アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(6)笹の因果

2016/12/29 12:40

 「とりかへしのつかぬあやまちをおかして仕舞ひました」と主婦十九歳はがっくりしている。義姉の径子が様子を見に行くと、驚いたことにその主婦十九歳はずらりと並んだ端切れを前に、目を笹の葉のごとく三本線にして「裁ち間違えた……」と俯いている

【図1: 中巻 p. 74】

 1911月の回は、マンガ版『この世界の片隅に』の中でもとりわけ変わった構成をしている。まず、テキストは、戦前のお悩み相談本の体で進む。義姉の径子は義妹について悩みを打ち明ける。「家事を任せてゐる義妹は大陸的性質です。殊におさいほうが大ざつぱで気になります」。この義妹とは、むろん、すずのことだろう。よく観ると、径子の着る割烹着の肘にも、もんぺの膝にも、地の柄とは似ても似つかぬ素っ頓狂な柄のツギがまつり縫いで当ててある。どうやらこれがすずの「大ざっぱ」な仕事らしい。

 では、すず(主婦十九歳)はまったくの不器用なのか。そうとも言えない。彼女は結局「裁ち間違えた」端切れをせっせと縫い合わせて、径子のユニークな上着へと仕立て上げてしまうからだ。径子によれば、すずの服装感覚は「故郷風なのか漁民風なのか 或いは単純なる裁縫下手なのか」わからない、にわかには判じがたいものなのだ。

 そして、読者もまた、この判じがたい奇妙な感覚に巻き込まれることになる。なぜなら、この回のコマの輪郭は、あたかも端切れのごとくデザインされており、しかも時間的に隣接するコマどうしはまつり縫いでかがってあるからだ。マンガを読み進める時間がそのまま、すずによって並べられ、綴られた端切れをたどる時間であるかのように感じられる。心憎い仕掛けだ。


 常人とは違う方法で大胆にハサミを入れ、なんとか自己流で仕立て上げてしまうすずの独特の感覚は、嫁入り間もない頃にも発揮されていた。193月、径子に「身なりがなっとらん!」と言われたすずは、持参した笹柄の着物をもんぺに直す。それも、何か仕立ての指南書を見るのではなく、径子のもんぺ服を見て想像をめぐらし、頭の中でばっさり「裁つ」のである。片渕監督がインタビューで指摘しているように *1、着物は「全部縫い目を外すと反物になるので、そこからもんぺに作り直すべき」なのだが、すずは反物に戻るかわりに大胆にもはさみを入れ、後戻りできなくしてしまう。ではそれでなにもかも台無しにしてしまうのかと思えば、彼女なりにどうにか着物からもんぺへと行き着く方法を見つけ、仕上げてしまうのである。結局、アニメーションの中でも、この不思議なもんぺの作り方はそのまま踏襲されている。

 さらにすずは、ポケットにするつもりだった布きれを使って、そばにいた幼い晴美のために巾着袋を作ってやる器用さも持ち合わせている。かくして、すずがかつて祖母の家に持ち込んで作った笹柄の反物は、すず自身のもんぺとなっただけでなく、あたかも離れた場所に顔を出すタケノコのように、晴美の腰に提げられることになった。

 すずと晴美の二人が身につけることになった笹柄は、物語の中で思いがけない意味を担い出す。まず印象的に用いられるのは1910月の回だ。すずは竹槍を作るために竹林に入り、そこでりんどうの花が咲いているのに気づく。このとき、すずは笹柄のもんぺを着ているのだが、それはあたかも竹林の竹の葉を思わせる。そして、竹を切り、葉を落とすすずの左右のコマで、周作の買い置いていたりんどう柄の茶碗と、リンの着ていたりんどう柄の着物のコマが結びつく。そしてすずは、周作とリンの関係を結びつける符丁に気づいてしまう。

