アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(4)空を過ぎるものたち

2016/12/15 1:59

 『ぴっぴら帖』『こっこさん』『日の鳥』。こうの史代の作品で、鳥は特別な位置を占めてきた。『この世界の片隅に』に表れる鳥もあちこちで不思議な印象を残す。中でも読後、間違いなく読者の記憶に残る鳥は、サギだろう。

 マンガの中でサギがはっきりと描かれるのは、意外にも中盤以降だ。1912月、呉で久し振りにすずに再会した水原は、オミヤゲがわりに鳥の羽をすずに渡す。水原は南方の船上で、サギに似た鳥を見上げたのだという。マンガの片隅に記された注には「サギの中でも、チュウサギは冬を東南アジア、夏を日本で過ごす渡り鳥なんだって」とある(この注が羽で始まる小さな工夫がまたぐっとくる)。しかし、故郷の広島での水原の記憶は違う。「のう……年がら年中、川へつっ立っとろう?」。おそらく南方で空を見上げた彼は、郷里でもある広島がひととき空を過ぎったような、奇妙な幻視の感覚に囚われたことだろう。幻かうつつか、水原の手元にはその鳥の、羽だけが残った。まるでばけもんにくれてしまった1枚の夜のような、羽の軽さと確かさ。

図1(『この世界の片隅に』中巻 85ページ)

 その羽で、すずはサギを描き始める。右手は、鉛筆を持つときと違って、親指と人差し指だけで羽を持ち、残りの指で紙を押さえて器用にバランスをとっている。持ち方から、羽の軽さが伝わってくる。この場面といい、鉛筆を持って「短かー」という場面や箸を持って「遠-」という場面といい、こうの史代はすずの右手を実に印象的に描いている。

 絵のうまいすずにしては、サギを描くのに意外に苦心している。

すず「どうもいけんわ しばらく見んけえねえ」

水原「はは お前でもそんとな時があるんじゃの」

すず「江波にはようけ居ったのにねえ」

 吹きだしから、すずは広島の江波でよくサギを見たこと、呉の嫁ぎ先では長いこと見ていないことが読み取れる。この一連のやりとりに基づくなら、サギを、すずの郷里である広島を象徴しているものと考えることができるだろう。

 だが同時にサギは、すずと水原の関係とも強く結びついている。

 すずは水原のために筏に乗った奇妙なサギの絵を描いてやる*1 。サギはすずから水原への、絵の贈り物なのである(それは、すずが周作に周作自身の寝顔を描いてやったのとは対照的である)。そしてサギは戦地の水原を守護しているのかもしれない。南方でサギらしき鳥を見つけた水原は、すずのもとに「死なずに来て呉れた」。さらに、はっきりと物語としては描かれていないけれど、第23回「愛国いろはかるた」による楽しい絵解きの中に、さりげなく筏に乗ったサギと水原は再登場している。そこでサギが何をしているかは、ぜひ原作で確認していただきたい。その上で第43回「水鳥の青葉」を読むとき、わたしたちは、すずと水原のことを、そしてサギの登場する意味を改めて捉え直すことになるだろう。


 アニメーション版「この世界の片隅に」は、サギの姿をあちこちに描き込み、原作よりも広島時代のすずとサギの関係をよりはっきりと表している。たとえば、サギはさっそく冒頭の812月、すずが川を遡って江波から広島の街に舟で行くときに現れる。舟の速度に合わせるようにゆったりと上空を飛んでいるその姿は、まるですずのお使いに付き添っているかのようだ。そして、舟が橋をくぐり、岸に寄せるべく速度を落としたそのとき、サギは舟と進路を分かち彼方へ飛び去っていく。

