第4回 湖で交差する女たちの運命―マリコ・タマキ作、ジリアン・タマキ画『THIS ONE SUMMER』

第4回 湖で交差する女たちの運命―マリコ・タマキ作、ジリアン・タマキ画『THIS ONE SUMMER』

前回第3回としてジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン作、ネイト・パウエル画『MARCH』を取り上げたのが、20208月のこと。気づけば、それからなんと1年半も経ってしまった。

一応言い訳しておくと、その間ただボンヤリ過ごしていたわけではなく、海外マンガ関連の活動をめっちゃ頑張ってはいたのである。世界のマンガをクラウドファンディングを通じて翻訳出版するサウザンコミックス(次回ではや第5弾!)で編集主幹をしたり、20211月から電子書籍として再始動した『ユーロマンガ』でいろいろ翻訳したり、『アイデア』393号「世界とつながるマンガ 海外マンガのアクチュアリティ」の構成を務めたり、米沢嘉博記念図書館の「はじめてのバンド・デシネ」展の監修をしたり、『フランス語圏のマンガ バンド・デシネの世界』という同人誌を作ったり……。とはいえ、この連載は超サボっていたわけで、これだけ間が空いたにもかかわらずまだ連載を続けさせてくれるマンバ通信は、マジで太っ腹と言う他ない。

筆者がウダウダしていた1年半、多くの海外マンガが邦訳出版され、日本語で読める海外マンガの数はさらに増えた(大阪の海外マンガのブックカフェ書肆喫茶moriさんが20211月から毎月邦訳海外マンガの新刊リストをnoteにまとめてくれているので、興味がある方はチェックされたい)。注目すべき作品もいくつか出ているので、それらも含め、改めてこれから新旧さまざまな邦訳海外マンガの古典的作品を紹介していきたい。

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連載再開第1弾として紹介したいのが、マリコ・タマキ作、ジリアン・タマキ画『THIS ONE SUMMER』(三辺律子訳、岩波書店、2021年)。昨2021年に邦訳出版された海外マンガの中で筆者が一番感銘を受けた作品だ。

原書は2014年、アメリカのファーストセカンド・ブックス社から刊行された。傑作だという噂は漏れ伝わってきていたが、肝心の翻訳がなかなか出版されず、ようやく2021年になって日本語で読めるようになった次第である。日本語版は前回取り上げた『MARCH』(こちらは原書が2013年から2016年にかけて出版された)と同じ岩波書店から出版されている。

 

マリコ・タマキ作、ジリアン・タマキ画『THIS ONE SUMMER』(三辺律子訳、岩波書店、2021年)

 

作者のふたりはどちらもタマキ姓だが、いとこ同士の日系カナダ人。ふたりの作品が日本語になるのは、実はこれが初めてではなく、それ以前に『GIRL』(谷下孝訳、サンクチュアリ出版、2009原書の刊行は2008年)が邦訳されている。これはこれで興味深い作品で、イグナッツ賞受賞を始め、欧米での評価は高いが、日本語版は正直あまり注目を浴びなかったのではないかと思う。

今回の『THIS ONE SUMMER』は『GIRL』以上に評判が高く、日本語版の帯には、ニューヨーク・タイムズベストセラー、コールデコット賞オナー、マイケル・L・プリンツ賞オナー、アイズナー賞、カナダ総督文学賞、イグナッツ賞と、名だたる賞が受賞歴として並んでいる。ちなみにコールデコット賞は子ども向けの絵本が、マイケル・L・プリンツ賞はヤングアダルト文学が対象の賞。カナダ総督文学賞も児童文学部門での受賞で、ヤングアダルト的な文脈で高く評価されている作品らしい。

これほど評価が高く、かつ実際に読んでみてもすばらしい作品がどうして長らく翻訳されなかったのか不思議だが、このように海外で評判のマンガが日本ではまったく顧みられないというのはよくあることである。長く待たされたが、翻訳が出ただけマシなのかもしれない。参考までに『THIS ONE SUMMER』のフランス語版は、英語の原書とほぼ同じタイミングで出版されている。つまり原書が出てからフランスの版元が権利を買い翻訳したのではなく、原書が出る前からフランス語版がほぼ同時に出版されることが決まっていたわけだが、この辺りにも彼我の違いが出ている。

とまれ『THIS ONE SUMMER』は、原書が出版されてから7年の歳月を経て、昨2021年にやっと日本でも翻訳出版された。筆者の体感として、2010年代の最後の数年は社会問題を扱うようなグラフィックノベルやバンド・デシネの邦訳が増えてきていた印象があるが、本書は必ずしもそういう作品ではない。なかなか翻訳がなされなかった中で、なぜこのタイミングで出版されえたのか、海外マンガの翻訳出版に携わる人間としては気になるところである。もっとも、筆者自身、長年いくら持ち込んでも通らなかった翻訳企画が、あるとき突然、いくつかの偶然が重なって実現するという経験は何度もあるから、本書の日本語版刊行も、案外それだけのことなのかもしれない。いずれにせよ、本書が日本語で読めるようになったのは本当に喜ばしいことである。

