嶺岸信明インタビュー(前編):麻雀漫画単行本冊数日本一になる漫画家の麻雀原体験

 デビューしてから約40年。麻雀漫画史上空前の大河連載作品『天牌』を筆頭とした、麻雀漫画単行本冊数日本一(当然世界一でもあります)の漫画家であり、麻雀以外でも、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞映画の原作にしてアイズナー賞も受賞した『オールド・ボーイ ルーズ戦記』(原作:土屋ガロン狩撫麻礼))など数多くの作品を発表してきた嶺岸信明氏。青柳裕介氏のアシスタント時代から 『週刊漫画ゴラク』で現在連載中の『オーラス-裏道の柳-』まで、ゴラクの担当編集A氏を交え、じっくりとお話を伺いました。

 

漫画家デビューのころ

——まずは漫画家を目指されるまでのことからお伺いしたく思います。宮城県のご出身と以前仰っていましたが。

嶺岸 そうです。加美町っていうところです。『ぼのぼの』のいがらしみきおさんが同じ加美町出身ですね。

——昔の、「日本漫画学院」のリレーインタビューに「矢口高雄さんや石井いさみさんの作品を模写したりしてた」と書かれてますね。(注1:https://web.archive.org/web/20110903000859/http://www.manga-g.co.jp/interview/2009/int09-07.html

嶺岸 あ、そうですそうです。それ、たなか亜希夫さんに回してましたよね。

——たなかさんも宮城県出身ですもんね。石巻の。

嶺岸 そうなんですよ。

嶺岸 それで、高校1年ぐらいの時に青柳裕介先生(注2:1944〜2001。代表作の『土佐の一本釣り』をはじめとして地元・高知を舞台にした作品が多い)が『少年キング』で『土佐の鬼やん』の連載を始めまして。『ビッグコミック』での『土佐の一本釣り』の読切版と同じ頃だったかな。『キング』の柱にアシスタント募集が載ってたんです。当時は平気で住所も載ってましたね。それに「青い海、青い空の下であなたも漫画を描いてみませんか?」というキャッチが書いてあったんです。北の人間だから、南の国に憧れてしまって(笑)

編集A まさに一本釣りくらったんですね。

嶺岸 それで青柳先生のところに連絡したら、「せっかく高校入ったんだったら、ちゃんと3年通って、それでまだその気だったら連絡しなさい」と言われたんですよ。で、馬鹿正直に3年になったらまた連絡して。先生は忘れてたと思いますけど(笑)。「それじゃあ夏休みにでも遊びに来いや」って言われました。その時、青柳先生のアシスタントにいたのが井上紀良さん(注3:1959〜。京都の友禅会社を退職した後、青柳裕介のアシスタントを経て漫画家デビュー。代表作に『夜王』(原作:倉科遼)や『マッド★ブル34』(原作:小池一夫)など)や和気一作さん(注4:1956〜。榊まさる(70年代の官能劇画などで知られる)のアシスタントの後に故郷の高知県に戻って青柳裕介のアシスタントとなり、その後デビュー。代表作に『女帝』(原作:倉科遼)など)。

編集A 高校生の時にもう行っちゃったんですか。

嶺岸 夏休みに行ったんです。原稿も持たないで、本当に遊びに行っただけなんですよ(笑)

編集A 本当に青い海と青い空を満喫しただけなんですね(笑)

嶺岸 それで、卒業するまではちょっと中途半端な感じになって。

編集A その夏休みの間に採用とは言われなかったんですか?

嶺岸 言われなかったです。あまり深く考えてなかったと思いますね(笑)

編集A 若い奴が遊びに来たから一緒に遊ぼうみたいな感じだったんですかね。

嶺岸 そうそう。あの頃は先生、夏は暑いからって高知市内の仕事場じゃなくて、大栃というところに農家の空き家を借りて、合宿みたいなのをやってたんです。昔はちゃんと仕事してたらしいんだけど、だんだん遊ぶだけになってたみたいで(笑)

——前のインタビューで「青柳先生のところでは遊んでばかりだった」という風に仰ってましたね。

嶺岸 なんか仕事した記憶あんまりないんです(笑)

——「よく海や山に連れていってもらって、とても楽しかった」と。

嶺岸 そうそう。

——青柳先生が地元のお寿司屋さんからイラストを頼まれた際に、代わりに描いたこともあったとか。その時にウニを初めて食べたら衝撃だったと。

嶺岸 イラストのお礼にお寿司を食べに来てくださいということになったんです。それまでウニのお寿司なんて食べたことなかったんですよ。それでウニばっかり食べちゃって。物を知らないってのは怖いですよね(笑)。遠慮がない(笑)。「青柳先生にお土産で持っていって」って折詰のウニまでもらって。恥ずかしいですね(笑)

編集A とんでもなく楽しまれてるじゃないですか(笑)

——それで、2年半アシスタントをされたあと、上京して和気さんや井上さんのところでアシスタントということですよね。

嶺岸 そうですね。当時、埼玉の志木になんか皆さんいたんです。間宮聖士さん(注5:1952〜。旧ペンネームは間宮青児。高知県で育ち、高校に通いながら青柳裕介のアシスタントを経てデビュー。官能劇画での作品が多い)とかもその方面にいたんですよ。

——青柳門下、活躍されている方多いですよね。この『近代麻雀エクストラ』なんか、青柳門下でできていますし。

『近代麻雀エクストラ』Volo.8(『近代麻雀オリジナル』90年4月19日増刊号)。ショートギャグなど一部を除き、執筆者のほとんどが嶺岸氏をはじめとした青柳門下のみで構成されている

