壊れやすい卵のための21世紀マンガレビュー(第5回) 池辺葵『繕い裁つ人』

壊れやすい卵のための21世紀マンガレビュー(第5回) 池辺葵『繕い裁つ人』

1 はじめに

 本連載の第2回でも述べたとおり、藤本由香里は「少女マンガの根底に流れているのは、「私の居場所はどこにあるの?」という問い、誰かにそのままの自分を受け入れてほしいという願いであ」(*1)り、したがって、少女マンガという「少女の「居場所探し」の旅はそのまま「あり得べき理想の家族」の回復への旅に他ならない」(*2)と看破しました。

 日本の少女マンガは運命の男性との恋愛の成就を好んで描きます。これは、なるほど居場所を希求する「壊れやすい卵」の魂を慰撫する物語にほかなりません。しかし、こうした物語には困ったことに近代の家父長制を支える「ロマンティックラブ・イデオロギー」(「愛と性と生殖が結婚を媒介とすることによって一体化された」(*3)家族規範)を強化してしまう側面があります。

 本レビューでは「ロマンティックラブ・イデオロギー」を手放しで称賛することも安易に否定することもせず、「あり得べき理想の家族」の回復への旅とは一定の距離をおきながら少女(女性)の「居場所」の問題を多角的に検証しつづけてきたマンガ家・池辺葵を二回にわたって取り上げます。

 「居場所」と関連の深い言葉のひとつに「衣食住」があります。人が生存するうえで「衣服」と「食事」と「住居」は欠かせません。池辺の完結した三つの長篇は、まさにこの「衣」「食」「住」をそれぞれテーマにしています。このうち「住」を扱った『プリンセスメゾン』は次回ご紹介します。以下の文章では「衣」と「食」を扱った二作品について前者に軸足を置いてお話します。

2 作者・作品紹介

 今回メインでご紹介するのは、池辺葵繕い裁つ人』(全6巻)です。『Kiss PLUS200911月号から20143月号、及び『ハツキス』20147月号から20151月号にかけて連載されました。本作を原作とする同名映画(監督:三島有紀子、主演:中谷美紀)も制作され、20151月に公開されています。

 池辺は2009年に『Kiss』の「月例Kissマンガセミナー」で入賞した「落陽」(『Kiss PLUS20099月号)でデビューしました。以降、現在まで継続して長短様々な作品を発表しています。女性の孤独と自立を描くことにかけて彼女の右に出るマンガ家は見当たりません。本作は作者がデビュー直後に開始した初めての長篇作品です。

 作者の来歴について気になる読者も少なくないでしょう。しかし、彼女は多くを語りません。わずかに2014年のインタビューのなかで「大阪の田舎のほうで育」ち、幼少期には「マンガ読んで、絵ばっかり描いて」いたこと、そのころは岩館真理子大和和紀が好きだったこと、「子供の頃から絵以外なんにもうまくできなくて、「マンガ家になられへんかったらどうやって生きていくんやろう」と思って」いたこと、「ハタチくらいからは関西を転々とし」て「仕事はいろいろし」たものの「どれも上手くできず、結局マンガに戻」ったこと、「投稿を始めてからデビューまでは7年くらい掛か」ったことなどを訥々と語っています。(*4)大雑把にまとめると、マンガに、マンガ家という職業にしがみついて生きてきた、という趣旨の発言です。

 本作の主人公・南市江も洋裁に、仕立て屋という職業にしがみついて生きている30代の独身女性です。彼女の祖母・南志乃は生前、町の人々に服を作り続けてきました。その遺志を受け継ぎ、市江は「南洋裁店」の二代目店主となります。

 市江は先代の作品のお直しを請け負いながら自身の服を作っています。柔らかな雰囲気を纏っていますが、彼女には「お墓まで持っていける」服を仕立てるという固い信念があります。この職人気質の市江と、彼女の服に惚れ込んだ「丸福百貨店」に勤める男性・藤井を軸に衣服と人の物語が展開されます。

 市江は祖母が遺した備え付けの黒い足踏みミシンを使い続けています。ペダルを踏む彼女には凛とした佇まいがあります。ミシンの律動とともに布が洋服へと形を変えていきます。仕立てられた服はどれも時代を超えた品位を備えています。

