』

第20回(2017年)
優秀賞
 ユン・テホ『未生 ミセン』(古川綾子、金承福訳、全9巻、講談社)

マンガ部門で海外作品が受賞したのはどうも2009年のウィスット・ポンニミット『ヒーシーイット アクア』が最初らしい。その前はいったいどうなってんだよ? という気もしなくはないが(ちなみに2004年の第8回で海外マンガが審査委員会推薦作品に選ばれている)、今にいたる邦訳海外マンガの小ブームが始まったのがその辺りからだから、そう考えるとそれはそれでなかなか興味深い。

改めてこうして並べてみると、ここ10年、いろんな国のいろんなマンガに賞が与えられていてすばらしいし、受賞作の多くは日本のマンガだから、そこに海外のマンガが並んでいるのがすごくいい。

さて、そんなメディア芸術祭の第22回受賞作品が先日発表されたわけだが、結果はどうだったかというと、拙訳のジュリー・ダシェ作、マドモワゼル・カロリーヌ画『見えない違い―私はアスペルガー』(花伝社)が見事「新人賞」を受賞した(その他の受賞作についてはこちらを参照のこと)。作画のマドモワゼル・カロリーヌはフランスで既に何冊も作品を発表している作家だから、新人賞というのは若干不思議な気もするが、ジュリー・ダシェにとっては初めての原作だし、マドモワゼル・カロリーヌにしたって邦訳されるのは初めてだから、まあ、OKなのだろう。本書は元々フランスで出版されたいわゆるバンド・デシネだが、これまで邦訳されてきたバンド・デシネとは少し毛色が異なるという意味でも、新人賞はふさわしい気がする。

ジュリー・ダシェ作、マドモワゼル・カロリーヌ画『見えない違い―私はアスペルガー』(原正人訳、花伝社)

せっかくなので今回はこの『見えない違い―私はアスペルガー』を取り上げる…と言いたいところだが、実は筆者自身が編集長を務めているComic Streetという海外マンガの情報サイトで、本書の邦訳が出る直前に筆者自身が既に簡単なレビューを書いてしまっているのであった。というわけで、まだ読んでいないけどなんだか気になるぜという方は、ぜひそちらの記事を読んでみていただきたい。

じゃあ、いったい何のためにわざわざメディア芸術祭の話をしたのかというと、今回の第22回メディア芸術祭には、『見えない違い―私はアスペルガー』とは別に「審査委員会推薦作品」に選出された邦訳海外マンガがもう1点あるのだ(もう1点しかなかったとも言える)。ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』(山口侑紀訳、花伝社)、ドイツのマンガである。ドイツというと、海外マンガ好きにはあまりマンガが盛んではない国というイメージがあるのではないかと思うが、ここ数年だいぶ様子が変わってきているらしい。

事実、この作品はここ1~2年に出版された邦訳海外マンガの中でも1、2を争う傑作なのだ。ということで、今回はこの『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』を取り上げることにしたい。

前回、ペネロープ・バジュー『キュロテ 世界の偉大な15人の女性たち』(関澄かおる訳、DU BOOKS)というフランスのマンガを取り上げたから、今回ドイツの作品を取り上げられるのは好都合でもある。実は既に「メディア芸術カレントコンテンツ」で連載中の「越境するグラフィックノベル」第1回で取り上げていたりもするのだが(そっちも読んでね)、そのときは移民・難民マンガという文脈の簡単な紹介だったから、今回はもう少し詳しく論じてみようと思う。

ビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』(山口侑紀訳、花伝社、2017年)

まずは簡単にストーリーを紹介しておこう。

物語は作者ビルギット・ヴァイエ自身の個人的な体験から始まる。

ドイツ人でありながら、彼女は最初はウガンダ、次はケニアと幼少期から長くアフリカで過ごした。中年になってから再びアフリカを訪れ、今度はモザンビークに行くが、モザンビーク訪問は初めてだったにもかかわらず、なんともいえない懐かしさを覚える。アフリカの地に慣れ親しんだ彼女にとって、アフリカはドイツ以上に故郷と感じられる場所だった。モザンビークの市場で現地の女性に話しかけられた彼女は、その女性からかつて東ドイツで長く暮らしていたという思いがけない話を聞かされる。

1979年から東西ドイツが統一される1990年までの約10年間、累計2万人ものモザンビーク人が東ドイツに送られ、単純労働に従事させられていたのだという。名目上は社会主義国家同士の友好に基づく派遣プログラム。きつい仕事をさせられた上に、彼らは給金の半額以上を積み立てと称して天引きされていた。その金は帰国したあかつきには払い戻される約束だったが、いつの間にかどこかに消えてしまうことになる。

やがて東ドイツの消滅を受け、居場所を失った彼らは、祖国モザンビークに強制帰国させられることになるが、内戦で荒廃した祖国にはもはや心休まる場所はない。政府からは搾取され、同胞たちからは徴兵逃れだと蔑まれた彼らは、当初は悪口として使われていた“マッドジャーマンズ(ドイツ製)”という名称を自ら名乗り、互いに集まっては交流し、デモを通じて自分たちの権利のために戦うのだった。