 

嶺岸 そうそう、宇佐美(和徳)さん(注6:1956〜。竹書房の麻雀漫画誌で編集部長を長く務め、『哭きの竜』『天』『ショーイチ』『まあじゃんほうろうき』など数多くの作品の立ち上げに関わる。『まあじゃんほうろうき』に「ウサパパ」の名前で登場するのが有名)が作った本ですね。すごいよねこの雑誌。

——青柳さんが、「誰が巻頭を取るかを勝負で決めようって言って、勝って取った」っていうお話を伺ってます。

嶺岸 横浜の中華街に集まって打ち合わせしたりして、それで「遅刻1分1万円」とか言い出したりして(笑)

——それで、井上さんたちのお手伝いをされながら、秋田書店の『プレイコミック』で賞を取ってデビューされたという形に。

第5回プレイコミック新人コミック賞。受賞作の「あいつの心に近づいて」ですが、「『グローイングアップ2 /ゴーイングステディ』というイスラエルの映画を見て、それに感化されて作った、『なんてことない男女の青春劇』だったと思う」とのことです

嶺岸 そうですね。今はないと思うんですけど、当時は新人賞があったんですよ。そこで佳作取って10万円をもらって。

——この賞金のおかげで青柳アシスタントグループの温泉旅行に行けたのだとか。

嶺岸 源泉引かれて9万円だったのかな。飯田橋の秋田書店でもらったそれを握りしめて、井上さんとか和気さんとかと一緒に温泉に行かさせていただきました。

——あと、青柳さんから「1年以内にデビューできなかったら10万円な」って言われてたとか。

嶺岸 デビューは本当は1年をちょっと超えちゃったんですけど、まあ大負けしてくれたという感じですね。

——それで、『プレイコミック』で『1t.マン』って連載を始められたと。

『1t.マン』第1話扉。「リクルートコミック」のアオリの通り、大学生の就活をモチーフにした作品。連載は全17話(未単行本化)

嶺岸 そうです。あれ何回ぐらいだったのかな。新人賞を受賞した時の編集長が異動しちゃって、阿久津(邦彦)さん(注7:1944〜。壁村耐三編集長の右腕として70年代『週刊少年チャンピオン』黄金期に大きく貢献し、『ブラック・ジャック創作秘話』などにも登場する編集者。壁村同様に毀誉褒貶の激しい人ではあります)っていう名物編集の人が新しく来たんです。何が良かったかわかんないんですけど、阿久津さんはなんか絵を気に入ってくれて、デビューさせてくれたんです。

編集A 担当編集は阿久津さんだったんですか。

嶺岸 いやそれはまた別の方ですね。で、原作をいただいたんですよ。今でもお付き合いしてる小堀洋さん(注8:小池一夫に師事した後、73年に『麻雀新撰組』(作画:神江里見)でデビュー。『5ヤーダー』の原作者でもあります)。今も一緒にゴルフ行ってます。

——小堀さんとではゴルフ漫画の『鳳凰の翼』も一緒にやられてますね。

嶺岸 でも、その連載が終わってポカンと仕事がなくなるんです。当時はつながりもどこにもなくて。ただ昔は秋田書店が忘年会とかよくやってて、土山しげる先生(注9:1950〜2018。食漫画の大家として有名ですが、特に80年代は『アニキに雀杯』(原作:剣名舞)など麻雀漫画も多く描いていました)と知り合いになれたんです。隣駅だったんで、「近いじゃん、遊びに来いよ」みたいになって、結構遊びに行ったり飲み会やったりしてたんですね。それで、仕事なくなった時に麻雀雑誌を紹介してもらって。最初は実業之日本社の『傑作麻雀劇画』(注10:78年3月〜88年10月。70〜80年代は実は10誌以上の麻雀漫画誌というものが存在していたのですが、これは竹書房以外では最も早い時期に創刊されたものの一つ)です。

——この、川辺優さん(注11:1955〜。別名義に天王寺大。90年代以降は『ミナミの帝王』や『白竜』シリーズといった『漫画ゴラク』主力作品の原作者としてあまりに有名ですが、このころは麻雀漫画の原作もかなり書いてました)原作の「エンドレスの罠」が一番最初になりますかね。

『傑作麻雀劇画』84年6月号

嶺岸 そうそう、読切で川辺さんとやってるんですよ。

——この頃川辺さん麻雀漫画かなりやってますもんね。今は川辺名義使ってなくて、天王寺大名義ですけど。

嶺岸 『傑作麻雀劇画』はこれ一本だったかな。土山先生には竹書房も紹介してもらって。宇佐美さんの『別冊近代麻雀』。竹書房の下に喫茶店があって、そこで初めて宇佐美さんと会って「じゃあやってみようか」っていう。紹介してもらって今があるんで、土山先生のおかげですよ。あと宇佐美さんが本当かっこいいこと言うんです。「漫画家が机に向かってる仕事は俺が落とさない」ってやばい時に言うんですよ。かっこよすぎるって思って。「机から離れてどっか行っちゃったら責任取れないけど、机に向かって頑張ってる原稿は俺がなんとしても落とさない。どんなに機械止めようが何しようが」って。

——それは私も初耳のいい話ですね。

嶺岸 ヨイショです(笑)