 読んでいる私たちも、丹精を込めた手仕事に対する畏敬や憧憬から、背筋を伸ばさずにはいられません。それでいて、あたかも着るほどに体に馴染んでいく服のように何度も読み返したくなる上質な作品です。

3 池辺葵作品の特徴

 作者は簡素な線を重ねて紙面に静かに思いを込めます。その筆致は本作の主人公の慎ましくも厳しい手仕事に通じています。

 絵柄はとても上品です。ヨハネス・フェルメールのようであり、印象派絵画のようであり、マリー・ローランサンのようでもあります。カラーはもとよりモノクロでも穏やかな光と空気を巧みに描き出し、それを連ねて静かな時間の流れと細やかな人物の揺らぎを表現することに長けています。

 池辺作品では大きな事件は起きません。小さな出来事が水面に投じられた小石のように人物の内面に波紋を広げては去っていくばかりです。こうした内容に相応しく、その技法は極めてストイックです。

 作者は基本的にマンガ特有の「音喩」と「形喩」の使用を自らに禁じています。使うのは最小限の動線と簡単な記号(汗や涙など)に限られます。一般的なマンガで用いられる派手な効果線や漫符の類は使いません。また、ごく一部を除き、少女マンガが十八番とするナレーションやモノローグも排しています。

 読者のリテラシーに多大な信頼を置くスタイルです。語り口は慎ましやかですが、決して万人受けするマンガではありません。その作品の主人公が客を選ぶように作者もまた読者を選んでいる節があります。

 彼女の作品では、時折、前触れも断りもなくコマからコマへと移るあいだに時間や空間を大きく飛び越えます。現実から空想へと飛躍することさえあります。情報を整理するため、読者には集中力が要求されます。この手のマンガを読み慣れない読者には不親切に感じられるはずです。しかし、萩尾望都などの少女マンガの大家を贔屓にしている読者には堪えられない仕掛けと映ります。

 作品にはよく似た見た目のキャラクターが多く登場します。作者はどうやら顔の描き分けが苦手なようです。人物を同定するため、読者にはやはり集中力が要求されます。しかし、顔に注意を払うからこそ、抑制された表情からも細やかな感情を読み取ることができます。読者が作者の短所を長所に変えてしまうわけです。

 池辺作品は読み飛ばしてはいけません。時間をかけて読み進めるのが肝要です。そうすれば、背景の省略を多用して余情を生み出す、作者の卓越した演出術に驚嘆せずにはいれらないでしょう。

 描き込みのない余白は一見手抜きにも見えます。しかし、読者のまなざしがコマの余白に滞留する間、そこには作中人物の思いが揺蕩い、美しい余韻が生まれます。作者は日本一巧いマンガ家の一人だと筆者は思います。[図1]

図1 池辺葵『繕い裁つ人』4巻、講談社、2013年7月、146頁。

4 『サウダーデ

 『繕い裁つ人』には「居場所」をめぐる市江の葛藤が描かれます。問題を明瞭にするため、本作と並行して執筆された『サウダーデ』(『Kiss20116号から20123号)と比較してみましょう。

 作品の舞台は喫茶店「サウダーデ」です。30代の独身女性・芳乃が店主をつとめ、調理を担当する涼と接客を担当するアルバイトのタツエという二人の女性がともに働いています。店を訪れる客と彼女たちの間に「食」をめぐるささやかなドラマが展開されます。

 『サウダーデ』と『繕い裁つ人』は姉妹関係にあります。芳乃と市江は高校の同級生であり、友人同士です。同じ町内に店を構えており、互いに行き来します。二人の間には作品を跨いだ連帯が結ばれているわけです。

 トーンは『繕い裁つ人』より若干明るく、落語の人情噺のような趣きがあります。作者のシニカルなユーモアが遺憾なく発揮されており、人間のおかしみを描きつつ読者の心をちくりと刺します。こうした持ち味は作者が親しんだ岩館真理子に近いものがあります。もっとも岩館のように針に致死性の毒を忍ばせているわけではありませんが。

 芳乃は仕事場で自由気儘にふるまいます。愛想のない接客をして、しばしばトラブルを起こします。彼女の勤務態度は生真面目な市江とは正反対に見えます。しかし、芳乃もまた仕事人としての矜持を持っています。

