第10回 晴れた空を窓から見上げれば―パク・ゴヌン『ウジョとソナ―独立運動家夫婦の子育て日記』

第10回 晴れた空を窓から見上げれば―パク・ゴヌン『ウジョとソナ―独立運動家夫婦の子育て日記』

今年224日にロシアのウクライナ侵攻が始まってからというもの、戦争マンガの読み方がすっかり変わってしまった。遠い過去の歴史をひもとくという気持ちにはとうていならない。どうしたってウクライナ侵攻に引き寄せて考えてしまうし、いつか自分の身にも同じようなことが起きるのではないかと思わずにはいられない。

そういえばと、ずいぶん前に買ったきり、ずっと積読になっていた韓国のマンガ、ヤン・ウジョチェ・ソナ原案、パク・ゴヌン著『ウジョとソナ独立運動家夫婦の子育て日記』(神谷丹路訳、里山社、2020年)を、引っ張り出してみた。これもまた戦争マンガで、いざ読んでみると、それこそウクライナ侵攻のことを思わずにいられない傑作である。350ページ超のボリュームといい、そこに描かれた内容といい、絵柄といい、アート・スピーゲルマン『完全版 マウスアウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、パンローリング、2020年)やマルジャン・サトラピ『ペルセポリス』(全2巻、園田恵子訳、バジリコ、2005年)といった欧米のグラフィックノベルを連想させる。今回はこの作品を紹介しよう。

 

ヤン・ウジョ、チェ・ソナ原案、パク・ゴヌン著『ウジョとソナ―独立運動家夫婦の子育て日記』(神谷丹路訳、里山社、2020年)

 

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本書冒頭の「日本の読者に向けて」という文章によると、もともと『ジェシーの日記』(未邦訳)という本が1999年に韓国で出版されたらしい。本書にも原案としてクレジットされているヤン・ウジョチェ・ソナが戦時中に綴った日記を、戦後だいぶ経ってから本としてまとめたものである。ふたりは夫婦で、太平洋戦争中、大韓民国臨時政府のメンバーとして、日本に併合された祖国・韓国を離れ、中国(当時は中華民国)を転々としながら、独立運動に関わった。日記のタイトルにあるジェシーとは、ふたりが中国を転々としていた間に生まれた娘の名前である。

『ジェシーの日記』は、2016年にパク・ゴヌンの手でマンガ化され、『ジェシー物語』としてウリナビ社から刊行された。それを日本語に翻訳したのが、本書『ウジョとソナ独立運動家夫婦の子育て日記』である。2018年にはソウル図書館の「今年の10冊」に、2019年には韓国文化体育観光部の優秀文化商品に選ばれるなど、韓国では高く評価されている模様である。

そもそもウジョとソナが関わっていた大韓民国臨時政府とは、日本による韓国併合後(1910年)、日本からの独立を目指して起きた三・一運動(1919年)を経て、1919年に中国の上海で結成された組織である。1945年に解体するまで、中国を転々としながら独立運動を展開した。ちなみに大韓民国臨時政府については、白武鉉『創作漫画 マンガで見る大韓民国臨時政府』(梁東準訳、インパクト出版会、2016年)という作品も日本語に翻訳されている。大韓民国臨時政府の歩みを辿る学習マンガ的な作品で、『ウジョとソナ』とはだいぶ毛色が異なるが、併せて読むと非常に興味深い。

 

白武鉉『創作漫画 マンガで見る大韓民国臨時政府』(梁東準訳、インパクト出版会、2016年)

 

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『ウジョとソナ』の物語は、1990年代のソウルで、年老いたソナが窓から空模様を見守っている場面から始まる。彼女は朝起きると、新聞やテレビ、ラジオのあらゆるニュースをチェックするのを習慣にしている。とりわけ大事にしているのは天気予報で、チェックし忘れることがあれば、わざわざ天気予報電話サービスに電話をかけて確認するほど。孫のヒョンジュは、ソナがどうしてこんなに天気を気にするのか不思議で仕方がない。

あるときヒョンジュは、祖父のウジョのことを祖母に尋ねる。すると、ソナは、ウジョとのなれそめを明かし、かつてふたりで書いた日記を取り出して、ふたりの娘であり、ヒョンジュにとっては母であるジェシーの誕生を皮切りに、戦時中、中国で過ごした長い歳月について語り始める。

 

窓から空を見る年老いたソナ(P11)

 

