第3回 戦前から現代にいたる布袋劇の歴史を詰め込んだ台湾マンガ―Hambuck『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』

2019/05/07 12:00

ここまで2回にわたってヨーロッパのマンガを紹介してきた。第1回で紹介したペネロープ・バジュー『キュロテ―世界の偉大な15人の女性たち』はさまざまな女性たちの生きざまに焦点を当てたフランス発の作品で、第2回で紹介したビルギット・ヴァイエ『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』は歴史に埋もれていた知られざる移民の物語を語ったドイツ発の作品。どちらの作品も女性が作者である。

筆者はフランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”の翻訳紹介をしているから、ついついヨーロッパのマンガに目が行きがちだが、この連載の目的は、邦訳を通じて2010年以降に出版された世界のさまざまなマンガを紹介すること。欧米の作品ばかり続くのもなんである。今回はアジアのマンガを取り上げることにしよう。一口にアジアと言っても、いろんな国があり、いろんなマンガがあるわけだが、今回紹介するのは、Hambuck(ハンバック)作『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』(クニクロ訳、デジタルカタパルト、2016年)、原書版が2014年に出版された台湾のマンガである。台湾の作品ということもあってか漢字が多いタイトルだが、「龍泉侠」は「りゅうせんきょう」、「謎霧人」は「なぞきりびと」と読む。

Hambuck作『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』(クニクロ訳、デジタルカタパルト、2016年)

実はこの作品、電子書籍として配信されているもので、その点においても従来的な紙の本として出版された『キュロテ 世界の偉大な15人の女性たち』と『マッドジャーマンズ―ドイツ移民物語』の2作とは異なっている。もっとも、韓国発のウェブトゥーンなんかで増えてきているように、電子配信された作品が翻訳されて日本でも電子配信されているというわけではない。もともと台湾では紙として出版され、日本では電子配信されている作品である。

電子と紙をめぐっては、ここ数年、邦訳海外マンガの場でいろいろややこしい状況が生まれている。電子→電子、紙→電子という翻訳がある一方で、電子→紙という翻訳まであったりする。電子→紙というケースでは、縦読みのウェブトゥーンを見開きのある日本のマンガっぽく見せるコマ割りのアダプテーションが行われたりすることもある。また、紙の本を翻訳する場合、もともと複数の巻で出版されたものを翻訳に当たって合本するというようなことが起きたりするが、電子の場合、1巻の本を複数に分割して販売するということも起きたりする。それらはそれらで面白い話なので、また別の機会に紹介することにしよう。

台湾ではもともと紙で出版されていた『龍泉侠と謎霧人』が日本では電子配信されている背景に、マンガの電子化の躍進があることは言うまでもない。個人的な体感としても、数年前に比べて、マンガを電子で読むことに対する抵抗はだいぶ減ってきている。邦訳海外マンガはまだ圧倒的に紙が多いが、今後電子配信が増えたとしてもなんの不思議もない。『龍泉侠と謎霧人』の日本語版を配信しているデジタルカタパルトは、その流れをいち早く察知し、2015年に「コミックカタパルト」というレーベルを立ち上げ、インドネシア、マレーシア、台湾、フランスなどさまざまな国のマンガを翻訳して電子配信してきた。今ではアジアのマンガを中心に、30点近いタイトルを扱っている。

コミックカタパルト作品一覧

邦訳海外マンガというと、どうしても日本のマンガに比べ価格が高くなってしまいがちだが(誤解のないよう補足しておくと、邦訳して高くなるというより、もともと値段が高いことが多い)、コミックカタパルトの電子海外マンガは、作品ごとにバラつきはあるものの、従来の紙の邦訳海外マンガに比べてかなり安い値段になっている。ちなみに『龍泉侠と謎霧人』は、電子書籍ストア「ソク読み」の定価で税込432円である。コミックカタパルト作品は、イベントに合わせて、部数限定のプリントオンデマンドの書籍として販売されることもあって、『龍泉侠と謎霧人』にも紙版が存在しているのだが、こちらは税抜きの556円。いずれも相当安い。

今後邦訳海外マンガの電子化が進めば、価格、売り方、読まれ方…いろんなことが変わっていったりするのかもしれない。

話がだいぶ大きくなってしまったので、軌道修正することにしよう。Hambuck『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』とはどんなマンガなのだろうか? 副題に「台湾布袋劇伝説」とあるように、本作は「布袋劇(ほていげき※プータイシー、ポテヒとも)」をめぐる作品である。