——宇佐美さん、昔から原稿が遅い人の担当やりまくってる人ですからね。最初北野英明さん(注12:1941〜。虫プロでアニメ版『どろろ』の作画監督などを務めた後に独立して麻雀漫画の第一人者となり、70〜80年代に大量の麻雀漫画を執筆。師匠譲りで原稿が遅く、関係者の誰もが「遅かった」「よく落とした」と証言します)で、あと能條純一さんも原稿遅いので有名ですから。

嶺岸 あー、なるほどね。北野さんのは竹書房に入って最初の頃ですよね。その頃は知らないからなあ。

編集A その頃の「原稿遅い」は今とレベルが違いますよね。

——北野さんのえげつない伝説は、本当に関係者のほぼ全員が口を揃えるんで……。ギリギリというか、普通に落としまくってるんですが(笑)。あと減ページがよくあるという。

嶺岸 北野さんがいない雑誌なかったからね、いま考えたら落とすのはわかるよね。

 

あぶれもん』と麻雀の原体験

——で、嶺岸さんが来賀友志さんと初めて組んだ作品「牌のレクイエム」が前後編読切で(「牌のレクイエム」については『あぶれもん』の記事をご参照ください)。もうこの時点で来賀さんの原作もそれまでの麻雀漫画と全然違う感じですし、嶺岸さんの描き方ももうかなり洗練されてるなと。

嶺岸 下手ですよ(笑)

——ご自身で今から見たら、それはそう思われると思うんですけれども(笑)

嶺岸 これは俺が24の時で、宇佐美さんが28。来賀さんと宇佐美さんが同期で、これが来賀さんのデビュー作ですね。

——まだ来賀さんが竹書房の社員だった時ですね。宇佐美さんの勧めで原作書いたと。

嶺岸 この時、来賀さんに俺会ってないんですよ。宇佐美さんに会って、こういうのがあるよって、すごい分厚い、なんか小説1冊分ぐらいあるんじゃないかとまで言うと大げさかもしれないけど、そういう原作があって、前後編でと。主人公の親父が子を連れて旅打ちしてる麻雀打ちですけれども、イメージが自分の中では『砂の器』しか出てこなくて。あの親子が悲しい旅を続けるっていう。いやこの作品のはそんな旅じゃないんですけどね。でも俺の中では、2人が旅する姿には北陸のあの辺を歩いてるようなイメージがありましたね。全然表現できなかったけど(笑)

——前後編で、前編のうちだと主人公が麻雀打ってなくて特訓しかしてないのもすごいですよね。

嶺岸 そうだよね(笑)。「なんで麻雀を打つかわかるまで打つな」って言われても、打ってみなきゃわかんないですよね(笑)

——来賀さんに関しては、本当「デビュー作にその後の全てが詰まってる」という感じがあるなと。「生きてるから麻雀をしてるんじゃなくて、麻雀があるから生きてるんだ」っていうラストも。

嶺岸 そこが今やっている『オーラス』と決定的に違う部分でもあって。これは押川さんの麻雀に対する考え方もあると思うんですが、『オーラス』の柳って、麻雀があるから生きているんじゃないんですよ。生きるために麻雀をしている。でも『天牌』の瞬はまさに、麻雀の中で生きている。どちらの作品も、来賀さんも押川さんも、人生と麻雀が密接に繋がっていながら、その根底が違う。面白いですよね。そんな来賀さんが生み出すキャラクターはやっぱり、麻雀がある上で存在してる。麻雀があるから生きてられる奴ら。

——麻雀があるから生きてる、来賀イズムですね。

嶺岸 「牌のレクイエム」を描いてた頃は麻雀漫画誌のブームみたいな頃だったけれども、原作者さんと会うことは少なかったですね。原作もらうけど、名前を変えてた場合は誰かもわからない。もしかして知ってる人かもしれないけれども、誰かもわからない。そういうのが多かった気がします。来賀さんと直接会ったのもずいぶん後のような気がします。そこから一つ連載があって……。

——『トリプルキラー』ですよね。あれは単行本になってないので、残念ながらちょっと読めていないです。

嶺岸 来賀さんは宇佐美さんに「してよしてよ」って言ってたんですけれども、ならなかったですね。

——その後にいよいよ『あぶれもん』ですね。

嶺岸 取材は来賀さんと宇佐美さんと弘明寺に3人で行って色々写真撮ったりして、記憶に間違いがなければなんですけど、その後なぜか横浜スタジアムに寄って阪神-横浜戦を見たんです。なんでかわからないんですけど、見に行っちゃったんです(笑)。バースがいた頃だから阪神が強かった時ですね。

——そうですよね。ちょうど日本一になる直前くらいですね。

嶺岸 1塁側で見たのかな。ライナーで行ったバースの打球がそのままスタンドに入るのが衝撃的で、そういう風にホームランが入るんだって。あれには驚いたな。なんで3人で見たのかわからないけれど(笑)。子供が野球やり始めたのもあって、この後は横浜スタジアムには何度か行ってますけど、この頃は野球は嫌いじゃないけどそこまででもなかったので、あの時が初めての野球観戦だったような気がしますね。来賀さんとは結構色々仕事しましたけれども、意外と会ってないんですよ。『天牌』やりだしてからの方が年に1、2回会う感じで。俺も麻雀好きだけど下手だしさ(笑)。編集さんとはそれなりにやったんですけれども、来賀さんとは囲んだことはあんまりないんですよね。来賀さんはお酒飲みながら麻雀やったりするの好きじゃないタイプだし。