 ここでマンガは、周作とリンの秘密を知らせるとともに、さりげなく、笹/竹とりんどうとを対比させている。すずのもんぺの笹柄とリンの着物のりんどう柄との対比は204月、すずとリンとが再会したときにも繰り返されており、作者が意識的にこの対比を用いていることがわかる。


 さてここでちょっとご注意を。以前、呉市立美術館の『この世界の片隅に』原画展を見ていたら、ここから先の展示では物語の核心に関わる重大なシーンがあります、という主旨の注意書きがあり、終盤に入る前に仕切りがしてあった。本連載でもあちこちにネタバレが含まれていることは、連載第一回であらかじめ書いておいたが、ここから先は特に物語の重要な展開に関わる第32回以降に触れていくので、ぜひともマンガ版、アニメーション版をご鑑賞の上お読みいただきたい。


 この物語の中でもっとも衝撃的なできごとでも、笹は重要な役割を果たしている。206月、不発弾に会ったすずの意識が覚めつつあるかのように黒い背景が明るくなると、次のコマに表れるのは、笹柄だ。そこから始まるのはすずの回想で、祖母に叱られながら反物を着物に仕立てようとしている。さらに回想は進み、すずはその着物からもんぺを作り、晴美のために巾着袋を縫っている。その巾着袋が、朱に染まって畳の上に残されている。まるで、笹によって導かれた残酷な因果のように。

 すずが何度眼を閉じては開いても、因果は変わらない。この回は残された巾着袋と立ち上がる線香の煙、そして晴美の遺骨を畳の高さから見上げるコマで終わっている。

 では、作者はこの回で、ただ笹柄の残酷な因果だけをここで示そうとしているのだろうか。ここで、すずの辛い回想と空想のさなかに、縫うこととは別の、もう一つの行為が紛れ込んでいるに注意してみよう。その行為はリンと交わしたことばの記憶に埋め込まれている。

すいか わらび餅 はっか糖 そうか

 この唐突に現れる「そうか」はなんだろう? なぜすずは、突然リンのことを思い出すのだろう? そして、甘いものの名前を並べることがなぜ、「そうか」という思いつきを導くのだろう?

【図3: 下巻 p. 38】

 それを考えるには、「すいか わらび餅 はっか糖」がどんな行為とともに唱えられたかを思い出すとよい。それは198月、初めてリンと会ったすずが、リンのために絵を描きながら二人で発した名前であり、199月、描きあげた絵を届けに行ったときに、リンが口にした名前だ。つまり、これらの甘い名前は、すずの「かく」行為、すずの描いた絵とともに唱えられた名前であり、いわばすずに「かく」ことを思い出させ、その力を召喚する呪文なのだ。そして、力は実際に召喚されているに違いない。この「すいか わらび餅 はっか糖」のコマの前後で突如、明らかにタッチの異なるコマ、鉛筆によって描かれたと思われる絵が出現するからだ*2。「そうか」というすずの声は、朦朧とした意識の中、「すいか わらび餅 はっか糖」という呪文によって召喚された「かく」力によって、彼女がここではないもう一つの因果をかく方法を見つけたことを示している。

 それがはっきりした形で示されるのが下巻p42、失われたはずの右手が鉛筆でクローバーを描き始めるところだ。物語の中で、「右手」が登場するのは、この回が初めてだ。右手はやがて、物語のあちこちに現れ、「かく」力を発現することになるのだが、この時点ですずは、そのことによって癒やされている様子はない。この問題を考えるには、もう少し先まで物語をたどる必要があるのだが、それについては、稿を改めて考えよう。


 アニメーション版には原作にない表現がいくつか現れるが、中でも思い切った場面は、不発弾以降に現れる、不思議なシネカリグラフィのイメージだろう。暗転した画面の中で小さな花火のように始まるこの場面を見るとき、実験アニメーションが好きな人ならある作品を即座に思い出すはずだ。それはノーマン・マクラレンの『Blinkity Blank (線と色の即興詩)』である。

