『三国志』を知りたい初心者にうってつけの歴史大河ギャグ—片山まさゆき『SWEET三国志』

『SWEET三国志』

 突然ですが、三大「男が好きなもの」といえばヘリコプター、F-1、そして三国志ですね。『ハトのおよめさん』のハトのダンナがそうだったから間違いない。

 

『ハトのおよめさん』8巻81ページより

 

 しかしこの三国志というもの、一般教養のごとく語る人もいる一方で、「実はあんまりよく知らない……」「興味はあるんだけどハードル高くて……」という人も少なくないだろうと思います。
 まず、なんといっても長い。原作たる中国の『三国志演義』注1:ここらへん本当は色々面倒な話になるんですが、本稿の主題とは直接関係ありませんので、注釈はまとめて一番下に置きます)は、黄巾の乱(184年)から、諸葛亮孔明注2の死(234年)、蜀の滅亡(263年)、呉の滅亡(280年)まで100年近い歴史を描く一大サーガであり、全120回という長い構成ですので、それを元にした小説や漫画も大抵の場合長くなります。日本人にとっての三国志のスタンダードである吉川英治の小説『三国志』は本編10巻+序&篇外余録の全12巻構成ですし、横山光輝の漫画『三国志』は単行本60巻(文庫版で30巻)に及びます。軽く読もうというにはどうしてもハードルが高い。また、この長さの副作用として、「ストーリーを最後まで書ききれずに打ち切られてしまう」という問題もしばし発生します。例えばテレビアニメ版の『横山光輝三国志』は4クール47話と立派な話数をかけました(作画もいい)が、それでも「赤壁の戦い」(三国志随一のクライマックスではありますが、ストーリー的には概ね半分くらい)までで終了していますし、『漫画ゴラク』で連載していた川辺優山口正人爆風三国志 我王の乱』は、「いっけねえ〜(テヘペロ〜)」という感じで爽やかに死ぬ孫堅など見どころ多いんですが、15巻かけて「呂布の死」(ストーリー的には5分の1前後)までやったところで連載が終わってしまっています。

 

『爆風三国志 我王の乱』9巻200ページより

 

 それと、三国志ものと一口に言っても、作品によってアレンジの利かせ方に幅があるわけでして、どれを入門として選べばいいのかも分かりづらい。この辺何も知らないで手に取った作品から知識を得ると——例えばアーケードゲーム『天地を喰らうII 赤壁の戦い』(超名作)を遊んで「蜀の『五虎大将軍』というのは関羽・張飛・趙雲・黄忠・魏延の5人で、赤壁の戦いでは呂布が蜀軍の前に立ちはだかるんだよね」と言ったり、シンエイ動画制作アニメ版『三国志』(一応「原作:横山光輝」とクレジットされているんですが、キャラデザ・ストーリーともに面影ほとんどゼロです)を見て「三国志のヒロインは麗花姫という呉の姫で、魏の于禁という女将軍は曹操に許されぬ恋愛感情を抱いているんだよね」と言ったり、テレビアニメ『鋼鉄三国志』を見て「呉の陸遜というのは孔明の弟子で、劉備は玉璽の力で冷凍ビームを吐き呉の将軍を氷漬けにするんだよね」(これは筆者が適当ぶっこいてるのではなく、『鋼鉄三国志』はマジでこういう話です)と言ったりしてしまったら、三国志ファンに「それは原作とだいぶ違うからね」と言われてしまいます注3

 しかしここに、単行本全5巻(文庫版だと全3巻)とコンパクトなのに、黄巾の乱から「死せる孔明生ける仲達を走らす」という故事成語で知られる孔明の死までを描ききっていて注4、話の流れは『演義』にかなり忠実(ヒロインまわりだけは大きな変更がありますが、まあここは吉川版とかもアレンジ入れてるところですしな)、そして面白いという、三国志初心者にはまさにうってつけな漫画が存在します。それが、今回紹介する、麻雀漫画の大家・片山まさゆきによる『SWEET三国志』です。

 本作の連載は92〜96年、ヤングマガジンの増刊である『ヤングマガジン海賊版』および『ヤングマガジン増刊赤BUTA』です。そして本作、基本的にはギャグ漫画です。何しろ、三国志をよく知らない人でもその名は知っているだろう大軍師・諸葛亮孔明からして、鼻にいつも吹き戻し(ピロピロ)をつけているアホな見た目をしています。

 

『SWEET三国志』文庫版2巻244ページより

 

