JOJO初代担当編集 椛島良介さんインタビュー #2【荒木飛呂彦編】膨大なインプットをしながら、締め切りを守らないことがない!

#1では、椛島さんの生い立ちや「週刊少年ジャンプ」編集部に入ってからの事柄についてお聞きしました。#2では、『ジョジョの奇妙な冒険』を生み出した荒木飛呂彦さんにフィーチャーして、その初代担当編集であった椛島さんより、荒木さんとの出会いから語り合った映画、そして一緒にイタリアやエジプトへ取材旅行に行ったときのお話などをたっぷりお伝えします。

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■打ち切られても先へと繋がった『魔少年ビーティー

椛島 荒木さんとは入社して1年も経たない内に出会っています。「少年ジャンプ」はいつでも新人を募集しているので、毎日、それも午前中にかなりの持ち込みがあります。先輩たちは出社が昼過ぎですけど、新入りは早く行くので、新入社員と新人漫画家さんは必然的にマッチングしやすい状況になっていました。受付から「持ち込みです」と電話が掛かってきて、当時はセキュリティとかもうるさくなかったので、そのまま上がってもらいました。でも、その時のこと、最初の作品はまったく憶えていないです。投稿や持ち込み作品がとにかくたくさんあり、月例賞などもあって毎日のように新人さんの原稿を読んでいましたから。

――「枠線をちゃんとしろって、叱られた」と荒木さんが語られていましたね。

椛島 マンガの描き方はまったくの我流でしたから。紙もペラペラなのを使っていて。タチキリとかも全然ない。そして、いろいろ言われて発奮したのか、これでどうだと言わんばかりにリベンジで持って来たのが『武装ポーカー』です。一読して完成度が高いなと。今読んでもそう思います。荒木さんって、アシスタントをまったく経験していません。新人はアシスタントをまずやることが多いですね。てっとり早く技術を学びやすいですし、アシスタントをやりながら自分の作品を描いて、先生やその先生の担当に見せたり、漫画賞に応募したりする。でも荒木さんの場合はそうではなかった。『武装ポーカー』が2回目の持ち込みだったんです。そしてそれが手塚賞準入選となる。すごくいいスタートでしたね。

――その頃から、荒木さんと他の新人さんの違いのようなものは感じていましたか?

椛島 やっぱり独特でした。映画が好きなんだろうなぁ、ペキンパー※1とか好きなんだろうなぁ、と思ったら、実際そうだったんです。もっとも、当時の「ジャンプ」連載陣の中に入ってアンケートで即人気をとれるかと言ったら、それはないと思いました。でも、そこはいいんです。新人は誰しもそうでしたから。何かしら引っかかった才能があれば、こちらもそこでチャレンジしようという気になりますから。

※1^ サム・ペキンパー(1925-1984)。アメリカの映画監督。代表作に『荒野のガンマン』、『ワイルドバンチ』など。「最後の西部劇監督」、「西部劇の破壊者」、「ブラッディサム」などの異名を持つ。『武装ポーカー』の主要人物ドン・ペキンパーの名前の元であり、また西部劇的な作品全体の雰囲気にも大きく影響を与えていると考えられる。

 

――椛島さんは「ジャンプ」の中で、メジャー路線ではないところで頑張る、ということを積極的にやられていたと聞いてます。他の編集者と比べても苦労が多かったのではないかと思うのですが。

椛島 そうですね、大変といえば大変だったかもしれないですけど、勝手に好きでやっていたので、それほど苦にはならなかったです。荒木さんの場合は、まず読切作品を何本か試して、面白いは面白いんですけど、やっぱりそこまで人気が取れなかったですね。新人漫画家は誰しも連載前にまず読切作品で試します。分厚い増刊号に載せて、そこで最初に人気アンケートの洗礼を受けるのです。『武装ポーカー』の次は読切『アウトロー・マン』、『バージニアによろしく』。その後は『魔少年ビーティー』をやりました。

