『インハンド』朱戸アオインタビュー/描くのは「素人の成長」よりも「プロフェッショナルの苦悩」

2019/08/06 12:00

写真/後藤武浩

感染症をめぐる医療ミステリ『インハンド』、パンデミックものの新たな名作『リウーを待ちながら』など、医療にまつわる作品を描き続けるマンガ家・朱戸アオ。彼女が医療マンガを描くに至った経緯や、作品づくりについて考えていることについてインタビューをおこなった。てっきりそういう分野を大学で学んでいたのかと思いきや……。

朱戸アオ(あかと・あお)
2010年、アフタヌーン四季賞冬のコンテストにて、準入選を受賞。2011年、都心の湾岸地区で起こったパンデミック(感染症の大流行)を描いた『Final Phase』で単行本デビュー。「アフタヌーン」にて2013年『ネメシスの杖』を、2016年『インハンド 紐倉博士とまじめな右腕』を連載。その後「イブニング」で、『リウーを待ちながら』連載(全3巻)、医療サスペンスの新たな描き手として注目を集め、現在は『インハンド』を「イブニング」に連載中(現在1巻まで刊行)。『インハンド』は2019年、TBS系列にて山下智久主演でドラマ化されたことでも話題を呼んだ。

美大出身のマンガ家が、医療マンガを描くまで

──朱戸さんの作品って、ドラマ化された『インハンド』だけでなく、単行本デビュー作の『Final Phase』や、そのリメイク作『リウーを待ちながら』など、医療ものが多いですけど、もともと医療の分野に関わりがあったんですか?

いや、実は大学は美大だったんです。

──美大! 進学するときからマンガ家になることを意識していたとか?

美大といっても建築科なんですけど。高校が進学校だったので、「大学に行かない人生」をイメージできなかったんですよね。幽霊部員ではあったけど漫研には入っていて、「マンガ家になりたい」とも思ってたんですけど、それと大学進学が結びつかなくて。マンガ家以外にもいくつかなりたい職業があって、それで選んだのが建築科だったんです。自分の得意科目で入れそうなのが美大系の建築科だったので、それで美大に。

──在学中もマンガを描いていたんですよね?

4年生のときに初めて持ち込みをしました。スピリッツ編集部だったんですけど、「読み切りを持っていく」という基礎的なことも知らなくて、400ページくらい持って行って「読んでください」って(笑)。

──4年生って、進路を決めなきゃいけない時期ですよね。どんな風に考えていたんですか?

「マンガ家になりたいんだけど」と親に言ってみたら、「許さん!」みたいな話になったんですよ。親の価値観からすると「マンガ家になる」なんてとんでもないことなので。それでしょうがないから勉強して大学院に進学しました。その間にしっかりマンガを描こうと思って。当時、「ビッグコミックスピリッツ カジュアル」という雑誌があって、その新人枠でネームコンペがあったんですよ。そこで初めて声をかけられて参加したときのコンペ課題が「セックス」だったんです。「課題を与えられて解く」というのは大学時代ずっとやってきたことなので、スイッチが入って、違う種類の3本のネームを描いて、そのうちの1本が採用になって、大学院1年生のときにデビューしました。そこでようやく「マンガ家になるか」と決めましたね。スピリッツの新人をやりつつ、当時『日本沈没』のコミカライズをされていた一色登希彦先生のところでアシスタントをしてました。

──そこからの道のりは?

それが、その後が大変で。スピリッツカジュアルは無くなるし、ヤングサンデーが廃刊になって、その連載が9本スピリッツに移籍してくるし、私のマンガはもう全然載らなくなってしまって。それでアフタヌーンに投稿したりしてました。

──マンガ家になるにあたって、どんな感じのマンガ家になりたいかというイメージは持っていたんですか?

「なんでも描けるマンガ家になりたい」と思ってました。名前を出すのもおこがましいですけど、手塚治虫先生ってあらゆるジャンルを描かれてるじゃないですか。そういうマンガになりたいと。いわゆる「職業もの」みたいな分野にはあまり興味が持てなくて、手塚先生とか、萩尾望都先生とか、大友克洋先生とか、士郎正宗先生とか……巨匠ばかりですけど(笑)、みなさん「●●もの」のマンガ家という感じじゃないですよね。『トーマの心臓』が学園ものかと言われると、ちょっと違う気がしますし。そういうマンガ家が好きなので、私もそうなりたいなと。だから、私のマンガが「医療もの」と言われ始めた頃は、「えっ、私は医療マンガ家なのか!?」と思ってました。

──じゃあ今でも「医療マンガ家」のような自意識はない?

