第7回 ソーシャルメディア全盛時代に起きたある事件の顛末──ニック・ドルナソ『サブリナ』

2019/11/08 12:00

先ごろ、ニック・ドルナソ『サブリナ』日本語版(藤井光訳、早川書房、2019年10月)が発売された。昨2018年、イギリスの権威ある文学賞「ブッカー賞」のロングリスト(候補作)にグラフィックノベル=マンガとして初めてノミネートされ、受賞はならなかったものの、大いに話題になった作品だ。

ニック・ドルナソ『サブリナ』(藤井光訳、早川書房、2019年10月)

作者のニック・ドルナソは1989年生まれのアメリカ人作家。今年30歳とまだかなり若い。デビューは2016年。カナダのモントリオールに拠点を置くドローン・アンド・クォータリー(Drawn & Quarterly)社から『ビヴァリー(Beverly)』を出版した。あいにく『ビヴァリー』の日本語訳はないが、フランス語には訳されていて、2018年1月、この作品でドルナソは第45回アングレーム国際漫画フェスティバル新人賞(Prix révélation)を受賞している(この機会にフランス語版を読んでみたが、これはこれですばらしい作品である。表題作を含め6つの短編から構成されていて、「聖母マリア」という女子高生の誘拐を描いた作品は多分に『サブリナ』を想像させる)。

『サブリナ』はその彼の第2作目。2018年にやはりドローン・アンド・クォータリー社から発売された。版元のドローン・アンド・クォータリーは、エイドリアン・トミネやダニエル・クロウズ、クリス・ウェアを始め、アメリカの著名なオルタナティブ・コミックス作家のオリジナル作品やフランス語圏のバンド・デシネの英訳、日本の劇画の英訳などで国際的によく知られた出版社。そんな出版社からデビューし、さらにグラフィックノベルとして初めてブッカー賞にノミネートされたということで、ニック・ドルナソは2作目にしてはや相当な注目を浴びることになった。

個人的には、ブッカー賞ノミネートとか言われると、何だかマンガが文学様からお墨付きをもらったような感じがして読む気が失せてしまうのだが、そんな同志がいれば、これはマジでヤバいマンガだと強調しておきたい。

以下、本書の紹介をするが、そこそこ詳しく書くので、ネタバレはご勘弁という方はここまでにしていただいて、さっそく本書を手に入れていただいたほうがいいかもしれない。

ストーリーはこんなふうに始まる。

イリノイ州シカゴに住むサブリナ・ギャロは、旅行に出かけた両親に頼まれ、実家に泊まり込んで猫の面倒を見ている。

夜になって妹のサンドラが訪れる。サンドラには別の予定があったのだが、その前に少し姉に会っておきたくなったのだ。姉妹の間で他愛のない会話が繰り広げられる。サブリナは求職中で、セールスの仕事の面接を受けに行ったところ、詐欺めいた掃除機の個別販売だったとか、サンドラが過去に入院していたときに、患者に混ざって病院に寝泊まりをし、臨床試験を受けて対価をもらっている人たちと出会ったとか……。こうした事実とも作り話ともつかない、憶測混じりの小話は、この後もずっと本書のいたるところに散りばめられていくことになる。

サブリナとサンドラ(『サブリナ』P5)

やがてサンドラが、かつて19歳の頃にバスでひとり旅をしたときのことを語り始める。旅の途中、彼女は男たちに襲われそうになり、泣きながら飲食店のトイレに2時間閉じこもるというとても怖い思いをしたのだという。そのときのリベンジというわけでもないだろうが、サンドラはそのうち五大湖を自転車で回ろうと思っていると語り、サブリナもその旅に同行することを約束して、その晩はお開きになった。

翌朝、猫に餌をやり、両親に書き置きを残して家を出ると、サブリナはそのまま消息を絶った。

ひと月経つが、サブリナの消息は依然として知れない。サブリナの恋人で彼女と同棲していたテディ・キングはすっかり憔悴し、コロラド州で空軍の仕事に就いている旧友カルヴィン・ローベルのもとに身を寄せることになる。高校を卒業してからというもの、ふたりは特別親しくしていたわけではないが、テディの両親に頼みこまれ、カルヴィンはテディを快く受け入れることにした。ちょうどしばらく前に、妻のジャッキーと娘のシシが家を出て、実家のフロリダに引っ越したところだった。今、家にいるのは猫のランディだけ。部屋の空きは十分にある。断る理由は特にない。

駅でテディを迎えるカルヴィン(『サブリナ』P15)

テディはすっかりまいってしまっていた。食事もろくに喉を通らず、悪夢を見てはうなされる日々が続く。

悪夢を見てうなされるテディ(『サブリナ』P48)

シカゴでは、サブリナの妹サンドラが、やはり心配で居てもたってもいられない日々を送っていた。親しくしているアナがかいがいしく面倒を見てくれるが、ふとした瞬間にパニックに陥ってしまう。

アナのマッサージを受けていて、パニックに陥るサンドラ(『サブリナ』P64)

ある日、新聞社に1本のビデオテープが送られてくる。映っていたのは、若い女性が殺される場面。テープは同時にさまざまな放送局や政治家に発送されていた。どうやら被害者はサブリナらしい。犯人と思しいティミー・ヤンシーという青年は、サブリナを殺害したあとに自殺した模様である。

やがて、インターネット上に、まずはティミー・ヤンシーの、続いてサブリナの情報が溢れ始める。そして、サブリナの惨殺動画なるものが流出するに及んで、人々の好奇心の矛先はサンドラやテディ、さらにはカルヴィンといった事件には直接関係のない人々にまで及び、真偽のほどが定かでない憶測が独り歩きを始める……。