——まあそうですね。来賀さんは「麻雀は真剣に」っていう人ですもんね。

嶺岸 俺なんかはどっちかっていうと、セットで酒飲みながらやっちゃうタイプなので。

——麻雀といえば、ちょっと話が戻っちゃう感じなんですけれども、そもそも麻雀漫画を描かれる前から麻雀はやられてたんでしょうか。

嶺岸 麻雀覚えたのは高校の時ですね。高校の時麻雀にハマって。ここから先は言わなくてもいいかな、停学になった話が(笑)

編集A そんな面白そうな話、喋らないのは損ですよ(笑)

嶺岸 学校の坂降りてすぐのところに「黒猫」っていう本当に怪しげなバーがあって、マスターがいい雰囲気の親父で、やってくる高校生相手に麻雀やって金を巻き上げるっていう(笑)。そこでいつも二卓か三卓くらい立ってて。打ってたある日、見たことある人が入ってくるなと思ったらお巡りさんと生徒指導部の先生だった(笑)。しかもあの頃はショートホープ吸ってまして(笑)

編集A もう”数え”ですね(笑)

嶺岸 お巡りさんがポケットを触って、ショートホープの箱あるのは分かってたはずなんですけれども、それは見て見ぬふりしてくれたんです(笑)。で、ゾロゾロと坂を登って学校へ逆戻り。こんな話でいいんですかね(笑)

——嶺岸さんの麻雀の始まりですから(笑)

嶺岸 俺に麻雀教えてくれた同級生は、その日学校休んでたんです。でも、お縄になって生徒相談室だったがだったか校長室だったか行ったら、入口のところにそいつの学生カバンがある。学校休んでるのになんでカバンがあるんだと思ったら、昼の部で捕まってたんです(笑)。学校休んで黒猫で遊んでて捕まってて、何も知らない俺らは第二陣で(笑)

編集A 学校側からしたら爆釣れなわけですね(笑)

嶺岸 馬鹿な奴らだよね(笑)。麻雀教えてくれた同級生は、親父が布団屋をやってて、多分普通の人だったと思うんですけど、どう見ても雰囲気がヤクザっぽいんです(笑)。学校から呼び出されても、机の上にドンと缶ピースを置いて、悪いことやった生徒の親とは思えない(笑)

編集A 漫画の中のキャラクターみたいですね(笑)

嶺岸 それで無期停学ってやつになって、当時は下宿してたんですけど、そのまま担任の先生の車に乗っけられて実家まで送られて(笑)。それで先生が親とコンコンと話をしてから帰ったんですが、親父は「あんまり経験できないことしたと思えばいいんじゃないの」っていう感じで何も言わなかったですね。麻雀、下手ですけど好きでしたね。面白いもんですよね。今はそれで飯食ってるんだもんね。

編集A 先生がたも、まさか今、その麻雀で飯食ってるとは思わないですよね。

——麻雀は青柳先生のところでもやられてたんですかね。

嶺岸 そうですね。四国だから普段は三麻でやってたんでしょうけれども、俺がやってる時はだいたい四人でした。結構やりましたね。ツキだけで勝てたりして、あの頃は先生に「宮城の星」って言われて(笑)

——青柳先生は麻雀すごい強かったってお話ですね。宇佐美さんは以前に、「卓を囲んだことのある漫画家雀力格付け」みたいなので、自分よりも強いという最上位の「雲上人」として片山まさゆきさんと北野英明さんと青柳さんの3人を挙げてますね。

みやわき心太郎『マル秘牌の音ストーリーズ』2巻214〜215ページより

嶺岸 なるほど、やっぱり強かったんだ。その強いっていう人に「星」って言われたんだから俺も大したもんだ(笑)。先生に麻雀漫画をやるって言ったことがあったんですけど、そうしたら「麻雀漫画の日本一になれるよう頑張れよ」って言われたんですよね。そんなわけないと思ったんですけれども。

——本当に日本一になっちゃって、誰にも抜けなさそうな記録を作りましたからね。日本一どころか世界一ですよ。ギネスじゃないですか。

編集A 実はギネスに申請したことあるんですけど、ジャンルが狭すぎるって断られました。「漫画」っていうジャンルじゃないと選ばれない。漫画という括りで一番売れてるか一番連載しているか、でないとダメだそうです。

嶺岸 『天牌』が始まって間もないぐらいに、青柳先生が亡くなってるんですよね。

——そうですね、99年ですから本当にちょうど始まったぐらいですね。

嶺岸 『オールド・ボーイ』がその後に映画化して色々話題になって、先輩が「先生が生きてたら面白かったよな」って言ってて、そういうお祭りごとが好きな人だったから、ひと盛り上がりもふた盛り上がりもしてくれたんじゃないかなって。いなくて残念でしたね。

——『あぶれもん』の話に戻りますが、いきなり大ブレイクしたわけですよね。実際第1話の時点でめちゃくちゃ面白いですし。原作もすごいし、作画も、比較しちゃうのは何ですけれども、北野さんとかの頃に比べるとすごい洗練されててダイナミックさとかが全然違う。

嶺岸 ありがとうございます。

——あの原作、相当すごかったと思うんですけれども。最初の方で圭一が草を食べるとか。やっぱり原作にちゃんと草を食べるって書かれてたんですよね(笑)

『あぶれもん』新装版1巻116ページより

嶺岸 原作にありましたねそれは。あの演出は勝手にはできないですね(笑)

——まあできないと思いますが(笑)