大学の専攻は全然違うので、医療の知識は完全に後付けで勉強したものなんですよ。高校は進学校だったので、医者になった方が何人もいて、その人たちに聞いたりできるという強みはありますけど、勉強した結果こうなったので、勉強すれば違うジャンルのマンガ家にもなれるだろうという感覚はあります。『インハンド』も医療といえば医療ですけど、ちょっと科学寄りだったりしますし。医療ものって、「病院にお医者さんがいて、そこに患者さんが来て、病気を治していく中に泣けるドラマが生まれてくる」みたいなフォーマットがあると思うんですけど、私が描くとそこからはどうしてもはみ出してしまうんですね。

東日本大震災と『Final Phase』『リウーを待ちながら』

──調べ物は専門的な知識がメインだと思うんですけど、たとえば重い病気にかかってしまったときのリアクションや感情のように文学的な部分については、自分自身の中から出している部分が大きいわけですか?

そこは微妙なところですね。自分の中から出す場合もありますけど、たとえば『リウー』の中で、奥さんを亡くした人が奥さんの幽霊を見る話が出てくるんですけど、東日本大震災でそういう心霊現象がすごくあったらしいんです。それについて研究している研究室があって。

リウーを待ちながら』1巻

──聞いたことあります。東北大の金菱研究室ですよね。事例を集めた本も出てて。

そうです。そういうのを読みながら想像を膨らませていく部分もありました。あと、ローリー・ギャレットの『カミング・プレイグ』という、感染症のエボラと戦った人たちの話を読んだり。といっても「内容をなぞる」というよりは、「本で書かれているこの状況に私のキャラを放り込んだらどうなるだろう?」というシミュレーションをやっている感じですね。

──東日本大震災といえば、『Final Phase』は2011年に連載されていた作品ですよね。震災と連載時期が近いですけど、それは偶然なのか、それともきっかけの一つにはなっているのか。

揺れたときが、ちょうど1話のトビラ絵を描いてたところだったんですよ。

Final Phase

──え、そんなタイミングだったんですね。

でも、その時点では物語全体の流れがだいたい決まっていたから、震災のことは『Final Phase』に反映できてないんです。でも、そのあと(『Final Phase』のリメイクである)『リウー』のお話をいただいたときに、編集の方から「震災後だから描けることがあるんじゃないか」と言われたんですね。あの頃、日本人はみんな震災についていろいろ考えていたと思うんですけど、私も自分なりに考えたことがあったのでそれを反映していけるんじゃないかと思って、『リウー』をやることにしたんです。

──リアルタイムでは描けなかったけれど、むしろ少しタイムラグを置いているからこそ、作品の中に反映できたと。

あと、ちょうど同じ頃(2016年)に『シン・ゴジラ』とか『君の名は』とか、災害をある程度モチーフにした映画がヒットしましたよね。それを見て、ああいうものをエンタメに取り込める時期が来たんじゃないか……という感覚もありました。まだ復興が続いてる場所はいっぱいあると思いますけど、やっぱり震災を消化して「あれはどういうことだったのか」を考える時期に来てるんだろうな……という思いもあって、『リウー』を描きました。

── ところで『Final Phase』の舞台は東京でしたけど、『リウー』では富士山に近い都市に変わってますよね。それは朱戸さんがいま住んでるのが富士山の近くだから?

そうです。ちょっと引っ越してみようと思って田舎に住んでみたら、すごく面白い……という話を編集者さんにしてて。生まれも育ちもずっと東京だったから、1時間に1本しか来ないバスとか、いろいろ新鮮なんですよ。あと、自衛隊の街なので、そこらじゅうで車が操縦訓練してたりするんです。朝、窓を開けると落下傘部隊が落ちてくるのが見えたりとか。そういう生活をしてるので、自分なりに一生懸命調べて、作品にも取り入れました。調べたとはいえ、ミリタリーものに詳しいわけではないので、「ミリオタの人に怒られたらどうしよう」という恐怖はあったんですけど、特に叱られていないので、そんなに間違ってなかったということなんですかね。

──気候も東京と全然違う? 

標高500mくらいのところに住んでるんですけど、夏は涼しくて、エアコンがいらないです。だいたい東京からマイナス5℃くらいの気温で、富士山もよく見えますよ。近所の人は「暑い暑い」ってエアコンつけてますけど、「何を言ってるんだ!?」という感じですね。

──富士山は見ていて全然飽きない?

飽きないですね。登ったことはなくて見るだけですけど、いろんな雲がかかるので。地方都市に住んだことなかったから本当に楽しいんですよ。ど田舎ではないんだけど、それなりに田舎で、いいとこ取りの街だなと。

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