「布袋劇」とは、17世紀に中国の福建省、広東省の沿岸部で生まれ、その後台湾で大いに発展した人形劇のこと。ウィキペディアの受け売りだが、「布で作られた袋状の人形」を使うから布袋劇というのだとか。YouTubeにいろいろ動画があったりするので、興味があれば検索してみていただきたい。ちなみに本作の巻末にも、本作の編集者が執筆した「金光万道 瑞気千条―革新を求め続けてきた台湾布袋劇」という台湾布袋劇についての解説がついていたりする。

布袋戲/三仙會 —- 員林新樂園掌中劇團

布袋戲/三仙會 —- 員林新樂園掌中劇團

台湾の員林新樂園掌中劇團による「三仙會」

さっそく作品を読んでみよう。扉ページをめくってみると、目次ページが以下のような見開きになっている。

ページをめくると、さらに見開き。

そしてもういっちょ見開き。

学生帽をかぶった少年の後を追って人込みをかきわけるように進んでいくと、読者の目の前に布袋劇の舞台がドンとせり出すという見事なオープニングである。

物語の舞台は1930年代初頭の台湾。主人公の謝金鋒(しゃきんほう)は布袋劇好きが高じて、布袋劇団「錦福軒(きんふくけん)」への入団を志願する。物語の冒頭に描かれた少年は、幼い頃の謝金鋒でもあろうか。当時、布袋劇のセリフはテキストとしてまとまっていたわけではなく、師から弟子への口伝だった。幸い金鋒には一度聞いたセリフは忘れないという才能があり、その才能を買われて、彼は入団を認められる。

それから3年。金鋒も今では錦福軒にすっかり馴染み、オーナーの呉氏と彼の息子で金鋒の兄弟子に当たる呉保猿(ごほうえん)の補佐をしながら日々勉強中である。

下のコマ左が主人公の謝金鋒。右が兄弟子の呉保猿

ときにはライバル劇団と通りを挟んで同じ演目で競い合うこともあるが、金鋒はちょっとしたアイディアで劇を面白くし、客を自分たちの劇団に惹きつける術を心得ている。

通りを挟んで布袋劇団同士が同じ演目で競い合う

根っからの布袋劇好きである金鋒は、暇があれば、新作の布袋劇の物語をぼんやりと頭の中で練るのだった。それはこんな物語である。

民衆のために正義をなそうとする若い剣侠が、伏龍山(ふくりゅうざん)というところで腐敗した役人たちの罠にかかり、瀕死の重傷を負う。彼は谷底に落とされ、死を覚悟するが、そこで不思議な力を放つひと振りの剣とひとつの帽子を手に入れる。やがて覆面の謎霧人(なぞきりびと)として復活した彼は、悪人たちを次々と懲らしめていくのだった。正義の念に囚われた彼は、ささいな悪すら見逃すことができず、たいして罪のない人間すら手にかけてしまうようになる。自分のあやまちに気づいた彼は、謎霧人の剣と帽子を置き、龍泉侠(りゅうせんきょう)という侠客としてあやまちを償う旅に出る──。

悪を許さぬ正義の剣侠「謎霧人」

そんなある日、兄弟子の呉保猿が恋人と駆け落ちをして錦福軒を抜けることになる。金鋒は、自分にはとうていマネできない兄弟子の生きざまに布袋劇に通じる痛快さを感じていた。兄弟子の姿と劇を重ねる金鋒のモノローグがいい。

俺は劇を見るのが好きだ/劇に濃縮された人生が見たい/劇の中の人間が/どんな困難に遭っても/どんな試練を受けても/幸せを求め続ける姿が…/見たい…

金鋒は保猿が抜けた穴を埋め、布袋劇団「錦福軒」を二番手として引っ張っていくことになる。

それから10年が経った1941年。1937年に日中戦争が始まってからというもの、皇民化政策が敷かれ、台湾文化は弾圧の対象となってしまう。布袋劇も例外ではなかった。金鋒は秘密裏に布袋劇の上演を続けていたが、あるとき、日本警察に拘束されてしまう。しばらくして、彼は台湾総督府の王徳仙(おうとくせん)という人物によって保釈されることになる。大の布袋劇好きだという彼は金鋒に、日本の話をベースにした布袋劇を作り、それを総督府の日本人たちに見せて、上演禁止令を撤回させようという驚くべき提案をするのであった──。