ウジョと結婚することになったソナは、ひと足先に独立運動に身を投じていたウジョを追って中国に向かう。ふたりがいつ結婚したのか、マンガ本編には明記されていないが、訳者が巻末にしたためた「あとがきにかえて ウジョとソナの過ごした日々の背景と、朝鮮半島のその後」によると、どうやら19373月のことらしい。その4カ月後の193777日には、北京郊外で日本軍と中国軍の衝突が起き、日中戦争が勃発する。ふたりの間にジェシーが生まれたのは、それから1年後の193874日のことだった。

 

1938年7月4日、ウジョとソナの間にジェシーが生まれる(P28-29)

 

もともと上海で結成された大韓民国臨時政府だが、その後、浙江省嘉興、杭州、当時の中国の首都・南京近郊にある鎮江を経て、ジェシーが生まれた当時は長沙を拠点としていた。ところが、日本軍の南京侵攻を受け、ジェシーが生まれてまもなく、一同は広州に移ることになる。これはその後、仏山、柳州、綦江、重慶と、中国各地を転々とする流浪の生活の始まりに過ぎなかった。

まだ幼いジェシーを連れたウジョとソナの夫婦は、他の大韓民国臨時政府メンバーおよびその家族たちと、時には汽車、時には船、時にはバスで、かりそめの住まいを探す旅を続ける。柳州目指して珠江を遡る船旅のように、旅は時に1カ月にも及ぶこともあった。もっとも、これらの旅はただひたすらに苦難の連続というわけでもなく、時折、ウジョとソナのふたりが、旅の途中で、祖国とはまるで異なる中国の広大な風景を楽しむ描写も挿入される。こうした旅人の視点が、本書の深刻さを和らげ、本書をさらに魅力的なものにしている。

当然、一家は貧しく、慌ただしい暮らしを送らざるをえないのだが、そんな環境にあっても、ジェシーは健やかに成長し、ウジョとソナは彼女の成長を愛情たっぷりに見守っていく。非人道的な戦争に翻弄されながら、人間として日々の営みをまっとうする一家の姿が実に愛おしい。

 

ジェシーに愛情を降り注ぐウジョとソナ(P54-55)

 

しばらく柳州に滞在することになった一家は、1938125日、日本軍によるすさまじい空襲を経験する。それは人類史上初の大空襲だった。一家はどうにか逃げのび、一命をとりとめる。

 

日本軍による大空襲(P86-87)

 

それからというもの、一家は柳州で、そして重慶で、幾度となく空襲を体験する。それこそ、後年、戦争がとっくに終わり、平和が訪れた時代においてもなお、ソナが毎日のように空模様を気にする理由に由に他ならなかった。窓から空を見上げながらソナがつぶやく。「こんなに晴れてると、空襲警報が鳴りそうだわ」。空襲は決まって晴れた日に行われた。雲ひとつないうららかな日に、戦闘機が隊列を組んで現れ、無差別爆撃を繰り広げるという光景を想像すると、その異様な組み合わせに困惑せざるをえない。

 

「こんなに晴れてると、空襲警報が鳴りそうだわ」(P115)

 

ウジョもソナも家族の手前、気丈にふるまっているとはいえ、こんな先の見えない根無し草のような暮らしが不安であることは言うまでもない。綦江から重慶へ向かう船の中で、ウジョはこんな言葉をつぶやく。「見知らぬ地/初めての状況に対処するのも/だいぶ慣れてきたとはいえ、名も知らぬ土地で、真っ暗な闇を凝視していると/えもいわれぬ恐怖と不安に襲われる。/自分は今、どこにいるのだろうか。/今、この瞬間にどんな意味があるのだろうか。/闇が立ち塞がっている。一寸先がまったくわからないのだ」(P225-226

こうした不安の中で、そのまま祖国に帰ることなく、異国の土となった者も少なからずいたことだろう。幸い一家(ウジョとソナ、ジェシーの3人に、今やジェニーが加わっていた)は、1946429日、無事祖国の土を踏むことになる。異国の地で戦い続けた大韓民国臨時政府のメンバーたちは、帰国後、苦い失望を味わうことになるが、それはまた別の話である。

1939年に幼い子を持つ母として、異国・中国の柳州にある仮住まいの窓から不安な面持ちで青空を見上げていたソナは、1990年代、今や孫もいる老女として、首都ソウルの我が家の窓から、すっかり近代化した祖国・韓国の空を見上げている。その顔に刻まれた皺の数だけ歳月は過ぎ去り、政治も社会も彼女自身の暮らしも変わった。彼女の半生に付き合ってきた読者としては、彼女が今、平和を享受していることに安堵しつつ、そのあまりの落差に眩暈を覚え、改めて戦争の愚かしさを思わずにはいられないのである。

 

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