 10815日、要一、すみ、すずの兄妹は、潮が引いて遠浅になった海を、祖母の家のある草津めざして歩いている。三人の姿は遠く、手前でシラサギが立っている。と、シラサギはいきなりカニを嘴でついばんで、ぐっと飲み込む。カニを食べるのか、意外に獰猛なやつだ。夕方、祖母の家での用事を終え、海をゆく一家の向こうにもサギはアニメーションで描き込まれている。サギは一家の歩みを悠然と追い抜いていく。もしかすると、カニを食ったサギなのだろうか。

 132月、成長したすずの描かれる場面でも、サギは現れる。海苔を干すのを手伝ったあと、小学校に急ぐすずとすみの姉妹の向こうで、まるで並走するようにサギは飛んでいる。ここでわたしたちは、サギの速さがまるで人の動く速さを計るものさしのように描かれていることに気づく。歩く人を追い抜き、走る人と並走する。川を上る舟と並走し、舟が岸に近づこうとするときに離れる。人の動きに見合った、ゆったりとした速さを持つ生き物だ。


 アニメーションは、このサギとは全く対照的なものを空に過ぎらせる。飛行機だ。広島に棲まうサギの速さに目を慣らされたわたしたちは、19年3月、すずの嫁ぎ先で呉の畑を目にも止まらぬ速さで機影が過ぎ、ブォンと激しいうなりがするのに驚かされる。防空演習の零戦の影だ。飛行機は非人間的な速さを持つつくりもので、呉は、そのような非人間的な速さを持つつくりものが空を行き交う都市だ。

 ある日、すずは呉の畑で、あたかも非情な影の速さに抗する魔法でもかけるかのように、たんぽぽの綿毛を吹く。綿毛の半分以上が、ゼイタクなほどごっそり飛び去り、見る者の近く遠くで優雅に漂い出す。この世界の速さで。しかしいっけんのんびりとしたすずの日常は、非人間的な空での戦いと無縁ではない。20319日、アニメーションの中で、畑の上ですずと晴美は、こんな歌を唄っている。のどかで美しいメロディだ。

藍より青き 大空に 大空に

たちまち開く百千の

真白き薔薇の 花模様

 劇中ではここで終わっているが、この夢見るようなイメージは以下のように続く。

見よ落下傘 空に降り

見よ落下傘 空を征く

見よ落下傘 空を征く

 これは、大日本帝国陸海軍の落下傘部隊を称える軍歌「空の神兵」だ。二番で「その純白に赤き血を捧げて悔いぬ奇襲隊」「肉弾粉と砕くとも 撃ちてし止まぬ大和魂」と歌われているように、落下傘部隊の任務は敵前に降下し、その場での死を覚悟するものであった。空から降る兵隊の歌を口ずさんだ直後に、すずと晴美たちは空から逆に襲撃を受ける。この皮肉な連鎖は、アニメーション独自の演出だ。

 偶然帰宅した義父の円太郎は、二人を砲弾の破片からかばうように急いで突っ伏してから、繰り広げられる空中戦から非人間的な速さでうなる紫電改の音をききとって、こうつぶやく。「ええ音鳴らしとる」。さらに突っ伏したままで続ける。「わしらが日夜工場で働くんは、あれを歩留まりよう仕上げるためじゃ」。これらのセリフも、マンガにはなく、アニメーション独自のものだ。

 以上のように、アニメーションは、広島に棲まうサギと、呉を飛び交う人工物を対比させ、その圧倒的な速さの違いをを際立たせる。そして、この非情な人工物がけしてすずや晴美そして円太郎の生活と無縁でないこと、彼らの夢もまた誰かの空へこのような非情な人工物を降らせる悪夢であることを知らせる。

 鳥と飛行機の対比は、じつはマンガにも意外な形で埋め込まれている。たとえば、マンガでは、上に記した20319日の空襲の場面で、灰が峰から蜘蛛の子を散らしたように飛び立つ艦載機が描かれている。このイメージはおそらく呉戦災を記録する会 「呉戦災あれから60年」p.152 *2 に掲載されている絵からきたものだろう(アニメーションでも同じイメージが引用されている)。しかし、よく見るとこうの史代は、扇形に広がった艦載機の隙間に、すずめの姿を描き込んでいるのである。すずめはまるでエッシャーのだまし絵のように飛行機と飛行機の間に紛れて別の方向に飛んでいるので、艦載機の飛ぶ方向に気をとられている者には、目に留まらないのだ。