王徳仙と謝金鋒

かくして物語は、主人公の謝金鋒に焦点を当てつつ、第二次世界大戦前の1930年代初頭から1940年代の皇民化政策時代、第二次世界大戦後を経て現代にいたるまで、4世代の人々を通して、台湾布袋劇の栄枯盛衰を語っていくことになる。全体の半分ぐらいまでの主人公が謝金鋒(しゃきんほう)で、その後は金鋒の兄弟子呉保猿(ごほうえん)の息子保(ほう)に焦点が移り、最後は現代に生きる少年忠(ちゅう)と布袋劇の出会いが語られる。

保(右上)と金鋒(左上)
忠は民俗の研究をしている母親の倉庫でたまたま謎霧人の人形を見つける

本作全220ページ弱の1巻に半世紀以上に及ぶ台湾布袋劇の歴史が詰まっているわけだが、コンパクトでありがたいと思う一方、数巻にまたがるより壮大な物語としてじっくり味わえなくて残念という気持ちもある。主人公の謝金鋒の生涯を彩るさまざまな出来事と、彼自身の新作布袋劇「龍泉侠対謎霧人」の物語を交互に映し出していく構成もいいし、登場人物たちの熱い思いもいい。粗削りな部分はあるが、エンターテインメントとしてもとてもよくできた作品だと思う。

電子書籍のいいところは、気軽に立ち読みができるところだが、本作『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』も冒頭50ページを試し読みできるので、この紹介を読んで気になったという方はぜひ読んでみていただきたい。

最後に本作の出版背景についても少しだけ補足しておこう。2014年に台湾で出版されたことは冒頭で触れた通りだが、描きおろし単行本として出版されたわけではなく、もともと『CCC創作集』という台湾の季刊マンガ誌に読み切りとして掲載されたのだとか。この『CCC創作集』は非常に興味深い雑誌で、2009年に創刊されると、台湾のデジタル史料リソースを活用して、台湾の歴史や民俗に取材したマンガを次々に生み出していった。2015年末に一度休刊したそうだが、2017年に台湾文化部の資金援助を得て復刊し、2018年2月からは月刊誌として刊行されているとのこと。

布袋劇を描いた本作『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』は、台湾の歴史や民俗に取材したマンガのまさに好例だろう。作者のHambuckは、Comic Streetのインタビューで、本作に描かれているエピソードが実話に基づいていることを明かしている。事実、本作では、主人公たちが武侠小説を布袋劇にしようとしたり、皇民化政策時代、日本人がよく知る『鞍馬天狗』を布袋劇にしたり、生の演奏の代わりにレコードを用いたり、第二次世界大戦後、光や音を用いた派手な演出を採用したりと、随所に台湾布袋劇の歴史的な逸話が盛り込まれていて、デジタル史料リソースを用いたマンガ作りの可能性を感じさせてくれる。

『鞍馬天狗』の布袋劇

『CCC創作集』から生まれた作品では、ウーロン茶の誕生を描いた張季雅(チョウキヤ)の『異人茶跡』や第二の正月とも言われる「六月廿四(ろくがつにじゅうよん)」の祭りと三太子僮仔(サンタイツーダンアー)の踊りを描いた左萱(サケン)作『神之郷』(全2巻)、1930年代、日本統治時代の台北を舞台にした奇譚AKRU(アクル)作『北城百畫帖(カフェーヒャッガドウ)』などもコミックカタパルトで読むことができる。『龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説』が気に入ったら、ぜひそれらも読んでみていただきたい。

「龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説―」の作品情報は『マンバ』で!

龍泉侠と謎霧人―台湾布袋劇伝説―/Hambuckのマンガ情報・クチコミはマンバでチェック!1巻まで発売中。 (Comic Catapult )


1974年静岡県生まれ。フランス語翻訳。アレックス・アリス『星々の城』(双葉社)、ジュリー・ダシェ&マドモワゼル・カロリーヌ『見えない違い 私はアスペルガー』(花伝社)などバンド・デシネの訳書多数。