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物語の主人公は10代前半と思しい少女ローズ。彼女は5歳の頃からずっと、夏が来るたびに、両親と一緒にアウェイゴ湖という湖のほとりの別荘を訪れている。近所には1歳半年下の少女ウィンディの家族もやってきていて、ローズとウィンディは家族ぐるみの付き合いをしている。その年もアウェイゴ湖を訪れたローズは、ウィンディと一緒に近隣で唯一の食料雑貨店兼レンタルDVD店のブリュースターズを訪れ、その店の店員で何歳か年上らしい少年ダンクと出会う。

 

ブリュースターズにて。ブロンドのローズと黒髪のウィンディ。レジを打っているのがダンク(P38-39)

 

なんとなくダンクのことが気になるローズだが、やがてダンクがガールフレンドのジェニーを妊娠させたらしいという噂が立つ。そんな噂に加え、その夏は両親の関係がギクシャクしていて、ローズはなんだか落ち着かない。両親はその前年、妊活をやめ、もうひとり子どもを儲けることを諦めていたのだが、どうやらそのことが不和の原因らしい。そんなこともあってか、ローズには仲良しのウィンディの言動がどこか幼く感じられ、時には冷たく当たってしまうこともある。子どもと大人のはざまで揺れるローズは、いつもと同じ場所で、いつもとは異なるひと夏を体験することになる。

とにかく湖畔の夏の瑞々しい描写がすばらしい。太陽の光と優しい風のそよぎ、涼しげな林道、穏やかな湖面。波の音や虫の音。ペタンペタンというビーチサンダルの音。地元のやんちゃそうな年上の若者たち。友だちとおっかなびっくり見るホラー映画。ホラー映画を見た後に怯えながら辿る夜道……。こうした描写を味わうためだけでも、本書は一読の価値がある。

 

アウェイゴ湖畔の夏(P52-53)

 

だが、本書の主題は、湖畔の夏そのものではなく、そこで繰り広げられる10代前半の少女のひと夏の感情のドラマである。子どもと大人のはざまにいる主人公のローズは、揺れる思いややり場のない憤りをうまく整理できずにいて、それがささやかな表情やしぐさを通じて巧みに描かれる。なかよしのウィンディが感情表現豊かであるのとは対照的に、ローズはずっと控えめである。弾けるようにダンスを踊るウィンディと、湖に顔をつけ、身動きせずプカプカ浮かぶローズの対比が印象的だ。

 

踊るウィンディ(P70-71)

 

ローズはいろんな感情を内にため込み、大人びた様子を取り繕ってみせるのだが、必ずしもうまくいかず、ため込んだものが溢れ出てしまうこともある。あるホラー映画を見ながら、ローズはウィンディにこんな辛辣な発言をする。「映画に出てくる女の人たち悲鳴あげてばっかり」「キャアキャア叫ぶことしかできないみたい」「つまりね映画で起こってる恐ろしいことって、そもそもぜんぶ女の人のせいって感じしない?」「バカな女たちが自分じゃ何もできないからだよ」。

ローズ自身は同性に向けられたこのような憤りの理由がよくわかっておらず、それだけにもどかしい思いをしているように見えるのだが、ローズのこうした発言を聞いて、読者はこの物語に登場する大人の女たちのことを思い浮かべざるをえない。ダンクの子どもを妊娠したらしいが、当のダンクからすげなくされるジェニー。そして、妊活を諦めたはずだが、そのことを今なお引きずり続け、とても夏休みを満喫するどころではないローズの母親……

湖畔の物語だから当然だが、本書には水のイメージがつきまとう。とりわけ印象的なのが潜水のモチーフである。息を止め、水に潜り、目を開く。かつてローズにとって魔法のように感じられたその行為は、今はむしろ、大人の女たちの不自由さを連想させる。ジェニーはボーイフレンドの子どもを妊娠したにもかかわらず、当のボーイフレンドやその友人たちから侮辱され、抗議の声をまともに取り合ってもらえず、寄る辺のない思いをしているし、ローズの母親は流産の悲しみから立ち直ることができず、家族にさえ拒否反応を抱いてしまう。

 

水に潜る(P110-111)

 

幼少期の幸福な記憶が刻まれたアウェイゴ湖で、その夏、理不尽な運命にさらされる大人の女たちの姿を目の当たりにしたローズは、大人の女になることに必死に抗おうとしているように見える。だが、そんな彼女の自覚せざる抵抗をよそに、運命は女たちを生と死の両義的な場である湖のほとりで交差させ、ローズに変化を強いることになる……。

さまざまな受賞歴が証明しているように、本書は優れたヤングアダルト・グラフィックノベルだが、このほろ苦い傑作を若い読者だけのものにしてしまうのはあまりに惜しい。既に大人になってしまい、それぞれのアウェイゴを胸のうちに秘めている大人の読者にこそ、ぜひ読んでほしい作品である。

 


筆者が友人たちと行っている週一更新のポッドキャスト「サンデーマンガ倶楽部」でも、2021年9月に本書『THIS ONE SUMMER』を取り上げている。よかったらぜひお聴きいただきたい。

記事へのコメント

10代の夏の物語ってだけでいいですが、グラフィック・ノベルというだけあって感情の掘り下げも小説っぽくてすごく面白そう。

>地元のやんちゃそうな年上の若者たち

これ、『年上のひと』でもあったけどめちゃくちゃこそばゆくなるんよね…海外の出来事だから体感結構違うハズなのに「アッ!!!!」ってなっちゃうのすごいと思うわ。何なんだろ、あの感じ。

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