その出会いをきっかけに多くのマッドジャーマンズたちに取材した作者は、さまざまな体験談を総合し、3人の架空の登場人物を生み出す。同じ時期に東ドイツに滞在したその3人の男女は、祖国から遠く離れた東ドイツで青春時代を過ごし、その後、ある者は帰国し、ある者はそのままドイツに残る。本書が描くのはその3人のそれぞれの人生である。

作者はマッドジャーマンズたちのさまざまな話を聞き、3人の登場人物ジョゼ、バジリオ、アナベラを生み出した(『マッドジャーマンズ』P17)

ということで、本書は導入部が作者の体験を記した自伝的なマンガ、本編がフィクションという少しトリッキーな作りの作品である。上の要約だと導入部のほうが長く感じられてしまいそうだが、実際のところ導入部は10ページ程度で、残り200ページ以上が3人の半生を描いた本編となっている。

本編はフィクションとはいえ、綿密な取材に基づいているから、ドイツで暮らしたモザンビーク人たちの心情や当時の風俗が、リアルかつきめ細やかに描かれている。80年代東ドイツのレポートとしても興味深いし、モザンビークという国で何が起きていたのか(筆者は本書を読むまでモザンビークについてまるで知らなかった)、東ドイツにやってきたモザンビーク人たちがどんな暮らしをしていたのか、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツ統一に向かう時代、世の中がどう変わり、彼らがどんな待遇を受けたのかなど、さまざまな読みどころがある。

だが、技能実習生制度を始め、かつてないほど移民の問題が前景化している日本の現状に即せば、移民問題を扱う日本のマンガが決して多くないだけに、本書は何よりも移民について考えるための視座を与えてくれる貴重な作品ということになるだろう。

と、こうして本書の意義を並べてみると、なんだかしちめんどくさい作品のように思われてしまうかもしれないが、そんなことはまったくないと強調しておこう。主人公3人の造形がとても魅力的な上、物語の構成も巧みで、読後感もすがすがしい。要するにマンガとして面白いのだ。

主人公の3人とは、男性のジョゼ・アントニオ・ムガンデとバジリオ・フェルナンド・マトーラ、そして女性のアナベラ・ムバンゼ・ライである。

ジョゼとバジリオは1981年の暮れに東ドイツに到着、アナベラは数年遅れて1984年の春に到着する。バジリオとアナベラが東ドイツにやってきた年齢ははっきりわからないが、ジョゼは当時18歳になったばかりだった。

そのジョゼはモザンビーク北部のチウレ出身で、政治情勢が落ち着いていたこともあり、モザンビーク独立の担い手フレリモ(モザンビーク解放戦線)を理想化し、妄信している。性格は内気でおとなしく、まじめなしっかり者。

バジリオは首都マプト出身。都会的でおしゃれで享楽的なプレイボーイ。フレリモを支持してはいるが、批判的な眼差しを向けることも忘れない。おしゃべり好きなお調子者の側面もあって、どこか憎めない人物である。何かというとことわざを吐いて周囲を煙に巻く。

アナベラはベイラ出身。ベイラとはフレリモとモザンビーク内戦で争った反政府組織レナモ(モザンビーク民族抵抗運動)の拠点である。家族が殺されたこともあり、フレリモに強い嫌悪感を抱いている。向上心の強い頑張り屋で、祖国に残した家族を思い、少ない給金の中から仕送りを続ける優しい女性でもある。

これらの細かな設定が登場人物たちに血肉を与えている。彼らは“東ドイツで働くモザンビーク人”という抽象的な概念ではない。それぞれ出身地も違えば、政治的な信条も性格も異なるひとりの人間である。

おしゃれ好きでお調子者のバジリオ(『マッドジャーマンズ』P110)

物語はこれらの3人にひとりずつ焦点を当てていく。彼らは同じ時期に東ドイツに滞在し、親交を深め、一時期はとても親密な間柄だった。ジョゼとバジリオは東ドイツに到着して以来同部屋だったし、数年遅れてやってきたアナベラもジョゼと恋人同士になる。当然、彼らは同じ経験を共有することになるが、ひとりずつ焦点を当てていくという構成のおかげで、人物が変わるたびに語られる出来事に新たな情報が加わり、少しずつ角度が変わっていく。

彼ら3人はある出来事をきっかけに散り散りになってしまうのだが、ジョゼ、バジリオ、アナベラ、それぞれの視点を経ることで、その出来事が厚みをもって描かれることになる。フレリモに対する思いや東ドイツとのかかわり方についても同様で、3人の半生を眺めることで、多様な思いやかかわり方があったのだと知ることができる。