『武装ポーカー』、『アウトロー・マン』、『バージニアによろしく』の3作は、連載向けのキャラクターが登場するような作品ではありませんでした。読切ストーリーのためのキャラクター造形なんです。でも、『魔少年ビーティー』だけは違っていました。これは連載向きかな、と思えたんです。これなら連載に充分チャレンジできるんじゃないか、とネームをため始めたんです。でも、結局連載を勝ち取るまでには2年近くかかってしまいました。編集部は最初「何だよ、少年ジャンプに”魔少年”って(笑)」という感じで厳しかったです。だからけっこう部内でバトルになりましたね。こっちも生意気だったんでしょうけど(笑)。企画会議に出すと、注文、難くせのような意見がついて返って来るんですよ。何を!と思いながら荒木さんとまた打合せをして、擦った揉んだして、それを約2年、何度も繰り返しました。すると根負けしてくれたのか編集部から「じゃあいいよ、やってみなよ」と言われたんです。

でも、いざ連載してみると、やっぱり人気がなかったんです。だから立場がないところもありました。10週で終わるわけです。でも、諦めたらそこで終わりじゃないですか。終了は決まったんだけど、最後まで力を尽くしていこうと。とにかく10回連載すればコミックス1冊になって、書店に並ぶわけですから。消化試合という考えはなくて、最後まで荒木さんは手を抜かなかった。そうしたら、最後の方で人気が上がったんです。上がったと言っても、連載作品15、6本のうち10番以内にようやく入るか入らないくらいなんですけど。でも、連載終了が決まった作品が、後から人気を上げてくるのはとても珍しかった。

 

――当時の連載陣を振り返ると『北斗の拳』、『キン肉マン』、『Dr.スランプ』、『キャッツアイ』、『キャプテン翼』、『こち亀』、『天地を喰らう』、『ストップひばりくん』、『銀牙-流れ星銀-』、『風魔の小次郎』、『ウイングマン』、『よろしくメカドック』、『ブラック・エンジェルズ』、『シェイプアップ乱』、『ハイスクール奇面組』、『キックオフ』で、確かにこの中では10番以内も至難の業ですよね。

椛島 そんな連載陣の中で順位が上がったことで、手応えと可能性を感じました。『魔少年ビーティー』は終わってしまったんですけど、次のステップに繋がるものを確実に得たような感じでした。後で思えば、これはすごく大事なことだったと思います。

――2021年にはその『魔少年ビーティー』の60年後の話が西尾維新さん原作・出水ぽすかさん作画で描かれました。そこまで繋がったのも、そのときに最後まで諦めずに面白くしようとしたからなわけですね。

■魔少年から19世紀イギリス貴族へと続いてゆく挑戦

椛島 その後は『バオー来訪者』ですね。『魔少年ビーティー』の倍くらいは連載したんですけど、やはりそれほど人気はなかった。一部の人には大人気で、今でもファンの方がいらっしゃいますけど。鳥海永行監督のOVAにもなりましたね。車田正美さんも「面白かった」と褒めてくださった。トップの人から褒められるのは嬉しいですよね。10回でなく20回できたのは、『魔少年ビーティー』のように後半で人気が伸びることを期待されていたからでしょうけど、そこまではいかなかったですね。それからまた1、2年かけて、『ゴージャス★アイリン』を挟んで『ジョジョの奇妙な冒険』の連載になるのですが。

 

――一番最初に『ジョジョ』を読んだときは、どのように感じられましたか。

椛島 「……19世紀のイギリス貴族かあ。大変だろうな」と(笑)。まだカズオ・イシグロだって『日の名残り』を書いておらず、日本の話を書いていた時代です。少女マンガだったら分かりますけど少年マンガで、しかも「少年ジャンプ」で、と思いました。でも、意外にすんなり企画会議を通った。『ジョジョ』の頃には西村編集長から後藤編集長にかわっていたんですが、そこはやっぱり「ジャンプ」の懐の深い所だったんでしょう。『魔少年ビーティー』のときは連載を勝ちとるまで大変でしたけど、『バオー来訪者』と『ジョジョ』に関して言えば何度もネームを描き直すこともなく、すんなり企画は通ったと記憶してます。