この騒動がどのような収束を見るのか、それはぜひご自身でお読みいただきたい。

ネットに溢れ出すティミー・ヤンシーとサブリナの写真(『サブリナ』P83上)

このように、本書が描くのはサブリナ失踪事件の顛末である。とはいえ、事件そのものにはほとんど焦点が当たらない。実家を出たあとのサブリナの足取りや犯人の動機、殺害の手順、犯人が殺害時に抱いていた感情、殺害直前のサブリナの心境……。そういったものが描かれることはない。本書が焦点を当てているのは、むしろこの事件が明るみに出たときに、それがどのようにソーシャルメディア上で消費し尽されたかであり、また、そのことが一部の関係者にどのような影響を与えたかである。

ソーシャルメディアの描写は日本のマンガにも決して少なくないと思うが、『サブリナ』ほどその怖さを描いたマンガは今のところ見たことがない。ここまでのいくつかの図版でもわかるとおり、『サブリナ』のコマ割りは非常に静的で、何なら画一的と言ってもいいほどである。日本のマンガに慣れていると、これが最初のうちは非常に読みにくい。ところが、しばらく読み続けこのコマ割りに慣れてくると、ストーリーと相まって、同じサイズのコマの連続がYouTubeやTwitter、Google画像検索などの画面を連想させ、妙な迫真性を帯びるのである。

圧巻はサブリナの死が明らかになったあとの展開である。テディと一緒に警察を訪れていたカルヴィンが自宅に戻り、インターネットで事件の犯人とされるティミー・ヤンシーを検索すると、既に犯人と被害者サブリナの写真や記事がインターネット上に増殖しかけている。カルヴィンが当たった最初の記事の投稿日時は2017年10月2日午後11時11分。既にその記事は316ツイートされていて、653ものコメントがついている(P83参照)。

記事には、「すでに30本以上のビデオテープを回収しており、郵便で怪しげなものを受け取った人がいれば、ただちに当局に連絡してほしいとのこと」と書かれている。コメント欄を表示すると、「これどうしても見たい」、「リンクは?」という書き込みが見え、それぞれ多くの「いいね」がついている。ソーシャルメディアをやっていれば日常的に出会うごくありふれたリアクションだが、事件に図らずも関係してしまった者にしてみれば、たまったものではなかろう。

目を横にやると、「おすすめトレンド」なるものが表示されている。「ティミーヤンシー」、「サブリナギャロ」というワードに、「プレーオフ」、「鮭のリコール」、「アヴェンジャーズ」が並ぶ。ユーザーの気持ちなどおかまいなく、あらゆるものが何の関連性もなく、同列に並ぶソーシャルメディアの怖さに改めて気づかされる。ここでは、加害者も被害者も、殺人事件も娯楽も、すべてが同じ価値で並ぶのだ。

それだけではない。それぞれの文脈から切り離され並列された情報は、別の文脈に組み込まれ、加工されてしまう。惨殺動画の流出後、カルヴィンまでもがソーシャルメディアの餌食になるが、彼がテレビ局の記者の取材に際して発した「言い間違え」をきっかけに、彼が実は俳優で、ティミー・ヤンシーと親友で…といった奇妙な解釈が溢れ始める。事実は拡散され、独りよがりな注釈を付され、文脈を一切わきまえない無責任な解釈にさらされ、改竄され、やがて虚構に呑み込まれてしまうのである。

分析され、解釈されるカルヴィンの写真(『サブリナ』P124)

だが、ソーシャルメディア上でいくら都合のいい答えを求めたところで、世界が不可解なものであることはどうすることもできない。サブリナの失踪から殺害に至るまでの詳細を省いているところに代表されるように、本書は限定的な視点から事実を提示するだけで、説明を試みようとはしない。登場人物もその例外ではない。陰謀論者のラジオ番組に夢中になり、パンツ一丁でカルヴィンの家をうろつくテディや、あまりにさまざまなことに無頓着なカルヴィン(特に猫のランディに対する仕打ちはひどい)の姿に私たちは不安を覚える。物語の中で彼らが別の人物と接触することもあるのだが、そのたびに何かよからぬことが起きてしまうのではないかという緊張感が走る。往々にしてそれは杞憂で肩透かしを食らうのだが、実際のところどう転ぶかわからないものもある。ことによると『サブリナ』は、不可解な世界に対する怖れの表明であると同時に、その不可解さの擁護であると言っていいのかもしれない。読者はすっきりしない読後感(とはいえ決して不愉快なものではない)を抱えつつ、ページを閉じることになるが、それこそ作者が求めていることなのだろう。

『サブリナ』については、既にいい記事がウェブ上にいくつもあるので、ぜひそちらもお読みいただきたい。

新元良一「コミックから浮かび上がるアメリカの憂鬱」(「新元良一のアメリカ通信」第2回)

矢倉喬士「君、バズりたまふことなかれ──沈黙を取り戻すグラフィック・ノベル『サブリナ』」(「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」第22回)

すずきたけし「【書評】『サブリナ』ニック・ドルナソ/藤井光・訳/早川書房」

11月5日(火)のTBSラジオ「アフター6ジャンクション」カルチャートークでのカラテカ矢部太郎による紹介も面白かったので、TBSラジオクラウドなんかで聴いてみることをおすすめしたい。

矢倉喬士さんが紹介されていることだが、ソーシャルメディア上の騒動を描いた本書がブッカー賞にノミネートされることで自身ソーシャルメディア上で話題になり、作者が困惑しているという話は、作者には悪いが、非常に面白い。おかげで私たちは海外マンガの翻訳が決して多いとは言えない日本でこの傑作を読むことができたのだから、結局、ソーシャルメディアだって捨てたもんじゃないのだろう。

 

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