嶺岸 演出を超えてますからね(笑)。ちょっとあれおかしいでしょ(笑)。オッサンが裸で走るとかね。今だったら俺どう描くんだろうと思いますけど。

——すごい面白いですけど、おかしいです(笑)。ビルの屋上に渡されたロープの上を渡るとか。

『あぶれもん』新装版1巻116〜117ページより
『あぶれもん』新装版1巻118〜119ページより

嶺岸 そうそう。あのシーンひどくない?(笑) 俺いま描けないよ、いろんなこと考えちゃって(笑)

編集A まあそうですね。いま原作でこう書かれてたら、嶺岸さんに渡すのはためらいます(笑)

嶺岸 でも来賀さんの強みってそこだよね。照れちゃったりするじゃないですか普通。あれ照れちゃうと書けなくなっちゃうから。あの時は俺が何も知らなかったから良かったのかな。

——草食べてる奴を見て「あいつは今に天下を取るぜ」って書けないですよね普通。あと来賀さんがすごいのは、これ見て誰もモデルが古川凱章さんだと思わないっていうことですよね。かわぐちかいじさんの『はっぽうやぶれ』とかはモデルが古川さんって分かりますけど。

嶺岸 啓一のモデルが青柳賢治さんって言うのは聞いてたんですけれど、健三が古川さんっていうのは聞いてなかったですね。聞いてたらキャラが違ってたと思いますけど、そうすると面白くならなかったかもね。

——それはあるかもしれませんね。

嶺岸 どういうイメージを来賀さんが持ってるかっていうのはいつも気になりましたね。来賀さんの中ではイメージとしてもっとこうしてほしいとかがあったのかもしれないですけれども。草食べてるのって確か、1ページぐらいで書いてましたよね。違ったっけ。

——いやそうです。1ページの3/4ぐらいが圭一がアップで草を食べてて、それでその下に「天下を取るぜ」って2人が橋の上から。当時の『別近』の読者投稿コーナーとか見ても、草食べてるのはよく話題になってましたね。他の作品のキャラクターに「誰々も草を食べなきゃダメな」みたいな感じで。インパクト強かったんだなあと。

嶺岸 黒沢も泥食べてたし、来賀さんその演出が好きですね。

編集A 大好きですけど、はまったのは嶺岸さんしかいなんじゃないですかね。

嶺岸 どうなんでしょうね。あんまり他の人との見てないからな俺。

——結構作画の人との相性良し悪しがあるタイプだとは思いますね。甲良幹二郎さんとかそういう重厚なタイプとは相性がいいと思うんですけれども。

編集A 渡辺みちおさんとも組まれてますけど、やっぱり渡辺さんよりも嶺岸さんの方が相性がいいのかもと。個人的な意見ですが。

嶺岸 渡辺さんは絵が綺麗なんですよね。スマートで。俺なんか泥臭いから。洗練されてないんだ(笑)

編集A たぶん黒猫で捕まったことがないんじゃ……。

嶺岸 そういうことじゃないかもしれないけど……。余談になっちゃうんですが、黒猫のマスターってのがサングラスかけた怪しい親父で。手積みだったんですが、積む時に前から後ろへこう……。

——ああ、逆モーション。

嶺岸 その親父がなんかそういう癖があるのか、逆モーションだったんですよ。あれ何かやりづらいじゃないですか。動きに妙に違和感があって。

——手積みでイカサマやる時の常套手段とは言われますけど。

嶺岸 「ちょっと待った、おっさんよう」ってなんかお縄になりそうな。

——何も仕込まずにわざと逆モーションかけて、相手にイカサマを疑わさせるっていうネタも『麻雀放浪記』にありましたもんね。

嶺岸 なかなか雰囲気のある親父でした。今時「黒猫」なんて名前のバーないじゃないですか。黒猫のイラストが描いてあるいかにもって感じの看板で。

編集A そういった環境で嶺岸さんの麻雀が育ってきたってことですね。

——『あぶれもん』、単行本未収録の外伝もありますよね。外伝と『トリプルキラー』と「牌のレクイエム」合わせて来賀嶺岸麻雀作品集みたいなの日本文芸社さんで出してもらえないものでしょうか(笑)

『別冊近代麻雀』92年10月号掲載「あぶれもん外伝 遥かなる牌景」

編集A これがですね、一度企画を出したことがあるんですよ。今やる時期ではないっていうか、どうしてもニッチなので電子版だけになるかもねっていうので、でもそれでもいいですっていうところでちょっと話が止まった感じで。

——ぜひ実現してほしいです。『あぶれもん』、当時の『別近』の編集さんにもお話を伺ったんですけども、読者アンケートはずっと『哭きの竜』1位、『あぶれもん』2位で3位が神田たけ志さん、4位がなすの庸一さんっていう並びだったのが、クライマックスに近づくにつれて『あぶれもん』が『竜』を抜いて1位になったと。世間的には『竜』が有名でしたけれども、雑誌上では勝ってたらしいですね。

嶺岸 そうだったんですか。反応良かったですもんね。

編集A 『あぶれもん』を読んで竹書房を目指したって人とか『あぶれもん』キッカケで日本文芸社って人もいますね。麻雀が好きで。その後になると『天牌』を読んでって人も。

——『あぶれもん』、これぐらいダイナミックなコマ割りで見せる演出っていうのとかは、70年代の麻雀漫画とかだとなかったですしね。70年代はみんな細かく細かく割っちゃって。『哭きの竜』もそうですけれども、この頃から一気に迫力が増すような。こういうパース利かせたリーチ棒ですとか。

『あぶれもん』新装版4巻169ページより

編集A リー棒は飛ばすものですもんね(笑)