もっとも第1部は、またしても苦戦しました。それで、荒木さんと話しあって、割と早い段階ですぐ第2部に行こうとなったんです。第2部ではもう時代も場所も、そして主人公すら変えてしまおうと。荒業ですよね。ジョナサンは貴族のお坊ちゃんで、キャラとして動かしづらいところもあった一方で、第2部のジョセフはかなり「ジャンプ」っぽいですよね。でも、相変わらず外国が舞台で、外国人が主人公でどこまでできるのか、というのはありました。ただ、それでも第1部よりはかなりステップアップできて、とりあえず1年くらい続けられた。とは言っても、やっぱり限界がいろいろ見えてくる。そこで、またしても荒業というか第3部に突入するわけです。今度は満を持して主人公は日本人。もっとも舞台はやはり外国なんですけど(笑)。とにかく第3部になると人気的にも安定して、“終了”の2文字が脳裏に浮かぶことはなくなりました。その理由はいくつかありますが、なんといっても一番大きかったのは「スタンド」の発明です。ジョジョ・シリーズの中で、もっとも画期を成すのが、このスタンドの登場でしょう。荒木さんがよくぞ思いついたと、今でも思います。

――超能力を可視化・擬人化した「スタンド」は画期的な大発明で、その後の作品に多大な影響を与えました。

椛島 当時、「37年後にもまだ『ジョジョ』は続いていて、アニメにはなるし、NHKでドラマにもなる」ということを預言する人がいたとしても、絶対に信用しなかったですね(笑)。

――「Gucciとコラボをしたり、ルーブル美術館で展示されたりします」と言っても信じられないでしょうね(笑)。

椛島 そんなことは夢にも思わなかったですね。結果として、あまり「ジャンプ」的とはいえないような作品が、ストーリー漫画としては一番長く続いていますね。荒木さんはまだまだしばらくはやるんじゃないでしょうか。アイディアは尽きないでしょうから。

■荒木さんのスゴさはインプットのスゴさ

椛島 荒木さんのすごいところはたくさんありますけど、やはり週刊誌で連載しながら、情報をインプットし続けていたことですね。それは想像以上に大変なことです。月曜日から執筆が始まって、木曜日の夕方に原稿が上がります。それで、木曜日の夜に私が原稿を取りに行き、そこですぐ打合せもする。そして、金曜日だけはオフで、この日にインプットです。土曜日からはネームを描きはじめて、日曜日にできたものをチェックして、また月曜日から原稿を描き始める。それを延々と繰り返していく。今はゴールデンウィークやお盆の時期に合併号が増えましたけど、当時は正月しかなかった。一年中ほとんど休みなしで仕事です。

休みがないとなると漫画家って、やっぱり情報源が限られてくるじゃないですか。そして、アウトプットばっかりになってしまいます。だから編集者の役割の一つに、漫画家さんにとっての情報の窓口になるということもありますね。今、述べたように毎週木曜日に打合せでしたが、それまでずっと原稿を描いてきて、ようやく上がったその日に、その場でもう次の打合わせとなるわけです。そんな限られた時間の中で、30分ぐらいで次週の展開についての打合せは終えて、そこから2時間から3時間は、最近読んだり観たりした本や映画の雑談をしていました。とにかく荒木さんは映画が大好きで、実によく観ていました。特にゾンビ映画に関しては、C級Ⅾ級と言われるものまで手当たり次第に観てるんじゃないでしょうか(笑)。『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』、『荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟』(共に集英社新書)を読んでいただければ分かると思いますが、忙しい生活の中でよくぞこんなに観ているなあ、と感心します。本人は好きなことだから、当たり前のようにやっているのでしょうけど。

 

――椛島さんと荒木さんのそういった感性が近しかったのも、非常にプラスに働いた気がします。特に荒木さんと話していて思い出に残ってる映画などはありますか?