 ある日、情報誌の広告営業をしている女性客が来店します。店にブルーベリーシロップがあるとを知り、カフェラテにブルーベリーソースを添えてほしいと注文しますが、芳乃は頑として応じません。女性客は接客に不満を抱いて店を出ますが、二度目に来店した晩、芳乃から常連客に寄り添う店の経営方針を聞かされ、認識を改めます。

 ブルーベリー事件の真相は、後日涼の口から明かされます。曰く、芳乃はブルーベリーの苦みがコーヒーの苦みをつぶしてしまうことを知っていたため「自分が納得できないものは出さない」という客への礼儀を貫いたのだ、と。[図2]

図2 池辺葵『サウダーデ』1巻、講談社、2011年7月、104-105頁。

 このように芳乃と市江の人間性はよく似ています。しかし、両者は境遇が異なります。一言でいえば、芳乃は自由で市江は不自由です。この違いが二つの物語に対照的な性格を与えています。

5 「変わらないこと」と「変わること」

 池辺作品には親との関係性が希薄な人物や、親への複雑な思いを抱えている人物が数多く登場します。彼らは幼少期に母親に捨てられた経験があったり両親を亡くしたりしていて、親戚の家、施設、修道院といった両親が不在の環境で育っています。強権的な「父」は登場しません。

 例に洩れず『サウダーデ』の芳乃も両親を早くに亡くして児童養護施設で育っています。彼女はそこで同年代の男の子と親しくなりました。彼は成長し、現在は写真家として世界中を飛び回っています。他方、彼女は料理を学び、自宅を兼ねた喫茶店を開きました。そして現在、彼の故郷となる場所を守り続けています。

 芳乃は喫茶店に「サウダーデsaudade)」というポルトガル語の名前をつけました。何かと、または誰かと隔てられている切なさを意味し、「郷愁」「憧憬」「思慕」などと訳される言葉です。語源は「孤独」を意味するラテン語の「solitate」だといいます。芳乃はこの場所で、いつ帰るともしれない大切な人を思い続けています。

 『サウダーデ』は自ら「居場所」を作り上げた女性の、その後を描いた物語です。彼女の願いはようやく手に入れた「居場所」を守ることです。それゆえ、この物語は基本的に「変わらないこと」に価値を置きます。

 他方『繕い裁つ人』の市江も特殊な事情を抱えています。祖母と母と娘、三代にわたる確執です。祖母・志乃は洋裁店の後継ぎとなる婿を望んでいました。しかし、母・広江は家を出て、愛する男性と駆け落ち同然に結婚しました。市江は生まれてすぐに祖母に引き取られ、後継ぎとして育てられました。その後祖母と母は和解し、両親は家に戻ったものの、小学生になっていた彼女はすでに自らの役割を受け入れていたといいます。

 『繕い裁つ人』は血の繋がった親族に「居場所」を決められた女性の物語です。彼女の使命はあらかじめ与えられた「居場所」を守ることです。しかし、彼女には「居場所」を自分に合わせて作り替える自由があります。そこから出ていく自由さえあります。それゆえ、この物語は「変わらないこと」と「変わること」という相反する価値を揺れ動きます。

6 市江の変化

 物語は百貨店社員の藤井が市江の作品を「ブランド化してネットショップで扱」おうと企画して彼女の店を訪れる場面から始まります。藤井は持参したファッション・モデルの写真を示して説得を試みます。「人気モデルが着るだけで洋服の価値はあがるもの」だと述べる藤井に対し、市江は「つまんない写真」と呟き、「自分の美しさを自覚している人には私の服は必要ないわ」、「着る人の顔が見えない洋服なんて作れないわ」と言い放ちます。藤井も負けていません。即座に「単に挑戦するのが怖いだけじゃないんですか」、「変化を恐れているだけじゃないんですか」と市江に反論します。

 市江は否定しますが、これは彼女の本質を突いた言葉です。彼女の生き方は先代に縛られています。それは一種の「呪い」といえるかもしれません。もとより市江もそれを自覚し、変化の必要性を感じています。