——今に至るまで後世の麻雀漫画にすごい影響を与えてると思います。こういった表現、どなたか影響を受けたというのはあるのでしょうか。

嶺岸 青柳裕介じゃなくてまずいんだけど(笑)、かわぐちかいじさんを追っかけてたのは確かですね。追っかけてたって言うと何ですけど、大概ありますよね作家さんには、何かそういう好きというか方向性というか。麻雀ってどうしてもバストアップが多いじゃないですか。それだけで麻雀やってる空気が出るんですよかわぐちさんは。キャラが生きてて、描かなくても下を想像させてくれるんですよ。麻雀ばっか好きでやってましたから、それすげえなと思って。そういうところ描けたらかっこいいなって。ただ、かわぐちさんはそう奇抜な構図で書くようなタイプじゃないじゃないですか。

——そうですね。破天荒な構図とかよりは正統派できっちりというタイプで。

嶺岸 だから、広角の写真で撮ったようなアングルとかはどこから来たのかな。なんか広角にしたがりますよね俺は。

編集A 嶺岸さんはしたがります、私たちも止めませんね(笑)

——映画とかからの影響っていうのがある感じですかね。

嶺岸 映画もそんなに……『砂の器』になっちゃうからな(笑)。そんな構図出てこないですもんねあれには。ああでも、映画っていえば石井隆さん(注13:1946〜2022。デビュー当時のペンネームは出木英杞。70年代に新時代の劇画の旗手として脚光を浴びる。大学でシナリオ研究会・映画研究会に入っていたこともあり、自作『天使のはらわた』が日活ロマンポルノでシリーズ映画化された際に自ら脚本を手掛けるようになり、後に映画監督としてもデビュー。映画・漫画の双方で活躍した。多くの作品で、スターシステム的に「名美」という女性がメインヒロインであるのが特徴)の影響は多少あるかもしれないですね。大阪行って、たまたま時間があって映画でも見ようかと思ったら、石井さんの『名美』シリーズがやってて。あの人、究極のローアングルというかいい構図じゃないですか。スクリーンに名美の裸のイラストが、こう下からのアングルで映ってて、こんなにかっこいいのかと思ってびっくりしましたね。石井さんといえば、宇佐美さんに聞いたことあるんだけど、原稿落ちそうになった時、ペン入れずにそのまま印刷に回すことがあったんだって。「そんなことできるんですか」って聞いたら、本当かどうかよくわからないけれど、普通下書きしてペン入れるじゃないですか。でも石井さんは、下書きしてから1回鉛筆でそれをトレースするっていうんですよ。鉛筆でトレースして、そこにペンを入れるんです。手間がかかってるんですね。だから、最悪その下書きした鉛筆の部分で十分印刷に回せるぐらいのクオリティーっていう。実際見てないから正確なところは分からないんですけど。あの人も宮城県ですよね。無理やり仲間に入れてるみたいですけど(笑)

——私がこの前インタビューした青山広美さんも宮城県ですね。仙台です。

嶺岸 むかしよく着物を着ていらっしゃいましたね。

——そうですね。青山さんその頃日本舞踊を学ばれてたそうなので。

嶺岸 その印象あって、粋な方だなぁと。

 

あぶれもん』以後の麻雀漫画作品たち

『勝負師の条件』1巻

——『あぶれもん』と平行する感じで、『近代麻雀ゴールド』(注14:85〜06年。今は『近代麻雀』1誌のみですが、昔は竹書房の麻雀漫画誌は『別冊近代麻雀』(現『近代麻雀』)・『近代麻雀オリジナル』・『近代麻雀ゴールド』の3誌があったのです。福本伸行』の連載が行われていた雑誌として知られます)の方では土井泰昭さん(注15:1658〜。『勝負師の条件』当時は山根泰昭名義。竹書房の編集者を経て、原作者・編集者・麻雀プロとして長く活動。嶺岸氏と組んで『勝負師の条件』『幻に賭けろ』『代打ちたちの晩夏』といった傑作を残しているほか、クレジットはないが『哭きの竜』の闘牌(麻雀シーン)原作なども担当)原作で『勝負師の条件』もやられてますね。

嶺岸 土井さんも印象深いですね。ただそんなに会った記憶はないんですよ。来賀さんもそうだけど、やってる最中に原作者さんとそんな会ってないね。

編集A まあ、頻繁に会うっていうパターンの方がまれですしね。

嶺岸 やっぱり、間に担当さんが入ってくれるっていうのが一番で。担当さんがなんとなく調整してくれるっていう。担当さんの力ですよ作品は。原作者と漫画家が直接打ち合わせを始めるとあんまりいいことがないような気がする。

編集A 他の作品でもよくあることですけど、意見がバッティングしちゃう時に間に1人入るのは大切ですね。

嶺岸 俺は素直だから、さっきの綱を渡ったり草喰ったりとかでも、あんまり変えないでそのまま描いちゃう方だから。それが良いか悪いかわかんないですけどね。

編集A 来賀さんと嶺岸さんに関してはそれがいい相乗効果になってたと思います。互いに正面から描かれるからそれが世界観としての説得力につながると思います。

『『風牌に訊け』』

——このころは、竹書房以外でも『劇画麻雀時代』(84?〜90年。連載作では福本伸行銀ヤンマ』が後に竹書房から単行本化。90年になると『漫画パチンコ時代』に誌名変えてパチンコ漫画誌化)の吉田幸彦さん(注17:1950〜。70〜80年代に活躍し、後に来賀友志氏に抜かれるまで「麻雀漫画単行本冊数日本一」だった原作者。90年代に入ると執筆をやめており、その後については不詳)原作の『風牌(かぜ)に訊け』とかも。

