『スラムダンク』山王戦における赤木の涙の美しさ

2019/07/29 5:00

『スラムダンク』の山王戦、さすがに名場面が多すぎないか?

ここまで名場面の多いマンガがあってよいものだろうか?

これは、ひとつのマンガに許される名場面含有量を、大幅に上回っているのではあるまいか?

まあ、妙なクレームの付け方ではある。言ってることがむちゃくちゃだ。しかし再読のたびに感じることも事実なのである。そもそもスラムダンク自体が名場面の多いマンガなわけだが、とくに作中最後の試合である山王工業との一戦、その中でもコミックス27巻から最終31巻で描かれる後半20分間は異常で、名場面が多いを通り越し、ほとんど名場面しかない状態になっている。

よって、山王戦の名場面を挙げろと言われると人々は苦悩することになるわけだが、私としては、絶対に外せないのはコミックス30巻で描写された赤木の涙である。これが山王戦の個人的ベストシーン。ゴリラ顔の男が涙を流しているという、ただそれだけのことに、すさまじい美しさを感じる。

ゴリラ顔の男、赤木(『スラムダンク』新装版12巻表紙より)

そもそも名場面とは何か。色々な定義ができそうだが、ひとつの切り口として、それぞれのキャラクターが、みずからの「核」とでも呼ぶべきものをさらけだす瞬間としてみよう。たとえばこの視点から、山王戦における湘北メンバーの印象的な場面を挙げてみると、

・宮城:ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!
・桜木:おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!! シロートだからよ!!
・三井:おうオレは三井 あきらめの悪い男…
・流川:これだけやられていても あとからあとから湧いてくる不思議な感情を抑えきれずに流川は笑った

極限状態で、それぞれの人間が自分の核をさらけだす。宮城は「チビ」、桜木は「素人」、三井は「あきらめない」、そして流川は「挑戦」なんだろう。それまでに描かれてきたキャラクターの歴史が、ひとつのコマ、ひとつのセリフに凝縮される。そのとき、名場面が生まれる。それでは、赤木の「核」となるものは何か?

赤木剛憲とはどんな男か?

赤木は熱心に練習をする男である。全国制覇という目標に向かい、必死で努力する。しかし、赤木には自分の目標の高さについてきてくれる人間がいなかった。これは、バスケットボールがチームスポーツだからこそ起こる。たとえば赤木が『バガボンド』のキャラクターだったならば、この苦しみは生まれない。赤木はまっすぐに「天下無双」への道を歩むことができただろう。実際、赤木は作中で、「あいつにはついてけねーよ 武士だもん」と陰口を叩かれている。

チームスポーツにおいては、孤独に自分の道を突き進む「武士」には居場所がない。個の能力をどれだけ高めても、ワンマンチームが生まれるだけだ。これは赤木の過去として描かれている。赤木は高い能力を持ちながら、県大会予選すら勝ち上がることができない。赤木のプレイを見た牧は思う。

「パスがさばければな………
 周りにいい選手がいれば強くなるのにな……
 もったいないな あのセンター」

パスがさばければ、と牧は言う。しかし、パスをするには仲間への信頼が必要だ。赤木はチームメイトを信頼することができない。自分以外の部員の練習量がどれだけ少ないかを知っているからだ。だからこそ、無謀だと分かっていても、「遮二無二シュートにいく」しかない。そして赤木は、部員たちを怒鳴りつけることになる。

「もっと練習しろよ!!
 個人練習やらないと上手くなりっこないんだ!!」

赤木の抱える問いは、「なぜおまえたちは、もっと上手くなりたいと思わないんだ?」である。赤木はチームメイトが下手であることに怒っているのではない。下手なままで平然としている、その心性に腹を立てているのだ。しかし、赤木は人をおだてたりすることは得意ではない。チームメイトのやる気をうまく引き出す技術はない。だから自分ほどの熱意を持たない部員たちを相手に、ただ怒鳴りつけることしかできない。そして最後は、「お前とバスケやるの息苦しいよ」と言われてしまう。その意味で、赤木は不遇の男であると同時に、不完全な人間としても描かれている。