 彼女が変化を望んでいる一つに「夜会」があります。客のためにお洒落をする機会を作ろうと先代が始めた定例のパーティーです。参加資格は夫婦に限られ、みな先代の服を着ています。客の世代交代は進んでいません。

 市江は「夜会」の開催に消極的です。しかし、たとえ自分の意志にそぐわなくとも先代から継承したものを止めるのは簡単ではありません。それが店の看板を受け継ぐ難しさです。市江には南洋装店を自分の店にしていく課題があります。

 市江は客の体形に合わせて先代の作品のお直しをします。先代がそうしたように着る人の人生の一部となる服を作ります。自分に言い聞かせるように「二代目の仕事は一代目の仕事を全うすること」だと藤井に語ります。

 市江は、しかし、彼女の作り出す服をもっと見たいと語る藤井に背中を押されて、自分の作品づくりに積極的になっていきます。若い世代に服を作り、自分の技術を教えるようにもなります。要するに、自身の望む仕事と向き合うことで自分の店にしようと奮闘します。そうして市江と藤井は少しずつ親交を深め、互いに好意を寄せ合うようになります。

 市江は南洋裁店で自作の展示会を開き、その中心に男性用のスーツを据えます。市江が誰のためにそれを制作したのか、彼女の秘めたる思いは、ひとコマに描かれた展示会の批評文にまで目を通し、かつ、藤井の上気する表情に気づいた読者だけが知れるように周到に計算されています。[図3]

図3 池辺葵『繕い裁つ人』3巻、講談社、2012年8月、176-177頁。

7 オーダーメイドとレディメイド

 南洋裁店を訪れる客は年齢、体形、予算など異なる悩みを抱えています。市江はひとりひとりに寄り添い心を砕きます。彼女が姉のように慕うブティック経営者の牧によれば、「市江はデザイナーでもパターナーでもな」く「もっと人と密着して」います。市江は注文客のありのままを肯定する服を仕立てます。それは思いやりに満ちた手仕事に違いありません。

 けれども、本作には市江の手仕事を相対化する人物たちが配置されます。例えば、デザイナー志望の柳原翔です。人懐っこい性格で若さと野心に溢れています。牧は市江と翔を対比させて「たった一人のための洋服をたった一人でじっくり作り続ける毎日」を好む市江と「あふれでてくるデザインをたくさんのチームでどんどん形にしていく」スタイルを好む翔、と解説します。

 デザイナーの立原とパターナーのアラキの二人もそうです。二人は服飾専門学校で講師をつとめた先代の教え子で、既製服を生業にしています。翔はこの二人の助力を得て定番商品を販売するブランドを企画し、第一弾にカットソーを制作します。

 三人は試作品を手に市江を訪問します。市江が試着したところ肩幅が合いません。一同はすぐにサイズ展開の議論を始めますが、それを立原が諫めます。「一番大事なのは絶対これを着たいって思わせられるかだよね/自分の体変えてでも」。市江が「肩のサイズは変えられない」と反論すると、立原は「人はね ある程度は変えられるんだよ 骨格だとしてもね」、「市江さんは(略)人は変わらないと思ってる/そりゃあやさしさってより甘やかしだよね」と辛辣に返します。

 客の体形に合わせて市江はお直しをし、服を仕立てます。それは客が服に合わせて変化する可能性を摘みとる行為でもあります。市江は知らず、自分と同じ「呪い」を客にかけていたとも言えます。

8 志乃の思想

 立原は市江の開催した展示会に来訪した際にも「理想的なパターンで作ってんだから」「人間のほうが服に合わせりゃいい」と語っていました。興味深いのは、市江の対極にあった彼の思想もまた彼女の祖母・志乃から受け継いだものだということです。

 立原は市江の展示会をファッション誌のコラムで紹介します。彼はその文中に、若き日に繰り返し聞かされた「一人の女性講師」の教えを引用しています。

洋服はその人の人生にそぐわなければ着こなすことが難しい/だから決してその人から程遠いものを作ってはいけない/しかしまたあまりに寄り添いすぎてもいけない/洋服を仕立てようとするとき多くの人はくり返す日常に時に飽き飽きし/自身さえ変えたいと願いながら足を運んでやってくるのだから