嶺岸 笠倉出版社ですよね。

——そうですね。私、来賀・土井原作以外の嶺岸さんの麻雀漫画だと、この『風牌に訊け』が一番好きなんですよ。

嶺岸 これ、まずタイトルかっこいいですよね。「風牌」って書いて「かぜ」って読むのがまずかっこいい。それで「訊け」ね。この仕事は嬉しくて、何でかっていうと、俺の中で吉田幸彦さんっていうのはかわぐちさんと組んでた方だったので。

——そうですね。『劇画Aクラス麻雀』(注18:双葉社刊。82〜90年)の『雀鬼伝説』(注19:『劇画Aクラス麻雀』創刊からしばらくの看板連載。連載時は『雀鬼誕生』→『蒼き雀狼』→『雀鬼の肖像』→『雀鬼伝説』と出世魚式にタイトル変えてましたが、後に再編版単行本が出た際にはまとめて『雀鬼伝説』となりました。竹書房から再刊時には『雀狼伝説』にタイトル変更)。

嶺岸 そういうのってあるじゃないですか、うまく言えないけど。

——吉田さんは、やっぱり来賀さんとかが出てくる前の、70年代からの麻雀漫画原作者としては一番面白いの書いてた方ですからね。これも今読んでも面白いなって。来賀さんはご自身でも「書くのが苦手、気持ちが分からないから書けない」って仰ってて女性キャラがあまり出ない作風ですから、嶺岸作品でヒロインの印象が一番残る作品だなと。

嶺岸 これはそうですね、最初から登場してずっといますもんね。来賀さんは書かないですよね。

——『天牌』の「ゆか」とかどこ行っちゃったのかって感じになりますもんね(笑)

嶺岸 都合の良い時しか出さない(笑)。来賀さんはやっぱ男と男の話だからね。

——「男の友情が書きたい」ってそれはもう仰ってましたね。

嶺岸 まあ『天牌外伝』は結構女の子出てくるけど。

編集A 来賀さんが聞いた「面白いな」っていう女の子のエピソードをうまくお話にしてるなという感じがあります。『風牌に訊け』は嶺岸さんがコミックスの裏表紙にカラーで女性描いてるのが珍しいですよね(笑)

『風牌に訊け』6巻裏表紙

嶺岸 これどうしたんだろうな。このために描いたんだったかな。珍しいよね。

——珍しいですね。嶺岸さんの作品で『女医レイカ』(原作:剣名舞)は例外的に女性主人公ですけど、来賀さんも土井さんも女性あまり書かないタイプですからね。

嶺岸 土井さんはチョイ役ですらあまり見ない気がしますね。

——『風牌に訊け』はラストもすごい決まってて知られざる嶺岸麻雀漫画の傑作だと思います。当時の笠倉で単行本が6巻出てるというのも人気があったんだなと。

嶺岸 吉田さんは、なんか海外行っちゃったっていう話ですよね。

——そうですね。なんかイギリスに行ったという話はほんまりうさんからも聞いたんですけれども。インタビューしたいとは思ってたんですが、人づてに聞いたら、麻雀漫画原作書いてた頃のことは特に思い出したくないみたいな感じでちょっと断られてしまいまして。電書とかの話も断ってるみたいです。

嶺岸 あ、そうなんですね。そうか、これ出てないか。

——ちょっとレアになっちゃってて、もったいないなあと思ってます。

嶺岸 吉田さんともお会いしたことはそんなないんですけれど、一つ覚えてることがあって。笠倉の『麻雀時代』は編集長がほとんど一人でやってたんだったかな。それで原稿はアルバイトさんが取りに来たりしてたんですよね。だから直接会うことはそんなになかったんですけど、吉田さんがその編集長に「嶺岸さんの原稿は、アルバイトに行かせるんじゃなくて直接取りに行った方がいいよ」みたいなことを言ったらしいんです。それから毎回来るようになって。気を使ってくれたんですね吉田さん。

編集A 原作者さんがそういうことを言うのは珍しいですね。

嶺岸 そう。そんなことあんまり聞いたことない。

——吉田さんは、今みたいなお話も初めて聞きましたし、謎に包まれてる方ですね。

編集A 吉田さんの話は編集者の中でも一切聞かないですね。

嶺岸 一応顔は知ってるんだけどね。日本文芸社の中で何か1回見たことがあるんだよね。

——『別冊ゴラク』だったかで、『銭魂』って麻雀じゃない連載もされてますね。吉田さん、麻雀漫画以外だと株漫画とかもちょっとだけ書かれてますけど、ほとんど麻雀漫画だけたくさん書いてて、それでスッと消えてしまった人っていう感じで。

嶺岸 まあでもこの頃、竹書房以外ではそんなにやってないんですよ。竹でも『別近』と『ゴールド』で、『オリジナル』ではそんなやってないですし。宇佐美さんに「他でも仕事できるようにしないとだめだよ」って言われたけど、ほかで仕事するって言うと嫌な顔されたような気もする(笑)。そんなことはないと思うんですけどね。

——『麻雀時代』は『風牌に訊け』が終わった後も東史朗さん(『地獄の戦鬼』の記事参照)原作の『ほおずき』が始まって、嶺岸さんがずっと看板だったっていう感じですよね。『ほおずき』は麻雀漫画というよりもヤクザ漫画っていう感じが強い作品ではありますし、最後の方『劇画麻雀時代』がそのまま『漫画パチンコ時代』に変わった関係で、単行本の最終話だけパチンコの話になってたりしますが。パチンコものは来賀さんとも1本読切描いてますよね。竹書房の『漫画777』で「銀色の夏」っていう。