 ギャグは当時の時事ネタが多く、例えば冒頭、主人公の劉備玄徳が、賊に襲われ瀕死の母から自分の体に漢皇室の血が流れていることを告げられるシーンでは、「お前の体の中にはサッカーボーイの血が流れているのです!!」と当時の競馬ネタから入ります(サッカーボーイ:1985〜2011。オグリキャップと同期というシンデレラグレイ世代で、阪神3歳S・マイルCSという2つのマイルGIに勝ってます。当時は種牡馬になったばかり)。

 

  
『SWEET三国志』文庫版1巻15〜16ページより。ウマ娘のおかげでこのギャグに対する解像度も上がった人が多いかと思います。ちなみにサッカーボーイ本馬は先述の通りマイルGIで勝ってるんですが、実は血統的にはバリバリのステイヤーだったので、本連載後に登場した産駒は菊花賞で勝ったナリタトップロードや菊・春天・宝塚を勝ったヒシミラクルなどステイヤーが多いです

 

 競馬ネタだと他にも、「一日に千里(約400キロ)を走る」と言われた三国志随一の名馬である赤兎馬は、400000メートルレースを走れるということでステイヤーと呼ばれ、父は御存知7冠馬シンボリリルドルフ会長、母は史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌ(ウマ娘でもメジロドーベルのシナリオで存在が出たそうですね。筆者はドーベルを引けてないので確認できてませんが……)ということにされていたりします。

 

『SWEET三国志』文庫版1巻126ページより。ちなみにこの配合は「10冠ベイビー」と呼ばれたメジロリベーラという馬が現実にいますが、一戦しただけで脚部不安により引退しています

 

 その他の登場人物でも、張繡(ちょうしゅう)は長州力の姿をしていますし、その軍師・賈詡(かく)が西武ライオンズのユニフォームを着ているのは、当時の西武エース投手だった”オリエンタル・エクスプレス”郭泰源(かく・たいげん)が元ネタです。

 

『SWEET三国志』文庫版2巻15ページより。ちなみに筆者が三国志で一番好きなのはこの賈詡です。孔明ほどの知名度はないですが「打つ手に失策なし」と言われた超有能

 

 しかしまあこの辺、元ネタが分からなくてもギャグとしては成立してますし(西武の投手が軍師やってるだけでなんとなく面白いですしな)、『演義』との絡め方も上手い。筆者が特に好きなのは、群雄の一人である袁術の最期のシーンです。彼は『演義』においては、敗走する最中、料理人に蜜水(蜂蜜を溶かした水)を求めるも「ここには血水しかない」と言われて血を吐いて死にます。このシーン、吉川版だと、料理人ではなくその辺にいた農夫に蜜水を求めて、

“「農夫農夫、予に水を与えよ。……蜜水はないか」
 すると、そこにいた一人の百姓男が嗤って答えた。
「なに。水をくれと。血水ならあるが、蜜水などあるものか。馬の尿でものむがいいさ……」”

と言われて「水も恵んでもらえない身になったのか」と悲嘆して血を吐いて死ぬとアレンジされており、横山版だと、やはり農夫に水を求めるも、農夫が水の入った瓶をひっくり返し「さっきまで水はあったがね 今なくなっちまった」「血ならまだ少しはからだに残っているがね それ以外はみんなおまえに吸いとられてしまったからな」とのたまうというハイレベルな嫌がらせを受け「民の心はそこまで離れていたのか」と血を吐いて憤死するとアレンジされているなど、作品によって微妙に異なるアレンジがされております(ちなみに『蒼天航路』では”「蜂蜜がなめたい」と言ったあと血を吐いて病死した”と描かれています)。
 で、本作での袁術の最期の言葉は「エビアンくんできて」。これ、当時話題になっていた「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の93年7/25放送回「松ちゃん苦しい!!浜ちゃんフランスにエビアン汲みに行く!!」(前の回の「松本VS浜田走り高跳び対決!!」で負けた浜田雅功への罰ゲームとして行われた、「弁当を喉につまらせた松本人志がエビアンで流し込もうとするが中身がカラ、そこで浜田が『エビアン汲んできて! 現地まで行ってエビアン汲んできて!!』と言われてフランスまでエビアンを汲みに行かされる」という回)が元ネタのパロディなんですが、やはり元ネタ知らなくてもギャグとして成立してますし、しかも農夫じゃなくて部下に頼んでる分、吉川版や横山版より『演義』に忠実と言えなくもないという。

 