 サギがいかなる生き物であるかは、20728日、よりはっきりする。空襲警報が鳴り、呉の家の庭に突然、サギが舞い降りるからだ。

図2(『この世界の片隅に』下巻 64ページ)

 マンガ版では、サギの輪郭は、なぜか周りの風景とタッチが異なっている。その姿はまるでこの世ならぬ異次元から突然現れたように見える。義母のサンと義姉の径子はまるでそれが見えないかのように会話を続けており、一人すずだけがその存在に気づいていることが、サギの非現実性をいっそう高めている。

 それが何を意味しているかは、ぜひ原作の第36回を読んでいただきたい。ここでは、この回の原画のことに少しだけ触れておこう。わたしはこのコマを描いた原画を呉市美術館の原画展で見て驚嘆してしまった。こうの史代は、まずサギの絵を鉛筆描きした上で、それをコピーし、切り抜いて、すずたちを描いた紙の上に貼り付けていた(図2のサギもそうだ)。サギがどこかこの世離れして見えるのは、この手法のせいなのだ。しかも、この回に現れるサギのすべては、この手法ですべて貼り込まれていた。こうの史代の談話によれば、鉛筆で描いた線は印刷にどう出るか予測しにくいから、一度コピーを取ることで濃淡を定着させる意味があったのだという(「この世界の片隅に」公式アートブック/宝島社参照)。しかしそうした技法上の問題とは別に、原画の上に張り込まれた紙は、あたかもマンガというこの世界の上に、もう一つの世界のレイヤーが重ねられたかのようであり、サギは異次元から割って入ったような不思議な生き物に見える。そして、そのもう一つのレイヤーの生き物をこの世界から幻視することができるのは、すずだけなのだ。

 すずの目はもう一つの世界を幻視する。右手はそのもう一つの世界を「かく」。すずが苦心して水原のために描いたサギには、あるいはぼうっとしているすずの夢見の力が凝っていたのかもしれない。

*1  掲載誌である漫画アクションの柱書きによれば、この回のサギの絵は、こうの史代が鳥の羽を用いて描いたのだという。

*2 呉戦災を記録する会 「呉戦災あれから60年」は、『この世界の片隅に』原作の巻末資料にあげられている。入手は難しいが、幸いweb上で全文が無料公開されている。呉の地理に多少通じていれば(『この世界の片隅に』を観た/読んだあなたはそうですよね)、多くのことを読み取ることができるだろう。もう一つの『この世界の片隅に』として一読をお勧めする。

呉戦災を記録する会  http://kure-sensai.net/

『アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す』の一覧
(1)姉妹は物語る
(2)『かく』時間
(3)流れる雲、流れる私
(4)空を過ぎるものたち
(5)三つの顔
(6)笹の因果
(7)紅の器
(8)虫たちの営み
(9)手紙の宛先
(10)爪
(11)こまい
(12)右手が知っていること
(13)サイレン
(14)食事の支度
(15)かまど
(16)遡行


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漫画も映画もすごい この記事も良かった http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12250426/

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細馬宏通
1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。声と身体動作の関わるいろんなことに興味を持っています。高齢者と介護者の声とからだの動きをとらえ直す「介護するからだ」(医学書院)、古今東西の歌のきこえ方を論じる「うたのしくみ」(ぴあ)の他、「今日の『あまちゃん』から」(河出書房新社)、「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」(新潮選書)、「浅草十二階(増補新版)」「絵はがきの時代」(青土社)など著作多数。最近は雑誌「ユリイカ」をはじめあちこちでマンガについての論考を書くようになりました。バンド「かえる目」では作詞・作曲とボーカルを担当。