嶺岸 そう、それめちゃくちゃ渋いタイトルだなって思ってました。来賀さんとは読切1作ですね。俺の中では、パチンコ漫画は浜田正則さん(注20:パチンコライター等を経て、02年に『近代麻雀』の新人賞で原作者デビュー。麻雀、パチンコなどギャンブル系を中心に様々な漫画の原作を書いており、嶺岸氏とも後述の『麻雀放浪記』コミカライズなど何度も組んでいます)、浜ちゃんとやったのが印象が強いですね。

——前に浜田さんにお話聞いた時、年に1回誕生日プレゼントみたいな感じで嶺岸さんが1本描いてくれると仰ってました。

嶺岸 初めはあれだよね、近代麻雀の麻雀大会で。

——そうですね。「たまたまトイレに行ったら、横にいた人の名札に『嶺岸信明』ってあって、『わーっ』て声が出た」って仰ってました。

嶺岸 同卓もしましたし、結構縁があって。梶川良さん(注21:1946〜。ルポライターなどを経て漫画原作を手がけるようになり、80年代からは主に編集プロダクションの社長として活動。麻雀漫画の雑誌を作るよう竹書房の野口社長へ進言した人物でもあります)が仕事投げ出して、その後浜ちゃんがっていうのがあったり(笑)。

——あ、そうですね。この『哲也十番番勝負』とか、梶川さんが途中で投げて浜田さんが別名義で後を。

『哲也十番番勝負』

嶺岸 そうそう。この浜田さんの名前の「緋来鳥(ひらいちょう)」ってのが読めなくてさ。

——「お前が阿佐田哲也の何をわかってるんだ」みたいにファンの夢を壊すかなと思って、煙に巻きたくて正体不明の名前にしたって仰ってましたね。

嶺岸 あー浜田さんそういう発想しますね。しかし梶川さんは何話かやると飽きるんですかね。

——いやもうそれは。本人も「俺すぐ飽きちゃうんだよ」って言ってましたからね。浜田さんはそれで何度か尻拭いさせられて本当大変だったって言ってましたけど(笑)。土井さんもデビューは、梶川さんが「いま麻雀やってて、アツくて抜けられないから、お前が代わりに『特選麻雀』(注22:芳文社刊。80〜89年。ここまでの注記見てわかると思いますが、今はほぼ忘れ去られてますが80年代はめちゃくちゃ麻雀漫画誌の数が多かったのです)の連載の原稿書いといてくれ」って言われてデビューしたっていう話ですから。

嶺岸 梶川さんは何度かお会いしたことあるけど、インパクトのある怖い方でしたね。「原作は変えていいんだよ、面白くするなら変えていいよ。改良だったらいいんだよ。でも改悪はだめだよ」って。「ずるいなその言い方」って(笑)

『ジャングル 麻雀狂時代』

——このころの作品で『ジャングル』についてもお伺いしたいんですが。まずこの「香月謙」という原作者さん、どなたなんでしょうか。他で名前が一切出てこないので……。

嶺岸 梶川良さんだったと思う。途中から原作の名前なくなりますよね。

——ああー。まあ梶川さんなら納得できますね。確かに、嶺岸さんと組んでおいて途中で投げ出すの梶川さんぐらいだと思いますし……。

嶺岸 俺も記憶がもう曖昧なんだけど、途中で原作がなくなって、だからすごく中途半端な感じなの。闘牌は馬場裕一さんにやってもらったんだけど……。ストーリーは担当さんと一緒に作ったと思います。

——嶺岸さんの作品で原作クレジットがないっていうのは本当に珍しいですよね。読切で少しあるくらいで。

嶺岸 そうですね、梶川さんが抜けても、結局4巻まで続きましたしね(笑)

——誌面での扱いは良かったんで、人気はあったと思うんですけどね。それはもう嶺岸さんの力で。

嶺岸 馬場さんに闘牌を作ってもらったんですが、俺が組んだ人って、来賀さんとか土井さんとか自分で闘牌も作れる人とばっかり仕事してきたから、闘牌だけを作ってもらったのは珍しくて。馬場さんも闘牌だけじゃなくてもうちょっと踏み込んで書いてくれてたのかな。馬場さんはお元気でしょうか。

——がんになられて闘病中なので、そういう意味ではお元気ではないんですけれども、メディアに出たりとかはできる状態です。この前『馬場裕一の見た夢』って本も出されましたし。それにしても『ジャングル』は本当聞きたかったんですよ。嶺岸さんの作品の中で一番謎めいてるので(笑)

嶺岸 原作者が消えるんだもんね(笑)

編集A 嶺岸さんからも明確な答えが出たわけじゃないですしね(笑)

嶺岸 俺も不思議なんだよな。描いてる俺が言っちゃだめだよね(笑)

——闘牌は馬場さんで、担当編集がプロットを組んでったような感じですかね。

嶺岸 だと思います。曖昧ですみません。

——や、ものすごい量の作品描いていらっしゃるのにすごく覚えてらっしゃるなと思います。最初の麻雀漫画発表したのが『傑作麻雀劇画』だったって覚えてただけで相当ですよ。やっぱりたくさん描かれてると皆さんどうしても忘れちゃいますから。
(林田注:宇佐美さんに後日お伺いして、嶺岸さんの記憶が正しかったことの裏が取れました)

 

後編につづく>

 

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