椛島 フランク・ヘネンロッターの『バスケット・ケース』とか一緒に映画館で観ましたね。なかなかふたりで映画館に行ける時間はなかったですけど、荒木さんはオフの日によくひとりで映画館に足を運んでいました。映画はビデオやDVDで観るのと映画館で観るのとでは、体験が違いますからね。『バスケット・ケース』は結合双生児で分離した兄弟の話で、荒木さんは違うと言うでしょうけど、ちょっとこじつけると兄弟の関係が本人とスタンドみたいなところのある話でした。

他には『サスペリア』の監督ダリオ・アルジェントの『デモンズ』とか。映画館の中でゾンビが暴れまくるという内容なんですけど、それを映画館で観終わって荒木さんが「下らなかったですね~、本当に(笑)」ってニコニコしていて。ふたりともそれで満足なんです。もちろん、大ヒット映画は当然観ているんでしょうけど、ふたりで語り合うのはそういう作品でしたね。そういえば荒木さんが、何か面白い作品はないかと尋ねたときに、大ヒット映画やベストセラーをあげられるとがっかりすると言っていました。すぐには作品に活かせないないような刺激こそ、長い目で見ると大事なんでしょう。

――そういったインプットの積み重ねが荒木さんを作ってるというのは、読んでいても強く伝わって来るところもあります。

椛島 膨大なものが入ってますね。高校生のときに映画を毎年300本観るのって大変じゃないですか。仙台時代に3本立てで観てたそうです。そして、見せてもらったことはありませんが、鑑賞した映画について感想等をノートに几帳面に記しているらしい。仕事だからやってるのではない。好きだからやっている。私も嫌いではないですけど、本数だけでもとても及びません。B級ゾンビ映画はまだしも、C級、Ⅾ級のゾンビ映画は辛いですよ(笑)。でも、廃墟となったゾンビの世界に癒されるとか、そういう感覚はすごく分かります。

――荒木さん自身も、椛島さんに薦められた本を読んで、それがとてもためになったという話もされていますね。

椛島 私も荒木さんに薦められたら、必ず読んだり、観たりしてました。スティーブン・キングなんかはその後大ヒットしていますけど、『呪われた町』とか最初の方の作品からふたりとも読んでいました。私はやっぱり初期がいいですね。『IT』ぐらいまでは、短編も含めてかかさず読みましたけど、その後はあまり読まなくなってしまった。でも、荒木さんはいまだに読んでるんじゃないでしょうか。『ミザリー』とか好きでしたね。

――作家が責められるストーリーは、個人的にはちょっと岸辺露伴を思わせたりもします。

■荒木さんと行ったイタリアやエジプトの思い出

ヴェネチアの風景
ヴェネチアの風景

 

――荒木さんを初めてイタリアやエジプトに連れて行ったのも椛島さんで、荒木さんもそれからイタリアにハマっていったということで、『ジョジョ』に与えた影響も甚大だったと思うのですが、何か旅行中の思い出深いエピソードなどはありますか。

椛島 後藤編集長、デザイナーさん、荒木さんと4人でフランスからイタリアを巡りました。荒木さんは、それ以前にひとりでロンドンとパリに行っていますね。荒木さんのような人が外国に行けば絶対に身になるなと思って、若い内に見ておいた方がいいと勧めました。でも、大変なんですよ、休みを取るのが。1週間=7日間でやっている仕事を詰めて6日にすると1日浮くじゃないですか。アシスタントにも負担をかけるんですけど、それを10週間繰り返して、やっと10日間の海外取材旅行に行ける。そういえば一度も締め切りを守らなかったことがありません。あと徹夜とかもしないですね。やはり連載は短距離走ではなく、マラソンなので。ダッシュしちゃうと駄目なんです。ダッシュするとその週は間に合うかもしれませんけど、その負担が次の週にのしかかってきますから。

フランス、イタリアのときは編集長も一緒だったので、上等なホテルに泊まれました。パリではハリソン・フォードの映画にも出てきたル・グラン。上階の部屋で窓からパリの街が一望できました。オペラ・ガルニエの近くでしたかね。イタリアではローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアを巡りました。ヴェネツィアでは水上バスの1日券を買って、一日中飽きずにグルグルしました。不思議な雰囲気の街で、ジョジョっぽいというか(笑)。フィレンツェではサボイ、ヴェネツィアではダニエリ※2が宿でした。荒木さんは普通の人が気にも留めないような物や場所をよく観察していたようです。ミケランジェロからイカスミパスタまで、イタリアはやっぱり荒木さんの中で弾けたみたいで、その後しばらくは毎年のようにも行っていましたね。有名な名所・旧跡を観るだけではなく、街そのものを見て歩く旅でした。