 祖母の言葉を目にした市江の表情は描かれず、胸の内は読み取れません。ただし、これに続く場面で彼女が感化された可能性が示唆されます。市江は自家製のアップルタルトを手土産に店を訪ねてきた芳乃に向かって「最近 ちょっと太った?」「たまには既製服買ったら?/自分のサイズが一般的にどのあたりかよくわかるわよ」と投げかけます。

 志乃の「洋服は人に寄り添いすぎてはいけない」という思想は、彼女の最高傑作にまつわるエピソードに顕著です。実家に戻った娘の結婚のお披露目会のために、志乃はウエディング・ドレスを仕立てました。彼女はこのドレスを、敢えて娘が若く痩せていたころのサイズで作り、娘に諭しました。「男だって服みたいなもんさ/それに見合うだけの努力を惜しんじゃいけないよ」。牧のウエディング・ドレスを仕立てたことで、市江は幼き日に耳にしたこの教えを思い起こします。[図4]

図4 池辺葵『繕い裁つ人』4巻、講談社、2013年7月、178頁。

 こうして市江は、先代がときには人に合わせない覚悟で服作りをし、人が服に、あるいは大切に思う相手に合わせて自身のスタイルを変化させる努力を奨励する職人であったことに改めて気づきます。

9 手に職を持つ女性の物語

 市江が藤井に寄せる思いは時を追うごとに増していきます。しかし、市江の「居場所」は南洋裁店をおいてほかにありません。藤井にそれを求めるわけにはいきません。

 物語の終盤、藤井のパリへの出向が決まります。市江は「私たちは願いながら縫うんだよ/(略)その人に最高の幸福が訪れるように」という祖母の教えを胸に藤井のコートを仕立てます。藤井はフランスに立ち、市江は日本に残ります。

 とはいえ、市江は以前の彼女ではありません。丸福百貨店で季節ごとに開催されるブラックドレス展に参加するための継続的な作品制作を決意します。黒のフォーマルドレスは先代が最も拘っていた洋服であり、最も注文の多い洋服でもあります。

 服を人に合わせる方法に加えて、人が合わせたくなる服を作る覚悟を知ることで、市江は名実ともに南洋裁店の主人となりました。母・広江はそんな娘について感傷的に語ります。「仕立ての意味もわからぬころからミシンを踏み続けてもう30年近くたつんですもの/市江が南の主人であることに幸も不幸もないんだろうって 最近は そう思うのよ」。

 本作は、かくして手に職を持つ女性が自分の「居場所」で大切な男性の帰還を待ちつづける構図へと帰着します。これは姉妹作『サウダーデ』と相似する形です。池辺作品において最も安定する男女の関係性なのでしょう。

10 おわりに

 最終巻の巻末には、渡仏を来月に控えた藤井と市江の対話を描いた番外編が収録されています。連載が『Kiss PLUS』から『ハツキス』へと移籍する合間に、『Kiss20145月号に掲載されたエピソードです。

 店内にいる二人の前には一着の既製服があります。正規の料金の半額で仕立てる代わりに市江が客から譲り受けたものです。美しい刺繍とフォルムに感嘆して「もっと学ばないとだめね」と語る市江に、藤井がある申し出をして「最高の洋服作りましょう」と結びます。市江は満面の笑みを浮かべて「いつになるやらね」と呟きます。[図5][図6]

図5 池辺葵『繕い裁つ人』6巻、講談社、2015年1月、189頁。
図6 同上、190頁。

 さて、藤井は市江に何と語ったのでしょうか。敢えて伏せますが、恋愛よりも仕事を優先させる市江に贈るに相応しい、シンプルで象徴的な台詞です。ぜひ本作をお手にとってご確認ください。

 

[註]

*1 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』朝日文庫、20086月、143頁(初出、藤本由香里「あなたのための場所」『イマーゴ』199110月号)。
*2 同上、145頁。
*3 千田有紀『日本型近代家族 どこから来てどこへ行くのか』勁草書房、2011年、16頁。
*4 岸野恵加取材・文「ハツキス創刊記念! 池辺葵繕い裁つ人」インタビュー」2014613日更新、ウェブサイト『コミックナタリー』、https://natalie.mu/comic/pp/hatsukiss、最終アクセス202142日。

記事へのコメント
コメントを書く

おすすめ記事

コメントする