『SWEET三国志』文庫版巻ページより。ちなみに袁術の首からエビアンまで紐みたいなのがつながってるのは「エビアンホルダー」という当時のオシャレアイテムです。当時の日本ではエビアンをホルダーに入れて身につけるのが最先端のオシャレだったのです。現代の感覚からすると正気とは思えませんが色々あって本当にそうだったんだ。嘘だと思う人は「エビアンホルダー」で検索していただきたい

 

 本作、三国志最大のハイライトである「赤壁の戦い」以降は、作中でも孫権が「えらい話ふっとばしてないか!?」とセルフ言及しているように話がかなり巻き気味になり、

 

『SWEET三国志』文庫版3巻271ページより。本作の魯粛はなぜかハンギョドンです。あとまたプロ野球ネタ

 

「孔明の南蛮行」注5なんかは丸々省かれてますが、まあ南蛮行はなくても正直あんま問題ないですし、「泣いて馬謖を斬る」という故事成語があるほどに2000年後の現代まで汚名を残すことになる馬謖の登山みたいな重要エピソードはちゃんと押さえてるので、三国志のメインの流れを知る分には問題ありません。
 それと本作、「官渡の戦い」がきちんと描かれています。これは曹操が当時最大の敵だった袁紹を破った戦いで、史実的にはこれで世の趨勢が決まったと言ってもいいくらい超重要なものなんですが、横山版ではちょうどこの時期に掲載誌(『少年ワールド』)が休刊して連載も第一部完となってしまい、新たな後継誌『コミックトム』で連載再開するも、「また何かあるといけないから」ということで第2主人公である孔明の登場シーンをさっさとやることにした(この辺については、清岡美津夫氏による論文「横山光輝はなぜ官渡の戦いを描かなかったのか」が詳しいです。ちなみに、同論文でも書かれてますが、テレビアニメ版ではアニオリ回を1話作って描いてます)という経緯のため、端折られてしまっているのです。というわけなので「自分は横山版で三国志履修してるぜ」という方でも、本作はあらためて読む価値はあったりします。
 というわけで、「今から三国志を履修したい」という人にも、すでに履修してる人にも(三国志マニアだと本作は押さえてる人が多い気はしますが)オススメな一品。片山まさゆき、麻雀漫画だけが面白い人ではないのです。

 