※2^ Hotel Danieli。ヴェネツィアでも最も豪華な5つ星ホテル。アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップ主演の映画『ツーリスト』や、天野こずえ作『AQUA』、『ARIA』の姫屋のモデルとなった舞台としても有名。

 

――それはいい旅ですね。何でもない所にその土地に住む人の日常が垣間見えることもあり、私もそちらの方が好きです。エジプト旅行の方はいかがでしたか?

椛島 エジプトは荒木さんとふたりで行きました。まずカイロから飛行機でナイル河上流のアスワンにまで行き、そこから下流のカイロまでクルーズの旅でした。アスワンにはアブ・シンベル神殿という世界遺産にも登録されている神殿遺跡があったんですけど、ダムができると水没してしまうということで、ユネスコによる大工事によって、高台に移築されていました。外観は古代の遺跡でしが、内部は現代のドームになっていて、そのコントラストが不思議な印象でした。アガサ・クリスティの『ナイル殺人事件』ほど優雅な船旅ではないですけど(笑)、ナイル河を上流から下流まで、河岸の古代エジプトの遺跡を巡りながらのクルーズで、船の上部デッキで横になっていると、ナイル河の景色がゆっくり流れて行くんです。まさに悠久の時の流れを感じるようで、それをボーッと見ていました。荒木さんはそのとき何を考えていたんでしょうね。クルーズだけでも3泊4日くらいの贅沢な旅でした。カイロでは、三大ピラミッドを訪れたりしましたけど、もともと荒木さんはエジプトには興味なかったと思います。でも、ヨーロッパとかに比べてもエジプトは別世界じゃないですか。特に古代エジプトなんて全くの異世界。そのインパクト、影響は結果としてすごくあったと思います。

――そこからやがて、エジプトを目指す承太郎たちの旅が描かれて行くわけですからね。

椛島 荒木さんがロードムービー好きなのもあったと思います。現地で、自分で直接見て、触れて、感じたものすべてが作品になっていくんでしょう。旅こそインプットですよね。五感を通じて刺激が全部入ってきますから。第9部を始めるにあたっても海外取材に行ったそうですが、新連載の今後がとても楽しみです。

――私自身『ジョジョ』が好きで、ローマやヴェネツィアを巡り五感で感じてきたので、非常によく解ります。第9部も始まりましたが、今回は特に1話目から非常に濃密でこれまでの『ジョジョ』を読んできたファンからすると「おおッ!?」という部分もあり、これからの展開がとても楽しみです。

 

椛島 荒木さんには、いろいろな引き出しがあって、そこにびっしりと情報が詰まっている。なので、露伴みたいな不思議なキャラクターも出てくる。長期にわたって連載するには、才能だけでは駄目ですね。どれだけ新しいものを出せるか、そのためにどれだけ新しいものを入れていくかということが大事だと思います。でも、それを普通の人がやるのではなく、超忙しい人が何十年も、いまだにやっているというのが本当に凄い。私が担当したのは『ジョジョ』の最初の数年間だけで、第4部の構想の打合せ辺りでバトンタッチしていますけど、あの濃い時間・密度を知っていますから、それを何十年も続けていることには頭が下がります。還暦を過ぎても見た目も若いし(笑)、作品もまったく現役ですから。実に稀有な存在だと思います。読者の方も、131巻(※ジャンプコミックス版。第8部完結まで。)の大作を長期にわたって読み続けてくださる。ありがたいことです。読者も、作者も、お互いを裏切っていない感じで、いいなと思います。もう親子で読むというようなステージになっていますが、このまま行くと本当に3代で楽しむような作品になりますね。

――正に、ジョースター家のように受け継がれて行く物語になりつつありますね。

 

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