Blinkity Blank

 一見すると唐突なこの引用は、不思議なイメージの連鎖によって『この世界の片隅に』と結びついている。その蝶番となっているのが笹柄だ。原作では四枚葉になってる笹柄は、アニメーションでは三枚葉として描かれている。そのことによって、葉はあたかも鳥の足跡のように見える。そしてマクラレンの『線と色の即興詩』こそは、二羽の変態を繰り返すばけもん、三つの長い前趾を持つ鳥たちの詩なのである。

 マクラレンのこの即興詩では、二匹は葛藤とも求愛ともつかぬやりとりの果てに絡み合い一つになると、時間を遡るように卵となり、そこから新たないきものとして孵化する。そこで感じられるのは、単に交尾と繁殖という因果よりも、むしろ、この世に生まれ直すための因果を見つけにいくような、遡行の感覚である。*3

 『この世界の片隅に』のシネカリグラフィで用いられているのは、鳥の足跡のみならず、この遡行のイメージである。鳥の足跡と見まがうような笹柄が、すずと晴美のつないだ手へと変化し、さらにはすずがかつて縫っていた反物のイメージを導く。そして不思議なことに、もんぺを作るためにすずによって裁たれたはずの布は、一枚の着物へと戻る。まるで笹柄の因果を逆に遡るように。あのことばが唱えられるのは、まさにこの直後だ。

 「すいか わらび餅 はっか糖」

 アニメーションは時を遡り、声によってすずの「かく」行為を召喚する。その声は、シネカリグラフィの暗がりと重なることによって、マクラレンがフィルムを直接引っ掻く行為、すなわちアニメーションを「かく」力と結びつく。そうか。アニメーションはいま、フィルムを「かく」ことをなぞりながら、この世界の因果の中に、もう一つの因果をかきこみつつある。

*1 マンバ通信「この世界の片隅に」監督・片渕須直インタビュー (前田隆弘)

「この世界の片隅に」監督・片渕須直インタビュー 調べるだけではだめだ、体験しないと!

*2 マンガ版の第33回は、図4に見られるように、コマの輪郭とタッチによってレイヤーが三種類に描き分けられている。太いコマ枠は現実の世界の時間を表し、細いコマ枠はすずの朦朧としている意識の時間を表している。さらに、鉛筆で描かれたコマ枠と絵では、すずの意識からも逃れているらしい右手の時間が記されつつある。
*3 マクラレンの作品には、つがうことと遡行することとが重なるような不思議な時間が流れていることがある。たとえば『C’est l’aviron (櫂の力)』は、三人姉妹の一人を選んだ男が意気揚々と彼女の家族のもとへ手漕ぎ舟で向かうという同名のフォークソングをアニメーション化したものなのだが、舟の舳先の向こうに次々と現れては消えるイメージの連鎖は、単に愛する者の家族に会いに行く旅というよりは、いつかどこかで見た記憶の風景を遡っているような、幻想的な時間を感じさせる。アニメーション版『この世界の片隅に』が川の遡行から始まることも、ここで合わせて思い出しておこう。

『アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す』の一覧
(1)姉妹は物語る
(2)『かく』時間
(3)流れる雲、流れる私
(4)空を過ぎるものたち
(5)三つの顔
(6)笹の因果
(7)紅の器
(8)虫たちの営み
(9)手紙の宛先
(10)爪
(11)こまい
(12)右手が知っていること
(13)サイレン
(14)食事の支度


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細馬宏通
1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。声と身体動作の関わるいろんなことに興味を持っています。高齢者と介護者の声とからだの動きをとらえ直す「介護するからだ」(医学書院)、古今東西の歌のきこえ方を論じる「うたのしくみ」(ぴあ)の他、「今日の『あまちゃん』から」(河出書房新社)、「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」(新潮選書)、「浅草十二階(増補新版)」「絵はがきの時代」(青土社)など著作多数。最近は雑誌「ユリイカ」をはじめあちこちでマンガについての論考を書くようになりました。バンド「かえる目」では作詞・作曲とボーカルを担当。