  • 注1)『三国志』というもの、そもそもは陳寿(233〜297?)という同時代人が書いた歴史書でして、『三国志演義』は、それに書かれている史実をベースに、14世紀ごろに羅漢中という人が講談などで伝わっていた話をまとめて小説化したもの(羅漢中という人が生没年などほとんど不明なのでこの辺は諸説あるんですが)です。なので中国の人からしたら「『三国志』つったら史書のことで、『演義』のことを『三国志』とは呼ばねえ」となるらしいんですが、日本はこの辺あいまいで、『演義』ベースの吉川版や横山版が『三国志』というタイトルであるように、『三国志』=『三国志演義』という扱いになっています(マニアは「正史」「演義」などと呼んで区別します)。ちなみに『演義』、史実には登場しない架空キャラ(関羽の腹心・周倉など)が何人も出てきたり、史実とキャラ設定が変わっていたり(例えば呉の魯粛は、史実だとメチャクチャ切れ者なんですが、『演義』だとお人好しとして孔明にいいようにあしらわれる引き立て役になってしまっており、魯粛ファンは憤死します)するので、『演義』ベースの話だけ読んで歴史を理解した気になると落とし穴にはまります。
  • 注2三国志の登場人物の名前、日本だと「劉備玄徳」「諸葛亮孔明」みたいな書かれ方がスタンダードですが、「劉」は姓、「備」は名(本名)、「玄徳」は字(あざな)なので、「『劉備』か『劉玄徳』が正しい表記であり、『劉備玄徳』と書くのは誤り」という話があり、理はあるんですけど、『演義』ベースの話を『三国志』と呼ぶのと同様に日本ではこれが慣用になっているので、本稿でもこの表記を使っています。あと中国でも、文書においては人を説明する時に出身地・姓・名・字をつなげて書くのは普通にあって、例えば『正史』でも「潁川徐庶元直」とか書かれてたりするので、この書き方は絶対に間違ってるとも言い切れないのですわ。まあ「『源九郎義経』みたいなもので、『劉・備・玄徳』で『姓・名・名』であり、『劉備・玄徳』で『姓・名』じゃない」ということの把握さえしとけばOKだと思います。
  • 注3)吉川版や横山版が『演義』に完全に忠実かと言うとそうでもなく、後述するように吉川版は孔明の死で話を終わらせてますし、その他にも例えば『演義』では冒頭、劉備は若くして父を亡くしたため母と二人で貧乏暮らしをしながら孝行息子だった」という程度の人となりが説明されただけで、すぐ関羽・張飛と出会って義兄弟の契りという感じで話が始まるんですが、吉川版だと前半の主人公たる劉備のキャラを立てるために「母親のために苦労して高級品のお茶をおみやげに買ってくる」というような具体的な孝行息子エピソードが丸々創作されてたりします。横山版序盤の名シーン、「茶壺をチャッポーッ(茶壺だけに)と川に投げ捨てる劉備母」もこの吉川版がベースなのです。ただ、ここで例に挙げたのに比べると(五虎大将軍は魏延じゃなくて馬超だし、呂布は赤壁のはるか前に死んでる。呉の姫は政略結婚として劉備の妻となる実在の人物ではありますが麗花姫という名前じゃないし特にヒロインでもなく、于禁は普通の男将軍。孔明と陸遜は師弟じゃないし、劉備は冷凍ビームを吐かない)、概ね『演義』に忠実です。
  • 注4)『演義』では104回で孔明が死に、119回で蜀が滅び、最終の120回で呉が滅んで終わるんですが、吉川は『三国志』篇外余録で、
    ”ゆえに原書「三国志演義」も、孔明の死にいたると、どうしても一応、終局の感じがするし、また三国争覇そのものも、万事休む——の観なきを得ない。
     おそらくは読者諸氏もそうであろうが、訳者もまた、孔明の死後となると、とみに筆を呵す興味も気力も稀薄となるのを如何ともし難い。これは読者と筆者たるを問わず古来から三国志にたいする一般的な通念のようでもある。
     で、この迂著三国志は、桃園の義盟以来、ほとんど全訳的に書いてきたが、私はその終局のみは原著にかかわらず、ここで打ち切っておきたいと思う。即ち孔明の死を以て、完尾としておく。
     原書の「三国志演義」そのままに従えば、五丈原以後——「孔明計ヲ遺シテ魏延ヲ斬ラシム」の桟道焼打ちのことからなお続いて、魏帝曹叡の栄華期と乱行ぶりを描き、司馬父子の擡頭から、呉の推移、蜀破滅、そして遂に、晋が三国を統一するまでの治乱興亡をなお飽くまでつぶさに描いているのであるが、そこにはすでに時代の主役的人物が見えなくなって、事件の輪郭も小さくなり、原著の筆致もはなはだ精彩を欠いてくる。要するに、龍頭蛇尾に過ぎないのである。
     従って、それまでを全訳するには当らないというのが私の考えだが、なお歴史的に観て、孔明歿後の推移も知りたいとなす読者諸氏も少なくあるまいから、それはこの余話の後章に解説することにする。”
    と書いてるように孔明の死を以て本編を終わらせてるくらいなんで、まあそこまで知っていれば三国志の基本は知ったと言ってもいいでしょう。孔明死んだ後って、三国志のスター登場人物もうほとんど死んでますし……。ちなみに横山版は蜀の滅亡まで描いています。
  • 注5)孔明の南蛮行:『演義』でいうと86〜91回に当たる、孔明が、魏を攻める前に後顧の憂いを断つべく、南の蛮族を平定に行くという一連のストーリー。木鹿大王(マントラと鐘の音で猛獣や毒蛇を自由に操ることができる)とか、ながいけん神聖モテモテ王国』で「アリの巣みたいな穴ん中で暮らしてて出てきたとたん孔明に燃やされる様な成長性E(超ニガテ)のキャラ」と言われてたことでおなじみ兀突骨大王(身長3メートル弱、体に鱗があって刀や矢が刺さらず、洞窟に住んでて生きた獣とか食ってる。たぶん爬虫人類なんだと思います。弱点は火)とかいった「あのさあ」としか言いようがない架空のキャラが大量に出てきては、孔明発明のビックリドッキリメカや地雷で殺されまくるという、リアリティラインがいきなり凄く下がるなんかアニオリ編みたいな話。
記事へのコメント

懐かしいタイトルです。初めて読むにはほんと良い作品なんですよね。張飛とか呂布とかの描き方も良いですし。この前帰省したら何故か部屋にアニメの三国志の食玩のSDのシールがありました(横山関連とは全く分からず)

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