「漂流」を「恐竜」に変えて生み出された奇想天外なパロディ漫画 星野之宣『恐竜教室』

『恐竜教室』

少年ジャンプ、1977年・昭和52年1月15日増刊号。

手塚賞と赤塚賞の漫画家特集号です。

アトムとバカボンのパパに扮した手塚さんと赤塚さんのイラストがなかなかに強烈です。

巻頭カラーは在りし日の手塚さんと赤塚さんの写真を使ったお二人の紹介。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より

そして手塚さんと赤塚さんの作品の収録は勿論、過去の受賞者の新作読切や審査員の面々の自伝、直近の賞受賞作の掲載と、とても豪華な内容です。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より

以前の記事で「ますむらひろし」さん「諸星大二郎」さんの手塚賞作品を取り上げました。

ならば星野之宣さんも書かねばと思ってはいたものの、手塚賞受賞作である「はるかなる朝」は当時の記憶が無いのですよ。

リアルタイムで読んでいる筈なのですがどうにも思い出せません。

作品の印象が薄かったのではなく、星野さんが手塚賞を受賞した昭和50年は私中学生真っ盛りです。

この頃はギターを弾くようになり練習して上達するのが嬉しく、漫画は読んでいるものの毎日がギターに夢中の日々でした。

他にも色々と小学生よりは忙しくなった日常の中で記憶の中に埋没してしまったのでしょう。

 

そこで今回紹介する星野さんの『恐竜教室』という作品。

手塚賞受賞から1年半ほど経って発売された少年ジャンプ増刊号に収録されてます。

先述した理由なのか増刊号なので見逃したのか今となっては定かではありませんが、この作品も当時の記憶はありません。

記事に使用した本は、大人になって入手した物です。

手塚賞受賞俊英フェスティバルと名打たれた2作品が続けて掲載されてます。

『恐竜教室』と、もうひと作品は橋本光男さん。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より

はしもとみつお」名義で『築地魚河岸三代目』やごく最近までビッグコミックオリジナルで連載された『徘徊先生』など、とても温まる漫画を描かれる方です。

手塚賞出身だったんですね。

収録された橋本光男さんの「ふたりはライバル」もとてもいい作品です。

改めて手塚賞の偉大さを感じました。

 

では『恐竜教室』の内容に触れましょう。

扉ページも含めて全31ページ。

扉ページからは判断しづらいですが、楳図かずおさんの『漂流教室』のパロディと言っていいでしょう。

この増刊号が発売された昭和52年は『漂流教室』の連載終了から数年が経過。

冒頭で星野さんの中学生の頃の空想をもとに描いた、と断りがあります。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より

恐竜の学校、というより先生と児童の青空教室といった方がしっくりきますね。

その教室の面々が当時の現代(作中では明記されておらず、未来か過去のどちらかと書かれてます)にタイムスリップして大騒動になる。

いつものように未読の方の為にこれだけにしておきます。

現在までの星野さんの作品群からは想像つかない異色作ではないでしょうか。

ただ私も星野作品を全て読んではいません。

もしかすると似たような作品が他にあるかもしれませんが、シリアスSFの印象が強い星野作品でギャグ調で進むのは珍しいでしょう。

一場面だけ紹介しましょう。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より
『週刊少年ジャンプ』(集英社)1977年昭和52年1月15日増刊号より

怪獣物ではお約束の機動隊や自衛隊の出動場面。

機動隊長の男前っぷりが光りますが、眼前に現れた子供の恐竜に驚きます。

目が飛び出る漫画では定番の驚き方。

更に部下たちが隊長を残して一斉に後ろへ下がる描写もいいですね。

実に星野さんらしくない。

だからこそ面白いと言ってもいいでしょう。

逆に背景や車、メカが写実タッチで丁寧に描きこまれていて、これは星野さんらしい。

絶妙なバランスですが、どこまで意識されて描かれたのでしょうね。

オール読切の増刊号という事で肩の力抜きで描かれた、と想像しますがどうなのでしょう。

しかし決して手抜きではないと断言します。

 

『恐竜教室』は長らく単行本未収録だったようですが、最近出版された星野さんの作品集に収録されてます。

異色の星野之宣

興味を持たれたならお読みになるのをお勧めします。

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