赤木と木暮

唯一、そんな赤木と一緒に努力してくれるのは、中学時代からの親友である木暮だった。サボッていた部員たちを投げ飛ばしたあと、赤木は一人で体育館に戻る。体育館では木暮が一人でシュート練習をしている。ゴールの下に机を置いて、リバウンドのかわりにする。しかし、うまくいかない。木暮は赤木に言う。

「リバウンドしてくれよーーー!! この机 ちゃんとパス返してくれないんだ!!」
「わはは!! それはシュートが下手だからだ」
「何ーーっ だから練習してんだろーっ」

下手だから練習している。赤木にとって、この当たり前のやりとりを成立させられる相手は、長いこと木暮しかいなかった。「下手だけど練習しない」部員たちに囲まれて、くすぶっていたのが赤木である。一年時の赤木が下手だったことは、作品のあちこちで描写されている。たとえば同学年の三井は言う。赤木のフリースローは笑えるほど下手だった、と。赤木に投げ飛ばされた部員はふるえながら反論する。おまえだって、でかいだけで下手だから強豪校に行けなかったんだろう、と。それでも赤木は努力を続けた。だからこそ、妹の晴子は山王戦の客席で想うのだ。「お兄ちゃんが必死で積み上げてきたもの」のことを。

「…攻めのパターンを増やさんとな
 全国の強者が相手だからな」

この顔最高(『スラムダンク』27巻97ペ

赤木の涙

井上雄彦は別作品の『リアル』において、エゴの重要性を説いている。自分はこのようなプレイをする人間だと強く主張するエゴがスポーツにおいては重要なのだと。三年の夏、赤木はとうとう信頼できるチームメイトを得ることになるが、その四人は誰もが強烈なエゴを持った人間だった。

陵南と海南の一戦を途中で抜け出した流川、三井、宮城はそれぞれに内心、「やはり明日はオレの出来次第だ…」と考えている。自分が一番だと思うゆえに、自分のプレイがチームの勝敗を左右とも考える。主人公の桜木も当然、常に自分のプレイを勝敗と結びつけて考える男だ。自分が素人だろうが、相手が高校バスケット界の絶対王者だろうが、残りの時間が少なかろうが、当然のように勝利に向かっていく。山王戦終盤、自分がともにプレイする四人の全員が、当然のように諦めず勝利を目指している。そのことに気付いた時、試合中にも関わらず、赤木は涙を流しはじめる。

赤木の涙(『スラムダンク』30巻126ページより)

もちろん仲間たちは、赤木の涙の理由に気づかない。王者山王を相手に戦意を喪失したのかと誤解するだけだ。そして木暮だけが、唯一、赤木の涙の理由を即座に理解する。「味方の頼もしさに一瞬気が緩んだ」こと、「ずっとこんな仲間が欲しかった」ことを。それは、木暮が赤木と一緒に「下手だから練習する」を続けてきた男だからだろう。試合再開前、赤木は他の四人を集めて言う。

「オレたちゃ別に仲良しじゃねえし
 お前らには腹が立ってばかりだ」

当然だろう。赤木には赤木のエゴがあり、他の四人もまた自分のエゴを安易に引っこめることはない。だからこそ、「仲良し」になることはない。強いエゴを持つかぎり、簡単に「仲良し」になることはできない。「だが…」と赤木は続け、言葉を飲み込む。

「このチームは… …最高だ……」

赤木は結局、この言葉を口にしない。それは無理に共有する必要のない言葉だからだろう。無理に共有しようとすれば、「仲良し」になってしまうだろう。そしてかわりに赤木が口にするのは、「ありがとよ…」という唐突な感謝の言葉なのだが、むろん、その意味もチームメイトは理解しない。そして口々に「おまえのためにやっているんじゃない」と反論する。赤木は四人を怒鳴り返し、そして最後の戦いに向かっていく。三年の夏に至って、赤木はようやく、「怒鳴れば怒鳴り返してくれる仲間」を得たと言ってもいい。

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