キャラクターの造形からも出来事の語り方からも、作者が単純化に抗いつつ、繊細かつ丁寧にこの物語を紡ぎだそうとしているのが感じられる。

そうした工夫は作画にもうかがえる。物語の主筋を語る絵柄にはある種の統一感があるのだが、ところどころアフリカ的な図像としか言いようのない一枚絵が挿入される。ちぐはぐな印象を抱かせてしまうかもしれないことを怖れず、西洋的なマンガの絵の中に置かれたこれらの絵は、祖国を離れ、まったく異なる環境にやってきた彼らを象徴しているようにも見える。

そしていざマンガの中に置かれてみると、これらの一枚絵は案外馴染んで見えるわけだが(もちろん作者の並々ならぬ工夫があるはずだ)、そこには東ドイツに暮らすモザンビーク人の主人公たちを肯定したいという作者のメッセージが込められているようにも思える。

アフリカ的なモチーフが描かれた一枚絵(『マッドジャーマンズ』P30)

コマを割ったページにも、切手、本、記念写真、映画などのポスター、チョコレートなどの商品パッケージなどの図像が、随所にちりばめられていく。時には登場人物の想念や比喩的な言い回しの視覚化と思われる絵までもが入り込み、ページを複雑にしていく。中には「なんでこの絵がここに?」とか「そもそもこれ、なんの絵なの?」と読者の側がとまどってしまう箇所もある。

しかし、物語をスムーズに伝えるという観点からするとノイズになりかねないこれらのいちいちは、主人公たちにとっては大事な思い出の数々に他ならない。それらが彼らの存在を豊かにし、彼らが生きた痕跡を浮かび上がらせるのである。

ページに散りばめられた映画のポスター(『マッドジャーマンズ』P68)

「思い出」は、「故郷」と同様に、本書を読む上で重要なキーワードである。「思い出」と「故郷」をめぐる考察が、何度も執拗に登場する。そしてそれらは、異なる時代に、異なる場所で暮らしたとはいえ、祖国を離れ、異国で暮らしたという共通点を持つ作者と主人公たち、さらには読者をつなぐ言葉でもある。開口一番、作者はこう問いかける。

「思い出は、どこからやってくるのだろう?」 作者にとって記憶に残る思い出とは、初めてアフリカを訪れたときのすべてが「溶け合わさった感覚」(滑走路には太陽がギラギラ照り付け/空気はやわらかく、湿っていて/聞いたことのない音がこだましていた)だった。それから40年後、初めてモザンビークを訪れた彼女は、同じ幸福感を味わう。それは「なんだか懐かしい感じ」であり、そこから彼女はさらに「故郷って、何だろう」と問いかける。

初めてアフリカを訪れたときの作者の思い出(『マッドジャーマンズ』P9)

この思い出をめぐる問いは、多少変奏されながら、3人の主人公たちに受け継がれていく。こうして、ジョゼは「何を思い出すかって……?」と訥々と語り始め、バジリオは「思い出せるか、だって?」、「もちろん思い出せるさ!」と陽気に自問自答し、アナベラは「思い出せないわ」、「ま、思い出したくもないけど」と躊躇しつつも、思い出す努力をする。

アナベラが続いて披露する思い出をめぐるイメージは、彼女の半生を知る読者にとっては、とりわけ感動的である。「思い出は、ウニのようなもの」。「踏んでしまうと、ものすごく痛いし、/トゲは肉を膿ませることになる。/でも、乾いたウニの骨はとってもきれい」。

思い出は、ウニのようなもの(『マッドジャーマンズ』P165)

「思い出は、どこからやってくるのだろう」、「故郷って、何だろう」という問いに明確な答えが与えられるわけではない。すべての人が同じ答えを持つ類の問いでもあるまい。作者にとって、アフリカでの体験は美しい思い出に他ならず、アフリカは祖国のドイツ以上に故郷と感じられる場所だった。だが、本書の主人公たちにとっては、東ドイツは故郷ではありえない。胸が痛くなるような思い出が多い。だからといっていい思い出がないわけではなく、憧れの気持ちも強い。

一方、祖国を離れ、東ドイツで長く暮らしたことで、彼らは本来の故郷を失ってしまった。帰国後、そのことをある種の諦念をもって受け入れる者もいれば、自身の尊厳を守るために戦う者もいる。本書は、アナベラの言葉とも作者自身の言葉とも取れるとても美しい言葉で締めくくられている。敢えて引用することはしないが、おそらくはそれがふたつの問いに対するとりあえずの答えということなのだろう。

ジョゼ、バジリオ、アナベラ、いずれの物語も感動的だが、圧巻はやはり、東西ドイツ統一後もひとりドイツに残ったアナベラの物語だろう。彼女の人生は、いわゆる移民ならずとも、孤独に人生の荒波に立ち向かうあらゆる人たちに勇気を与えてくれるものであるはずだ。

マッドジャーマンズ ドイツ移民物語のマンガ情報・クチコミ

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