コンプレックスを見つめ直し前を向く『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』

『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』

どんな人もひとつは持っているであろうコンプレックス。特にメディアを通じて女性は若々しく美しくあることを求められる日本では、外見のコンプレックスを持つ人は少なくありません(だからこそ、それを解消するための広告がビジネスとして成立しています)。「胸が小さい」「太っている」など、特に若い頃に影響を受けると自分自身を縛り、心身の健康を害することもあります。hara先生の『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』(KADOKAWA)は、「ボディポジティブ」という言葉を知り、プラスサイズの人たちがおしゃれを楽しむ姿を通じて自分の体格を前向きに捉えられるようになれる過程を描いた作品です。何か自分の力ではなかなか変えられないものにコンプレックスを抱えている人はひとりではなく、そのコンプレックスにどう付き合えばいいのかが見えてきます。

作者のhara先生は子供の頃から「太っていて可愛くない」「何を着ればいいのかわからない」「お洒落をする資格はない」という思いを抱え、人目が怖くて普通に食事もできませんでした。コンプレックスのきっかけは外部のメディアからの指摘だったり誰かの言葉だったりするのですが、hara先生の場合は中学生の時に街なかで体型をからかわれたという経験がありました。極端に食べることを制限したり逆に食べることがコントロールできなくなる摂食障害になったりして、好きだった絵もかけなくなってしまいます。

その中でhara先生が出会ったのがプラスサイズ専門のファッション雑誌。「ボディポジティブ」という言葉を知ります。

ボティポジティブとは「自分たちのありのままの姿を受け入れよう」という、体にまつわる差別的な社会の見方を無くそうという運動です。少し前までテレビやSNSなどの広告を通じた女性の体のイメージはアパレルメーカーなどが想定する「美の基準」にあうスリムな体型ばかりでした。それがここ数年で、企業やメディアの押し付ける美の基準ではなく、自分たちの体そのものを愛そうとする動きが出てきたのです。

ファッション雑誌で「ボディポジティブ」という考えを知ったhara先生はSNSなどで発信されるプラスサイズ(この言葉も使うことに対して疑問があるようですが)のモデルらがおしゃれを楽しんでいる姿を見ることで「プラスサイズの人がおしゃれを楽しむのは好きだし日常だ」と考えを変えることができ「自分もおしゃれを楽しんでいいのかもしれない」と、一歩踏み出します。

「どうせ自分なんて」というところから、少しずつ雑誌のファッションを真似したりSNSで投稿している人を参考にして化粧品を買いに行ったり。コンプレックスと共存しながら少しずつ自分の体を好きになる様子が丁寧に描かれます。その様子は2歩進んで1歩戻るぐらいのペースですが、逆に長年のコンプレックスから抜け出すにはこのぐらいのペースでいいのだと安心させてくれます。

重要なのは個人がコンプレックスを抱えていることはいいけれども、それは周りからバカにされたりからかわれたりしていいのもではないということ。職場を含むコミュニティでそれを冗談や会話の潤滑剤としてされたら真剣に怒っていいということです。hara先生も職場で年上の男性から「おい ドスコイ!」といわれ、とっさに「サイッテーですね!」と言い返します。いったあと、若干の気まずさはあったようですが、傷つけられることを許容する必要はありません。たとえテレビ番組などでコンプレックスをバカにされたりからかわれていても、自分がそれを現実社会で受け止めなくていいのです。ポイントは怒りが起こるうちに表に出すことで、心が麻痺して当たり前になると言われた悪口を自分のこととして引き受けてしまいます。これもボディポジティブの考えで自分の体型を受け入れられるようになってきたからなのではないかと実感しました。

なお、イメージの発信という点ではテレビや広告に限らず、マンガというメディアも無縁ではありません。日本では少女マンガで平間要先生の『ぽちゃまに』(白泉社)という作品が人気を集めました。

スタイルがいい少女マンガの主人公が多い中、『ぽちゃまに』は今で言うプラスサイズ、周りの女の子に比べるとぽっちゃりした女の子を主人公にした恋愛マンガでした。当時は画期的でしたが今から振り返ると、ぽっちゃりした女の子に与えられた性格は「やさしそう」「母性」「いろいろなことを受け止めてくれそう」というもので、実際作中で「特殊な性癖」とされた男性をパートナーとして受け止めることになります。

自分サイズでいこう』の中のhara先生とプラスサイズモデルの方のインタビューの中でもマンガなどの中でプラスサイズのキャラクターに対してもものすごく明るいか暗い悪役かといった極端なキャラ付けが行われていることを指摘しています。人気や影響力があるからこそ、マンガというメディアでのイメージ発信にはまだできることがありそう。現実社会での「プラスサイズの人=食べるのが好き、運動が嫌い」とステレオタイプな価値観もマンガなどフィクションのメディアを通じて変わっていったら面白いのではないでしょうか。

体型に限らず誰かの抱えるコンプレックス。周りから見れば「小さい」と思えても、積み重なり縛られれば心身の状態を崩します。『自分サイズでいこう』は体型の話ですが、この体型というコンプレックスと付き合っていこうという姿勢はほかのコンプレックスの向き合い方にも参考になります。もちろんポジティブに考えようといわれてすぐに考え方を変えられるようであればコンプレックスにはなりません。しかし、すぐに変えられなくても「こういう考え方がある」と知ることは、苦しい場所から一歩踏み出すきっかけになりそうです。

記事へのコメント

文中の本筋から外れますが、ステレオタイプなぽっちゃりが描かれている例として挙げられている「ぽちゃまに」に関しては主人公の妹二人は同じぽっちゃりでも紬とは全然違った性格をしているし、又途中から登場する後輩のぽっちゃり女子(途中で痩せる)は相撲が好きなど活発な性格として描かれています。
そもそもで主人公は真逆の体型のモデル系の友人キャラもとても優しい性格なので「この体型だから優しい」みたいな読み方をする方がむしろナンセンスだと思います。
又、主人公に関しても食べるの好き、母性的な性格は確かにそうですし、一見誤解するかもしれないですが、内面に関しては巻を経るごとに決してそれだけではない別の面も丁寧に描かれています。
彼氏に関してもある意味そういった好みも個性として描いているのが多様性を重視する趣旨の一環なのでは。後、主人公カップルは実際周囲の人間からその性癖や体型故に偏見の目で見られている設定なのですが、それに負けずに明るく生きようというメッセージもしっかり描かれていました。
haraさんがこの作品に関して批判をしているのかは分かりませんし、確かに自分もステレオタイプな描き方をしていたり、酷いと描き手自身が本当にぽっちゃりを偏見で見下しているような感じが透けて見える作品も実際に見たことがあるのである程度は同意なのですが、記事内の「ぽちゃまに」への引用内容に関しては違和感があったので反論させていただきました。

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