マンガで(ひとまず)満たす「良い◯◯を見て溶けたい欲」

2019/09/03 12:00

先日、とある劇作家さんに取材した際に「自分にとって理解しがたい出来事や悲劇に直面したとき、“なぜそれが起きてしまったか?”を理由づけするために伝説や神話といった物語は生まれた」という話になりました。これを聞いて、昔の人たちは現代の我々よりも、生きる上で物語というものをずっと必要としていたのだなと個人的には感じました。

現代においてはフィクションであることが前提につくられた物語はひとつの娯楽であり、いわば嗜好品のような気がします。実際、マンガにも小説にも一切興味がなくて、ビジネス書や自己啓発書以外の本は読まないという人に出くわしたりもしますし。

でも自分にとって物語は単なる娯楽である以上に「現実から一時的に逃避するための装置」かつ「現実とうまく折り合いをつけるための緩衝装置」なので、嗜好品というよりも生きていくための必需品に近い。というか現実への適応能力が低すぎなので、物語が無かったら生きるのがかなりしんどい。

とはいえ、このことは人に話したところで、なかなか理解してもらえないんですね。どうにかしてうまく伝える方法はないかと思っていたら、自分と同じくらい——もしかしたら自分以上に——生きる上で“物語”を必要としている主人公が登場するマンガがありました。

それが今回ピックアップする、なおいまいさんによる『ゆりでなる♥えすぽわーる』(徳間書店)です。

『ゆりでなる♥えすぽわーる』① なおいまい/著(徳間書店)

この『ゆりでなる♥えすぽわーる』ですが、タイトルからおわかりいただけるように、今なにかと脚光を浴びている百合ジャンルの作品です。

マンバ通信を読んでいる皆さんなら百合が何たるかを十分に理解されていると思いますが、万が一百合のことをいまいち知らんという方がいましたら、この連載の初回で取り上げた町田粥さんによる『マキとマミ 〜上司が衰退ジャンルのオタ仲間だった話〜』(KADOKAWA)の第3巻に収録されている第35話を読んでいただければと。このエピソードをお読みいただければ、3分くらいで百合の基礎知識を得られるかと思います。

で、自分がシンパシーを抱かずにはいられない『ゆりでなる♥えすぽわーる』の主人公というのが、名門私立女子高に通う高校3年生の駒鳥心(こまどり こころ)。この心が、同級生である雨海(あまみ)に「高校卒業と同時に わたくしは死んでしまうので それまでに最高の百合スケッチブックを作りたいの」と語るシーンから『ゆりでなる♥えすぽわーる』の物語は始まります。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

 

いきなり死ぬだの、百合だの、百合スケッチブック(略して百合スケブ)だの理解不能なワードを連発する心に、当たり前ですが雨海は困惑します。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

果てには「百合スケベ自体は わたくし大好きよ(小声)」と、筋金入りの百合女子っぷりまで、心は雨海に(オタク特有の饒舌さをもって)さらけ出しはじめる。

そんな突拍子もない行動を心がとった背景には、ひとつの事情がある。実はこの会話が交わされる前日、心は花籠総矢と名乗る(心いわく「なんだか気味が悪い」)人物との政略結婚を父親から命令をされていた——しかも「高校を卒業したらすぐ」にと。そして望まぬ結婚を言い渡された瞬間から、心の瞳からは光が消え失せ、死んだ魚の目のごとく虚ろな瞳になってしまっている。

そんな理不尽な事情を知り、「ハァ〜〜〜!?」「そんっ…は!? 昭和か!?」と驚愕しつつ「そんな… だからって… いいの!?」と問いただす雨海に、心はこう答える。「もちろんよくないわ! だって… わたくし…

まだ一度も 女の子とお付き合いできてないのに…!!

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

ポカーンとなる雨海をよそに、さらに心は宣言する「だから! 妄想するのよ!」と。

自分自身が百合を謳歌できない運命にあるのであれば「わたくしは 創る側になるわ」と、「街行く可能性に溢れた女性達」を元に理想とする百合を妄想し、百合の自家発電をすれば良いのだと。そして妄想した理想の女性カップルの絵姿と、彼女たちの愛の物語をスケッチブックに「描きとめて 未来に託すの」だと——死同然の結婚をした後(=“死後”)に「わたくしの理想の愛に溢れた百合スケブは 死後わたくしの癒しとなるはず」という一縷の望みをかけて。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

通常、同人誌即売会におけるスケッチブック(スケブ)文化といえば、作家さんや絵師さんに即売会への参加記念として、持参したスケッチブックにイラストを描いてもらうというコミュニケーションの一種。しかも希望のキャラクターやシチュエーションなどを伝えれば、それを描いてもらえるので(※ただし作家さんやサークルによります)、スケッチブックは“大好きな作家さん・絵師さんが、自分だけのために描いてくれた最高の一枚”という幸せがつまった絵で埋まっていくものです。

そう考えると、心がしようとしている「“死後”の自分のために、自分でスケッチブックを理想の百合(カップルの絵姿)で埋めていく」という百合スケッチブックづくりは、果てしなく孤独な行為ともいえる。

また“死”というワードを連発する心に対して雨海は「死後って… 言い方よくないよ」と諭すも、心は「わたくしにとってはそうなのよ!」と返す。望まぬ結婚という「非情な剣に貫かれてしまえば きっと今のわたくしではいられなくなる それは死ぬのと同じことだわ」と。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

そして「身体がどうなろうと生きてさえいれば 頭で何を考えても 心で何を想っても それだけは それだけは自由だもの…」と、たとえどんなにそれが孤独な行為であろうと、“死”を迎えるその日まで、ひとつでも多くの理想の百合をスケッチブックに描きとめつづける揺るがない決意を表明する。

そして「二人きりの美術部のよしみでお願い!」と雨海を巻き込んで、心の百合スケブづくりが始まる。記念すべき第1回目の百合スケブづくりの場として心が選んだのは、下校中の女子高生でにぎわう地下鉄の中。車中で“理想の百合”となる女子高生2人組を心は見つけ、ときめきによって瞳が光を取り戻しつつある中、筆を取るのですが……

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

……しかし、いざスケッチをしようとするも「周りの人の目が気になって… 緊張して… 集中できない」状態となり、フリーズしてしまう。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

果てには「こんな心の弱さでは… わたくしの考えなど… あの人に容易く握り潰されてしまうのかもしれない…」と結婚相手への怖れまでもが蘇り、瞳に差し込んでいた光も消えかけてしまう。

絶望の感情に囚われてしまった心を救うべく、雨海は機転を利かせて心が口にしていた、ある言葉を彼女に言い聞かせる。そして心は再び希望(=エスポワール)を取り戻し、彼女の瞳は一対の羽ばたく翼を授かり、キラキラと光り輝きだす。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

人によっては「翼を授けるって、某エナジードリンクかよ」とツッコミを入れたい衝動にかられているかもしれませんが、もう自分はこのコマの描写で号泣ですよ。共感しすぎて、まだ第1話だっていうのに号泣ですよ。もうね、メアリー・シェリーもこんな感情を抱きながら『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を執筆していたんじゃないかと妄想しちゃって、さらに大号泣ですよ(なに言ってるのかよく分からん、という人は映画『メアリーの総て』観るなり、『フランケンシュタイン』について検索するなりしてください)。

こうして希望(もしくは妄想)の翼を瞳に得た心は、無事にスケッチ対象をモチーフとした“理想の百合”をスケブに描きとめることができ、めでたし、めでたし……と、ならないのが、この『ゆりでなる♥えすぽわーる』という作品の面白いところなのです。

各エピソード(話)は前後編構成になっており、前編では心と雨海の百合スケブづくり&心が妄想した“理想の百合”について描かれるのですが、つづく後編ではスケッチ対象の現実が描かれます。そして現実では、心の妄想のように物事はうまくいかず、読者である我々に残酷な世界を見せつけたりもする。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(後編)」より)

心本人は「…わたくしね ちゃんとわかってるわ 現実と妄想は違うということ」「当然現実に わたくしの妄想を求めては 絶対にいけないということでも…」と、ちゃんと自覚しているのでまだ良いのかもしれないが、この前後編で表現される妄想と現実のギャップが何とも言えない味わいを(読者である我々の心の中に)残したりもする。

さらに心(と、心を支えようとする雨海)を脅かすのは現実とのギャップだけではない。政略結婚の相手はもちろん、心の想いを土足で踏みにじる無自覚なハラスメントや周囲の無理解など、ふたりの周りには心の瞳から光を奪わんとする脅威にあふれている。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第2話「ルール(前編)」より)

でも、過酷な現実の中でも救いはある。まず誰よりも心の味方である雨海は、献身的なまでに心に寄り添い、心の妄想を応援してくれる。まぁ、どうして雨海がそこまで心に尽くせるのかは理由があってのことなのですが、ここでその理由について触れるのは野暮なので、ぜひ作品を読んでお確かめください。

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第2話「ルール(前編)」より)

そして何よりの救いは、心の百合妄想すら凌駕し、多幸感のあまりに心が溶けてしまうほどの“良い百合”が、現実でも起こりうるということ。あ、書き忘れましたが『ゆりでなる♥えすぽわーる』の世界では(もしかしたらこの世界でも)、良い百合を見ると人間は溶けます♥

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第2話「ルール(後編)」より)

起こりうるといっても確率でいったら、それは限りなくゼロに近いかもしれない。でも決してゼロではない。何せこの世界には36億人の女性がいて、18億通り以上の百合が実在し得るのだから……っ!

(『ゆりでなる♥えすぽわーる』① 第1話「私が死んじゃうまで(前編)」より)

……なんだか心に憑依されたかのようなテンションがブッ飛んだ文章を書いてしまいましたが、『ゆりでなる♥えすぽわーる』は、百合と呼ばれる感情を決して蔑ろに消費しない、すてきな作品だと心底思うので、ぜひ一度(特に女性の方に)読んでみて欲しいです。そして心が百合を心の拠り所にするように、自分もさまざまな物語を拠り所にして(かつ、いつか溶けてしまうほどの良い物語と出会うことを夢見ながら)これからも生きていこうと思います。

なんだか残暑が厳しすぎて、良い百合(もしくは物語)で溶ける前に暑さで溶けてしまわないか不安でもありますが、世知辛さを感じるニュースばかりが流れる現実に心が死んでしまわないよう、皆さんもマンガや物語を摂取しながらこの修羅を生き抜いていきましょう。それでは、また。

ゆりでなるvえすぽわーる 1巻の単行本情報

発売日:2019/07/13 試し読みあり ゆりでなるvえすぽわーる 1巻の単行本情報【あらすじ】【電子限定特典ペーパー付き】わたくしの(心の)余命はあと1年! それまでに作り上げるの…最高の「百合スケッチブック」を! 高校卒業と共に政略結婚が決まって…